第四話 抜擢の理由
「俺が精霊医の資格を取ったから、特例で宮廷魔法士になれるってことですか?」
「いや、そうではない。宮廷魔法士とは、つまり王家直属の魔法士だ。国王陛下と妃殿下、そして王に後継者として認められた王太子のみが任命することができる。今回は、第二王妃が学院生の資料を見て、君を第三王女付きの従士として選抜した」
第三王女は第一王妃の娘だ。しかし、側室である第二王妃が従士を選んだ――それには、やんごとなき事情がある。
第一王妃は長く臥せっており、第二王妃が王室における発言力を強めている。第二王妃は自分の子である第二王子に王位を継がせたいと考え、第一王妃の子である一人の王子と三人の王女を、宮廷から遠ざけようとしているそうだった。
「第三王女は、『剣姫将軍』と呼ばれるお方。王女でありながら幼少の頃より剣の腕を磨き、実力を認められ、今では国境を守るために軍団を率いておられる。彼女は騎士団を編成するとき、魔法士を一人も組み入れなかった。しかし第三王女が長く前線に身を置かれると決まってから、第二王妃は魔法士を配属するべきだと国王陛下に進言したのだ。それゆえ、陛下からの勅という形で、君に白羽の矢が立った」
「……それは、俺が戦闘に向いていない、直接軍の役に立たない魔法士だからということですか?」
戦闘に向いていない魔法士が、前線にいる将軍の配下につく。普通に考えれば、それは筋が通らない。
――しかし、第二王妃が俺を選ぶには、何かの思惑があるのは間違いない。それなら、あえて『使えない』とされている魔法士を選ぶというのも無くはない話だ。
「……第二王妃が、自分の子である第二王子を王にしたがっているという噂については、君の耳にも届いているか?」
王位継承権争いは、国民にとっての大きな関心事だ。俺のように、政治に関心を持たない人間の耳にも聞こえてくる。
「その噂が本当なら、王位継承権を持つ第三王女の足を引っ張るために、第二王妃が俺を送り込むということは考えられます」
「……そうと限ったことでもないが。君を抜擢した理由について、第二王妃は『西方戦線では軍医が不足しているから』としている。確かに、それは現状に即してはいるのだ」
静かな土地で隠棲するために取った精霊医の資格が、そんなところで目をつけられてしまう。
戦う力を持たない俺が、軍医として前線に行く。第三王女の率いる騎士団で働く――それは、命の危険と隣り合わせになるということだ。
国王からの勅令という形をとられては、断ることもできない。義姉さんがいつになく神妙な面持ちでいるのも、躊躇う気持ちがあるからだろう。
「……ここからは、君の選択に委ねる。もし軍医となることを望まないのなら……」
「いえ。俺は、行きますよ。王族に仕えるには、宮廷魔法士の肩書が必要になる。そういう理由であったとしても、宮廷魔法士になることは俺の夢だったんです。たとえあまり期待されていないとしても、結果を出して、本当の意味で宮廷魔法士として認められてみせる。義姉さんに恥じないように」
この学院で評価されない俺が、外に出て評価されるのかと言われれば、容易ではないと思う。
しかし精霊医として、負傷した兵たちの診療はできる。そうして実績を積むことで、俺の精霊が役に立たないという認識を変えられるかもしれない。
「……私が想像する以上の答えを返してくれたな、グラス。それこそが宮廷魔法士に求められる、強靭な精神だ。西方戦線は今は安定しているが、散発的に国境で戦闘が行われている。王女も君を戦闘に随伴させたりはしないだろうし、注意深く立ち回れば決して危険なばかりの場所でもない。周りは、屈強な女騎士ばかりだがな」
「えっ……男性の騎士もいるんじゃないんですか?」
「第三王女の側近は全て女性だ。彼女たちの意向で、西方軍には女性しか所属していない。男がいると軍紀が乱れる恐れがあるということらしい」
そういう問題ではなく、男性も女性も協力して国を守るべきなのではと思うのだが、そんな理屈は通用しないようだ。
「この国では女性の方が比率が高いし、特に不思議なことではあるまい。魔法学院の生徒も七割が女性だからな」
「そ、それはそうですが……」
「周りが女性ばかりだからと浮ついていたら、放逐されてしまうぞ。くれぐれも気を引き締めて任務に励むことだ。私もそのうち、休暇が取れたら陣中見舞いに行ってやる。第三王女とは面識があるから、君のことを直接よろしく言っておきたい……なんだ、疲れた顔をして。明日には西方に出発するのだぞ、今からそんなことでどうする」
騎士は一般人と比べると並外れた戦闘力を持っている。男女問わず騎士にはなれるが、俺は戦闘訓練などしていないので、基本的には一般人なみの身体能力しかない。
(王女や騎士たちの機嫌を損ねたら終わりだ……無能と見なされないように、上手く立ち回らないと……できるのか……?)
