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第五十一話 再びの円卓

 学院にいた頃の俺なら、こんなことは絶対に言えなかっただろう。『自分の魔法を信頼してくれ』などと。


 西方領に入り、後方とはいえ戦場の空気も経験し、俺の魔法は、戦いにおいて何の役にも立たないものじゃないと確かめられた。


 もちろん、戦況を一瞬で変えるような戦闘魔法士には全く及ばない。しかし大規模な破壊はできなくても、使い所さえ間違えなければ、微力であっても効果はある。


「俺は、この戦いを終わらせるためになら、どんなことでもします。俺を軍医としてだけでなく、必要なときは魔法士としても働かせてください。必ず殿下のお役に立ちます」


 殿下の瞳が憂いを帯びる。俺を戦場に引き込むことへの躊躇が、まだ残っているのだと感じられる。


 俺は目をそらさないことで、意志を示す。臆病を隠して勇気を絞ったわけではない、俺は恐れてなどいない。


 恐れるとしたら、何かの役に立てたかもしれないと思いながら、何もせず終わることだ。


「……ありがとう、グラス。あなたの覚悟は伝わりました」

「っ……で、では、殿下……」


 殿下は背中を向けていることを気にしたのか、シーツを胸元に引き寄せながら、俺の方を振り返った。


「あなたの力を借ります。そうしなくてはならない理由は、明日の軍議で明かします。貴方のための席は用意しますので、助手の方と共に来てください」

「は、はい……分かりました。殿下、『彼』の事情については……」

「手紙であらかじめ聞いていました。その時は、なぜレンクルス家の血を引く人が、貴方に随伴してくるのだろうと疑問に思いましたが……ミレニアは破天荒なところもありますが、考えもない行動は滅多にしません。それゆえ、詳しい事情は問いませんでした」

「ありがとうございます。『彼女』が初めに正体について問われていたら、ここに身を置くことはできていませんでしたから」


 感謝を伝えると、殿下はふっと笑った。整った眉を下げて微笑むと、戦場で無数の敵兵を斬った鬼気迫る姿とは、とても同一人物とは思えなくなる。


 この要塞の騎士たちは、誰もがそうだ。本当は心優しく、しかし民を守るためには鬼とならなければならない。


「……あなたは自分ではそう思っていないかもしれませんが。あなたの人望が、彼女を行動させているのです。プレシャも、ディーテも、ケイティも……そしてラクエルも、あなたと会ったばかりの侍女たちも。統率する立場の私よりも、彼女たちを癒やすあなたに、心を寄せることになるかもしれませんね」

「癒やす……というのは、怪我を治したりするだけじゃありません。まず、食事です。殿下も下級兵の方たちと同じ食事をされていると伺いましたが、それでは栄養が足りていません。全体的に、食事の改善が必要です」


 いきなり食糧事情についての陳情に話が切り替わったためか、殿下はじっと俺を見て止まっていた――急にそんなことを言われても、という反応なのだろうか。


「……節制は、人の身体をより清く、不純なものを無くすために寄与します。私は、そう考えていたのですが」


 確かに節食、あるいは断食を効果的に行うと、身体の代謝を改善することができたりはする。


 しかし、それは栄養面に対する配慮を十分に行った場合の話であって、今の食事では熱量と一部の栄養を補給できても、運動量の多い軍人の身体を維持するには十分ではない。


「食糧供給を安定させる目処が立ったら、料理番の方と相談をさせてもらえませんか。食事を改善すれば、兵たちの士気も、健康状態も良くなるはずです」

「……考えておきます。可能であれば、その食事についての指導を、まず私にお願いできればと思うのですが……王女、そして騎士としての教育は受けましたが、それ以外のことには、恥ずかしいことですが、とても疎いのです」

「は、はい……殿下がご希望であれば。軍医としての務めが、まず優先されるべきとは思っておりますが」

「……戦況を変え、敵が攻めてこない状況を作る。全ては、そうした後の話ですね」


 俺に対して指導を求める素朴な振る舞いと打って変わって、彼女は指揮官の表情に戻る。


 まずは、アスティナ殿下が明日の軍議でどのような指針を示されるのかだ。俺はソアラとカリンに挨拶し、殿下の寝室を辞した。


   ◆◇◆


 割り当ててもらった部屋が、寝室が二つに分かれている形だったのは幸いだった。それぞれの部屋は寝るのがやっとという広さではあるが、同じ部屋でベッドを並べていたら、簡単には寝付けなかっただろう。


 学院では男子寮と女子寮は校舎を挟んで隔てられており、行き来することは厳格に禁じられていた。たまに男子寮に女子が忍び込んだり、その逆もあったが、俺とレスリーにとっては縁のない話で、雑談の話題になることがあったくらいだ。


 ――そんなわけで学院で過ごしていた頃の夢を少し見たような気がするが、朝日が空の向こうから顔を出し始めた時間帯に、俺はレスリーによって起こされた。


「おはよう、グラス兄」

「ああ、おはよう。今日は軍議に出席しないといけないから、その前に患者の回診を終えておこう」


 レスリーは服こそ男物に着替えているが、まだ眼鏡と帽子はかぶっていない。髪をおろした彼女の姿を見ることは今後も少ないだろうが、改めて見ると、不思議と新鮮に感じさせられる。


「……髪は結って、帽子の中に入れなきゃ」

「大変だな……いや、他人事みたいに言うのは悪いか。俺に手伝えることはあるか?」

「ううん、大丈夫。準備が終わったら、グラス先生って呼ぶ。グラス兄は?」

「レンドルさん、だな。そのうち皆に事情を話せるまでは、そうしよう」

「……ごめんなさい、面倒なことして」


 そこまでしても、同行したいと思ってくれたのだからしょうがない。


 しかし、もしレンクルス家がレスリーの動向を察知してしまっても、ここまで来たら簡単に返すつもりもない。


 少しでも、医術の心得がある人に手伝ってもらわなくてはならない――可能なら、育成することも考える必要がある。そんなことを考えつつ、俺はベッドから出て身支度を始めた。



 回診を終え、食堂で朝食を摂ったあと、俺はレスリーを連れて円卓の間に向かった。


 ラクエルさんに支持され、円卓の席のどこに座るかを指示される――俺とレスリーは一番下座、ほぼ殿下の席の真向かいだ。


 自分がここに座る日が来るとは思っていなかった――ラクエルさん、プレシャさん、ディーテさん。そしてまだ話していない攻撃隊長が二名、射手長が一人、詳細は聞いていないが他の部隊の隊長もいて、全部で十名の騎士たちが集まっている。


 俺たちは全員で席を立ち、殿下が入ってくるのを待つ。やがて侍女が殿下の入室を告げ、騎士たちが敬礼の姿で出迎えた。


 殿下は全員の姿を見て、祈るように右手を胸に当てた。そしてもう一度目を開き、彼女が頷くと、騎士たちは直立の姿勢に戻る。


「これより軍議を始めます。着座してください」


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