第五十七話 眷属の怒り
馬車はついに荒野を走りきり、廃棄庭園の入口に辿り着く。しかしまるで門番のように、地中から現れた巨大な茎が花をつけ、半分に割けて、牙だらけの口を開く。
「これほどに怒り狂うほどの裏切り……棄てられた神樹がここまでになるまで、私はここに来られずにいた。何て愚かなことをしていたのでしょう……」
「殿下、神樹は俺たちを導いてくれました。だから、必ず間に合います!」
「……グラス、貴方は……なぜ、そこまで強くいられるのです。あれほどの光景を見ても、どうして動じないのですか。全ては、王家のしたことが原因です。私もまた、その一端を担って……」
「俺はもう二度と間違えない。彼らは確かに、怒っているのかもしれない……でも、同時に悲しんでいるんです。一人で孤独に枯れていこうとした主を、気高いままで終わろうとした神樹を、眷属の彼らはあきらめなかった。見境がつかずに全てを壊そうとしているのなら、倒して先に進むしかない。だけど、それで何かが終わるわけじゃない」
殿下は神樹を、この庭園を廃棄した王家の行為を悔いている。自分がしたことでなくても、裁かれるべきだと感じている。
彼女の心がどれだけ気高く、純粋なものであるのかはよく分かっている。けれど国を守るためにその身を削って戦ってきた彼女が、過去の王家の罪までも背負う必要はない。
「……草木も花も、おおもとが残れば、もう一度同じ姿で生まれ変われる。それは、動物には真似のできないことです。だから俺は植物に憧れた。精霊と契約したときに、俺は神樹の精の姿を垣間見ました。あの光景を、現実のものとして蘇らせたい。殿下が、そして人々が祈れば、それは決して叶わない夢じゃない……だから……!」
「――ここはあたしに任せて! みんなは早く行って、あの樹を助けてあげて! グラス先生、殿下のことは任せたからね!」
「プレシャ……ッ、なりません、一人では……っ」
殿下が外に飛び出し、俺たちも続く。プレシャさんは馬を降り、槍を携えて、レスリーの定着させた清浄な空気の膜を破って飛び出していた。
「――殿下の……っ、グラス先生の前にっ、立ち塞がるなっ!!」
プレシャさんの背丈よりも長い槍。しかし以前よりも太さを増した花の茎を斬ることはできない――そう思った。
「はぁぁぁぁっ……!」
気合いの一声と共に、プレシャさんが無意識なのか、槍に魔力を通すところが見えた。
瞬間、プレシャさんの槍が振り抜かれ、二つ並んでいた花の魔物が横一文字に切り裂かれた――まるで攻城兵器のような破壊力に、俺も二人も息を飲む。
「――プレシャ、まだですっ! まだ、根が残って……っ!」
「くっ……あぁぁっ……!」
プレシャさんの足元から突き出した花の根が、彼女の足を絡め取って宙吊りにする。アスティナ殿下が剣を構えるが、花の根はプレシャさんを盾にするように動いて、殿下に剣を振らせない。
「くぅっ……うぅ……離せっ……こんなところでっ……!」
次々と地中から根が現れ、プレシャさんの腕に絡みつく――彼女が自由を奪われていくさまを、俺たちは見ているしかない。
(ディーテさんがいれば……いや、プレシャさんを盾にされればとても狙いがつけられない。他に何か方法は……)
「――召喚主さま! お花には、お花なのです! 私に任せてほしいのです!」
「アルラウネ……わかった! 『妖花よ、パンデラの園の姿に戻り、鮮やかに咲き誇れ』……!」
アルラウネの魔力でできた身体が、一度実体化を解いたあとに、球根から再構成される――そして殿下と俺の魔力を使って、巨大な花に姿を変える。
(私もあなたたちと同じ、花の化身……争うことはやめて、耳を傾けなさい!)
「っ……これは、アルラウネの声なのですか……? この花が、彼女だと……」
俺も初めてのことで驚いていた――巨大な花を咲かせたアルラウネの声が、子供のものではなくなっていたのだ。
妖花には、まだ俺の知らない力が残されていた。同じ花という括りならば、魔物化していても干渉することができる――プレシャさんを縛っていた根が緩み、落ちかけた彼女を、アルラウネの葉が伸びて受け止める。
(ここは任せてください! プレシャさんと、馬車を守ってみせます!)
「わかった……プレシャさん、アルラウネ、すぐに必ず戻る! それまで持ちこたえてくれ!」
いつも気丈なプレシャさんが、少しだけ弱気に微笑む――しかし、その次の瞬間には。
「グラス先生の頼みなら、あたしは千人だって万人だって止めてみせるよ。相手が化け物みたいな花だって、関係ない……!」
「プレシャ、いたずらに切り込むのではなく、アルラウネの力を借りなさい! 敵の動きを遅らせれば、捕まることは避けられるはず……あなたなら、できるはずです!」
「はい……殿下の仰せとあれば……っ!」
殿下の指示を受けて、プレシャさんの動きが変わる。次々と地中から姿を現しては襲ってくる花たちを、アルラウネの協力を得て確実に撃退し、彼女が引きつけてくれているおかげで、俺たちの進む道までが開ける。
「ここから一気に走り抜けるぞ!」
「「はいっ!」」
レスリーに魔法の維持をしながら走るように指示したつもりが、殿下まで返事をしてしまう――しかし、無礼に当たると言い直している場合ではない。
風化しかけた石のタイルが露出した道を、俺たちは走っていく。次々に今まで見たこともない植物が現れて攻撃を仕掛けてくるが、俺たちを包む清浄な空気に一瞬だけ動きが鈍り、間一髪で避けることができていた。
――そして俺たちは、長い下り階段の先にある神樹を目にして。
放たれる瘴気を辛うじて防ぎながら、決して怯まずに進んでいく。
一度目は魔力結晶を使い果たして、ようやく手が大樹の幹に触れた。しかし殿下がいる今、これほどの瘴気の嵐の中でも、俺の魔力は枯渇しなかった。




