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第六十話 妖花姉妹

 マンドレイクという名は分かった――そして、神樹の眷属はすべて、俺と契約した状態になっているらしく、改めて契約を結ぶ必要もない。


 ないのだが、この植物は、俺の呼びかけに応じてはくれない。眠ってでもいるのだろうか。


「グラス兄、この葉っぱ……見てると、すごく引っ張りたくなるんだけど……」

「……待て、何か幻術をかけられてるぞ。この気付けの草を噛んだほうがいいな……申し訳ありません、殿下もお願いできますか」

「はい……んっ……苦……」


 アスティナ殿下は『苦い』と言いかけて踏みとどまる。その頬が少し赤くなっているように見える――素直に苦いと言うことすら恥じらう、それが王族の誇りというものか。


「……何だか頭がすっきりしてきた。グラス兄、ありがとう……苦いけど」


 気付けに使える植物はいくつかあるが、俺が用いるのは迷迭香まんねんろうの葉だ。精製して香油としても用いられるが、そのまま葉を噛むとかなり苦い。だが、その強烈な味は幻術に抵抗する成分によるもので、苦ければ苦いほど効果がある。


「近づいただけで、幻術をかけてくるなんて……この葉っぱ、もしかして危険な精霊なの……?」

「神樹が精霊界から呼んでくれたみたいだから、何か意味があるんだと思うが……俺も見たことがない植物だからな」


 この植物が悪意を持って幻術を使っているわけではない。おそらく、元から植物自体が強力な幻覚成分を持っていて、それが精霊としての能力にも反映されているのだ。


(……まさか、この植物の毒でジルコニアの兵を一網打尽にってことか……?)


 そんな発想が浮かぶが、毒なら他の植物でもいいわけで、精霊界からこの植物を呼び出した理由としては弱い。


 マンドレイクが、何か特殊な力を持っているとしたら。それがどのようなものか確かめたいが――試しに葉を引っ張って抜いてみるというのは、何故かしてはいけないと感じる。 


 植物の感情が分かる俺だからこそ、このマンドレイクの危険さが分かる。語りかけても返事がないなら、待つしかないのか。それとも、レスリーが言うように抜いてみるしか――。


「だめです召喚主さまっ、その子は絶対、そのまま抜いちゃだめですっ!」


 魔物化していた植物が静まったからか、プレシャさんとアルラウネは幸いにも無傷で、庭園の階段を駆け下りてきた。


「ちょっと、走ったら危ないっていうのに……おてんばなんだから」

「プレシャさん、無事で良かった……俺たちも、何とか間に合いました」


 プレシャさんはアルラウネを捕まえようとしていたが、俺が声をかけるとぱっと背筋を正し、顔を真っ赤にする。


「あ、あのね……あたしはこれでも強面で通ってるんだから。子供の面倒を見てるからって、微笑ましそうな顔しないでよね」

「いや、そんなことは……多少はあるかもしれませんね。面倒見がいいんですね、プレシャさんは」

「だ、だからそういう……と、とにかく、アルラウネは無事に届けたから」


 そう言って、彼女は一変した神樹と、その周辺を見回す。


「すごい……全然変わっちゃってる。グラス先生が、神樹を蘇らせたってこと……?」

「まだ完全に力を取り戻すには時間がかかりますが、もう心配はないと思います。それで、アルラウネ……そのまま抜くなって、この植物が何か知ってるのか?」

「はい、私の親戚みたいなものなのです。妖花アルラウネ、魔蔘まじんマンドレイクといって、住んでいる場所が近いのです」


 魔蔘――魔の人蔘ということだろうか。言われてみれば、確かに葉の形状が人蔘(ニンジン)にどことなく似ているようにも見える。


「マンドレイクは、引っこ抜くときに『絶音(ぜついん)』という音を出します。これを聞くと、マンドレイクの周りにいる人は精気を根こそぎ吸われてしまいます。耳を塞ぐくらいでは防げないのです、精霊の力で身を守らないと危ないのです」


 アルラウネは必死に説明してくれる。そのおかげで、危険だということは十分に理解できた。


 精気を根こそぎ失ってしまうと、それは『枯れる』ということであり、仮死状態に陥ってしまう。そのまま放置すれば生命に関わる――地面から抜いたら死ぬ植物とは、とても興味深いが、俺も迂闊なことをするつもりはない。


