表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/104

第五十八話 再契

 もう、遠慮などしてはいられなかった。魔法を維持するための魔力を、後ろから支えてくれる殿下から借りて、俺の前には空気の魔法を維持するレスリーがいてーーその腰を抱くようにしてしがみついても、ほんの少しずつしか進めない。


 神樹の声は聞こえてはこない。俺たちが来たと分かっていても、信仰を失って枯れ果てた神樹は、暴走を自身でも止めることができないのだ。


「二人とも、決して手を離してはなりませんよ! この瘴気の中で離されたらっ……!」

「くぅっ……ぅぅ……グラス先生……もう、神樹のくれた空気が……もちません……っ」

「もう少しで……手が、届く……っ」


 神樹の幹に触れようと手を伸ばす――しかしその瞬間、俺の掌に焼け付くような痛みが走った。


 乾ききって割れた樹皮の下に覗いているのは、血のような赤色。灰色だった樹皮は黒に近づき、触れようとするもの全てを拒絶していた。


 ――終わりにしなければならない。この地に根を張ったこと、それ自体が間違いだった。


 ――王に出会い、王家の巫女を通じて、人の世を見てきた。


 ――私が人のためにしたことは、何の意味も残らない、虚しいことだった。


 ――人間に関心を示さなければ。力を貸さなければ、私はあるがままの姿でいられた。


 誰のものなのか、頭に声が響く。一つ聞こえるたびに、俺の脳裏には、見たことのない光景が見えていた。


 神樹の命は終わりを迎えようとしている。俺が見ているものは、死に瀕した神樹が見ている、過去の記憶なのかもしれない。


 もし人間に力を貸していなければ、神樹は『神』とならず、一介の樹木の精霊のままでいられたのだろう。


 しかし一度信仰を得て神となると、人間との繋がりを失ってしまえば、その根から世界の淀みを吸い上げ、蝕まれていく。


「……私は、もっと早くここに来なくてはならなかった。あなたが、これほどに苦しんで、変わり果ててしまう前に」


 殿下が神樹に語りかけている。後ろから伸ばされた殿下の手が、神樹に伸ばした俺の手に重ねられた。


 そして、レスリーの手も。俺たちは痛みを恐れず、もう一度神樹に触れようとする。


「くぅっ……あぁ……痛く、ない……グラス兄と、一緒なら……っ!」

「貴女をもう独りにはしません……この身がいつか果てるときまで、ずっと傍に……だから、私たちの声に応えてくださいっ……!」


 レスリーもアスティナ殿下も、俺と同じ苦痛を味わっているはずだ。しかし彼女たちは耐え、声を限りに神樹に呼びかけ続ける。


「俺の声が聞こえるか……俺たちはここにいて、信じている。おまえがもう一度、元の姿を取り戻すことを……」


 ――言葉を……契約の……力ある、言葉……グラス・ウィード……。


 殿下の小手の下から、光が溢れる。彼女の身体に俺が施した、霊導印の放つ光。


 神樹が契約を求めている。俺はそれを、やはりユーセリシスが、殿下を契約者として選んだからなのだと思った。


「グラス兄……っ!」


 レスリーが叫ぶ。俺も、何が起こっているのか分からなかった。


 輝いているのは、殿下の霊導印だけではない。俺の身体に描かれ、契約を終えて見えなくなっていたはずの印が、再び浮かび上がっている。


「契約の詠唱をしてみる……私も、あのとき一緒に、グラス兄のことを見てたから……どんな詠唱をすればいいか、分かるから……っ」


 俺と殿下の霊導印が、どちらも反応している。今の状態で契約が成立すれば、何が起こるのか――全く想像がつかない。


 しかし、もし俺が契約する時に見たものが、今起きていることの答えなのだとしたら。


「万象を司りし者よ! 導きの印を刻まれし者が、神樹の精に契りを求める……!」


 レスリーの詠唱を引き継ぐ言葉が、自然と俺の中から溢れてくる。


 ユーセリシスが、契約を促している。それが始まり――彼女が、神樹としての力を取り戻すための。


「――我がもとに真なる姿を示し、誓約を求めよ……神樹ユーセリシス!」


 詠唱は、完成した。


 俺たちの霊導印が輝きを増し、結びつきが形づくられてゆく。


「ユーセリシス……それが、貴女の名前なのですね……やっと、知ることができた……」


 今までただ溢れていただけの殿下の魔力が、霊導印を介して神樹と繋がり、黒く枯れた大樹に活力を与えてゆく。


 しかし、殿下と神樹が契約を介して繋がったというだけではない。


「……グラス兄……やっぱり、『はずれ』なんかじゃなかった。みんなも、私も、ずっと間違えてた……」


 レスリーの言葉に答えるかわりに、俺は彼女の一回り小さな手を包み込むように握った。


 アスティナ殿下は、『巫女』として神樹と結びつきを形成した。


 ――そして。


 俺は『魔法士』として、『神樹ユーセリシス』と契約した――いや。


 俺はずっと、呼ばれていたのだ。『植物の精霊』のおおもとである、『植物全てを統べる神樹』と、こうして契約を結ぶために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