「君は客観的に見ると、少し目つきが鋭いからな……あまり警戒されないよう、愛想よく振る舞うことだ。領民には男性がいるとはいえ、騎士団の駐屯地では君しか男性がいない。彼女たちも君のことを少しは意識するだろうし、身構えもするだろうしな」
「……女性の軍医では駄目なんですか? 身体検査とか、診察とか、施術のことを考えるとですね、絶対に女性の方がいいと思うんですが」
「話を聞いていなかったのか。王女直属の『魔法士』が求められていて、『精霊医』でもある君だからこそ選ばれたのだ。君が精霊医の資格を取ってくれていて、姉として誇りに思うぞ」
危険な戦場に送るというのに、最終的に義姉さんとしては、第二王妃の思惑によるものだとしても、俺が宮廷魔法士になったことが喜ばしく、誇らしいことらしい。
しかし特に童顔でもない俺に対してそこまで母性というか、甘やかしたいという態度を全面に出すのはどうなのだろう。さっきまでの真剣そのものの面持ちから、暖かな眼差しに変わってしまっている。
「……君のことを誇りに思う、と言ったのだが?」
腕組みをしてトントンと人差し指を動かしながら言う。義姉さんがそうするときは、思う通りに行かなくてイライラしているときだ。これくらいは精霊医の資格を取らなくても見ればわかる。
「俺もいい大人なんですから、その言葉に反応して感動するとか、そういう反応を期待されてもですね……」
「くっ……いつからそんなにひねくれてしまったのだ。私と会ったばかりの頃は、学院から年に数度帰省するたびに、お姉ちゃんお姉ちゃんと慕ってくれたのに」
「そんな事実はありませんが……呼び方は変わりましたけどね」
恨みがましく俺を見る義姉さん――この人が戦場で嵐を巻き起こし、味方にも敵にも恐れられていたというのは、正直今でもそこまで実感がない。
「……まあいい。ここで抱擁の一つでもして送り出してやりたいところだが、それは無事に帰還したときのために取っておこう」
「いや待ってください、それだと帰ってきたら問答無用ということになってませんか」
「今君が考えるべきことは、何をおいても生き残ることだ。軍医といえど戦闘に巻き込まれることはあるかもしれないし、騎士団は領民を守るために魔物の掃討も行っている。敵は人間だけではないのだ」
俺が戦闘に巻き込まれないよう、騎士団員たちの体調を管理して万全の状態でいてもらう――というのも、何か盾にしているようで気が引けるが、それが俺に求められる役目なのだろう。
時間が取れたら義姉さんが訪問してくるというが、その時は今度こそ感動の再会というやつで、このローブの前が閉じられない彼女の胸に飛び込まなければならないのか――生き抜いた褒美としてはあまりに豪華すぎるという理由で、何とか辞退したいところだ。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、義姉さんは不意に遠くを見るような目をして、独り言ぎみに言った。
「女だけの騎士団……そこに年頃の男を放り込んだら、猛獣の檻に骨付き肉を投げ込んでいるようなものなのでは……男性といえど鍛え抜かれた女性の膂力には抗えず、毎晩のように……ということになったら、私はどう責任を取ればいいのか……」
「そういう環境に置かれても、男なら誰でもいいってわけじゃないと思いますが……」
「……君も医者の資格を取ったなら、女性の本能的な部分が、三十代からとても強くなるというくらいの知識はあるだろう?」
「そ、それは医者じゃなくても知っている一般論というやつで、騎士の方々はたぶん、清廉で質実剛健な方々ばかりなんじゃないかと……」
義姉さんは今年で二十一歳なのでまだ三十歳には遠いが、なぜそうも欲求を持て余しているのですかと問いかけてみようものなら、俺はこの部屋から無事で出られない気がする。
いずれにせよ、俺は西方に行き、アスティナ殿下に仕えなくてはならない。
戦闘魔法士でない俺が、軍医としてなら価値を認められるのか――いや、認められなければならない。
それが生き残ることにも、宮廷魔法士の肩書きを飾りだけのものにしないことにも繋がる。そのためには何としてでも、周囲を納得させる功績を上げなくては。
しかし、一つ気になることが残っている。俺の前に、義姉さんがレスリーを呼び出していたことだ。
「ところで義姉さん、レスリーとはどんな話をされたんですか?」
「それについては、私からは何も言えない。レスリーにとっては茨の道となると思うのだが、彼女はそれでも『あること』を希望した。私はそれを受諾しただけだ」
レスリーが呼び出されたのではなく、自分から学院長室を訪ねた――そうなると、ますます何を話したのかが気になる。
「彼女ももう大人だ、あまり過保護にすることはない……と、私から君に言うと、そのまま返されてしまいそうだな」
「……いえ、正直を言えば、俺は義姉さんに感謝してます。過保護だとも思ってませんよ。獅子は我が子を千尋に落とすというか、そういう状況のような気もします」
「私は君の親ではなく、姉だ。そこだけは訂正しておきたいな」
昔はこんなときに頭を撫でられたものだが、義姉さんは途中で自制するように手を止めた。
彼女も俺に期待してくれている。その期待に応えられたら、俺は今よりももっと自然に、義姉さんの厚意を受け止められる気がした。