「精霊の力……植物で耳栓をするっていうのは、気密性に欠けるな」

「……私の魔法で、防げると思う。責任重大だけど……もう少しなら、魔力も残って……」

「魔力でしたら、私のものも使ってください。あなた方に魔力を利用してもらったことで、故意に魔力を流出させる……いえ、供与する感覚がつかめました」

「えっ……そ、それって、殿下自身が、あの魔力を貯める宝石みたいなことができるってことですか?」


 宝石――魔力結晶のことか。確かに見た目は磨き上げられていて綺麗だが、殿下がそれにあたると例えるのは恐れ多いことだ。


 しかし当の殿下が、柔らかく微笑んでいる。プレシャさんの例えで、殿下が笑った――俺の中で勝手に作りあげていた、感情をあまり表に出さないという印象が、まさに今この瞬間に変わってしまう。


「プレシャ、私は『神樹の巫女』となりました。つまり、神樹の声を聞き、崇拝する役割を与えてもらったのです。そして、グラスは魔法士として神樹と契約しています。神樹に選ばれた者に、私もまた……」

「で、殿下っ……それ以上は、今この場ではなく、ラクエル姉たちもいる場所でお願いします! あたしだけじゃ、とても受け止めきれないっていうか……っ」

「……部下に発言を止められたのは、初めてですが。プレシャ、あなたが素直に意見を言ってくれて嬉しいです」


 今の殿下は、何を言っても寛容に許してくれそうだと思ってしまう――それほどに、彼女のまとう空気は穏やかだった。


 『剣姫将軍』と『聖女』――その二つの側面を持つ殿下だが、後者のほうがより彼女の本質に近いのではないかと思う。戦いのさなかでは、それを言うことが許されないと分かっていても。


「……グラス兄、そろそろいい? それとも、私だけで抜いてみる?」

「いや、レスリーだけに任せることはできない。それなら俺に魔法をかけて、音を遮ったあとに、みんなで可能な限り遠くに離れてもらう」

「神樹がグラスを殺すようなことを考えるわけがありません。恐れることはないのですよ」

「はぅ……で、でも、この子はとっても危ないのです……」


 危ないと言っても、とりあえず抜いてみなくては始まらない。


「『空気よ、我が意に応え、振動を遮る壁となれ』」


 レスリーの詠唱とともに、俺たちそれぞれの身体を、空気の膜が包み込む。音を遮るということは、何も聞こえなくなるということだ。


 無音の中で、俺は皆に見守られながら、マンドレイクの葉がちぎれないように、茎の部分をしっかりと握り、地面に足を踏ん張って引き抜いた。


   ◆◇◆


「……にい。グラス兄……しっかりして」

「大丈夫ですか、グラス」

「ん……あ、あれ……俺は……」


 マンドレイクを抜こうとしたところから、意識が飛んでいる。気がつくと俺は、柔らかいものに頭を受け止められて、仰向けに寝かされていた。


「……良かった、目が覚めましたね。顔色も悪くないようです」

「っ……先生っ、もう、どうなっちゃうかと……あんまり心配させないで……っ」

「グラス兄……マンドレイクの子、やっぱりアルラウネちゃんの親戚みたいなものなんだって」


 起きてすぐに様々な情報が入ってきて、しばらく混乱する。今一番対応しなくてはいけないことを失念している気がする――それは。


「……グラス? 気付けの草を噛みますか?」


 ――アスティナ殿下が、どんな姿勢で俺に話しかけているか。


 彼女は恐れ多くも、自ら地面に座って、膝枕をしてくれていた。


「も、申し訳ありません殿下……っ!」


 一も二もなく飛び起きる。そして立ち上がろうとした俺の目の前に、アルラウネと――彼女と手を繋いでいる、見慣れない少女の姿があった。


「魔蔘、マンドレイク。神樹ユーセリシスの眷属として、馳せ参じました。グラス様を召喚主として、ご命令に従うようにとの仰せれす」


 滑らかに話していたマンドレイク――頭に葉を生やしてはいるが、それ以外はアルラウネと同じくらいの年代の少女にしか見えない――は、最後の最後に舌が回らず、緊張感の糸を緩ませてくれた。


「……この少女が、グラスの新しい力……ということになるのでしょうか?」

「そういうことになるとは思うんですが……マンドレイク、さっき俺が地面から抜いたとき、何をしたんだ?」

「……私の声に耐えた召喚主さまは、尊敬に値します」


 つまり、マンドレイクを抜いてその声に耐えることが、彼女を目覚めさせるための過程だったということか――ユーセリシスが何を考えているかわからないが、今の俺たちなら耐えられると見通していたのだろう。


(空気の精霊の力で防いでも、俺を気絶させたマンドレイクの声――これは下手をしなくても、使いようによっては……) 


 見た目は少女にしか見えないが、アルラウネも強力な力を持っている。マンドレイクもまた、俺次第で大きな力となってくれる――どんな場面で彼女の力を借りるのか、俺は幾つかの試案を巡らせていた。

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