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第五十話 決意

 殿下の身体に印を描く――俺に絵心はないが、魔力に反応する塗料を使っているので、魔力を操作する精度が高ければ、思い通りに図を描くことができる。


 精霊を召喚する実技は行えなくても、魔力操作の訓練は基礎授業の一つとして行われている。魔力に反応する塗料を紙一面に塗り、自分の魔力を精密に操作することで一気に干渉を起こし、課題の図を作成するという授業があった。


 それでどれだけ結果を出しても、『はずれ』の生徒は評価されなかった。どのみち、魔法士として取り立てられなければ、今受けている魔法士としての専門授業は何一つ役に立たない――日常生活で利用できても、教師たちは価値があるとは考えない。


「……グラス……少し……」

「っ……申し訳ありません、殿下」


 目を閉じて眠っているかのようだった殿下が、少し手を上げる。それは仕方がない、俺が印を描いてもらうときも、微動だにせずにいるのは至難の業だった。


 スヴェンは石の精霊に選ばれただけあって、恐ろしいほど泰然自若としており、印を描かれても全く苦ではなかったという。しかし殿下はどれだけ落ち着いているように見えても、何にも動じないというわけではない。


 しかし時間をかけるよりは、多少動いてしまうことを計算に入れて、一気に描いてしまった方がいい。ここからは無心で、ひたすら完成を目指す――まだ、背中の側が丸々残っている。


 顔には描き込む必要がなく、首元まで描き込めば良い。神樹のところまで移動する分には、服で隠れるので周囲を驚かせることはないだろう。


「……これで上半身は終わりです。では、うつ伏せになっていただいて宜しいですか」

「わかりました。グラス、疲れてはいませんか」

「いえ、まだ大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「貴方もここに来てからずっと動き回っていて、疲れているでしょう。あまり無理をしすぎないように……いえ。要塞全体が疲弊している状況を、一刻も早く打破しなくてはなりませんね……」


 この状況でも、殿下は戦のことを考えている。ジルコニアがもう一度攻めてくると予測している彼女は、どのような手を打つのだろうか。


 背中に印を描き込みながら、俺は思う――ジルコニアに一方的に攻撃されている状況を変えるには、こちらから攻撃に出るしかないのではないかと。


 敵は軍船を利用し、どこからでも川を渡ることができる。運河に面しているこの要塞は本来、防衛に向いているとは言い難い。敵が水を背にする状況になるならいいが、それは敵も分かっているからこそ、要塞に近い場所に上陸せず、東西に分かれて上陸してきた。


(……退却する敵軍を追って、拠点を叩くことすら許可されていない。それじゃ、いつかこの要塞が落ちるまで待てと言ってるようなものだ。それでなくても、ジルコニアと対話する機会がなければ、敵が消耗して諦めるまで状況は好転しない)


 俺が考えるようなことは殿下も全て分かっているはずだ。


「……グラス。貴方にばかり負担をかけて申し訳ありませんが、明日の朝行われる軍議に、出席を命じても良いですか」

「俺が、軍議に……軍医の俺がいると、他の将官の方が疑問に思われるのでは……」

「ラクエル、プレシャ、ディーテ……そして、今日出撃していた他の隊長たちは、貴方が戦場で魔法を使ったことを知っています。要塞西側から接近していた攻城塔は、こちらから攻撃する前に倒れました。その報告を受けて、私は魔法が使えるあなたの功績だと考えたのですが……違いますか?」


 まるで戦場となった要塞の周辺全てを見通していたかのように、殿下は言う。


 彼女はベッドの上に置いた枕の上にあごを乗せて、後ろに腕を出す。腕の裏側に描かれていなかった霊導印の続きを描きながら、俺は答えた。


「……殿下は、魔法士をこれまで指揮下に組み入れることをなさらなかった。それでも、俺のしたことだと断定なさっている……戦場での魔力の流れを、感じ取ることができるのですか」

「はい。戦場に魔法士がいれば、私は肌で感じ取ることができる……それで危機を脱したこともありました。しかしあなたが魔法を使ったと確信したのは、あなたの魔法を一度見ていたからです。ゴブリンの足止めをするときに、使っていましたね」

「あ、あのときの魔法が、殿下から見えていたとは……申し訳ありません、全くお気づきになっていないものとばかり思っていました」


 殿下はかすかに笑ったようだった。俺はますます、自分の浅慮さを恥じ入る気持ちが強くなる。


「あなたが、我が領地の民を守るために魔法を使ってくれたことは分かっていました。しかし、私はあなたのことをあまり信用しすぎないようにと思っていました……」

「……やはり王都でも噂になっているように、王位継承権の問題があるということですか」

「……プレシャから報告を受けたときに、私は、あなたにも知られてしまったことを気にしていました。しかし、それは杞憂だったのでしょう。一時でも疑ったことを、謝ります」


 アスティナ殿下は『第二王妃が自分を陥れようとしている』とは言わなかった。


 全て分かっていて、それでも国王陛下を、第二王妃を敵に回すことを避けたいと考えているのだ。


 その理由はいくつもあるだろう。しかし、最も大きいものがあるとすれば――。


「僭越ながら、お伺いしてもよろしいでしょうか。第一王妃は、今の状況を、どうお考えなのでしょうか」

「……彼女は戦いには関わらず、王位継承に関することについても距離を置いてきました。元から、争う気などないのです。王室の持つ別荘地の一つで、今も静かに療養しています」


 無礼と見なされても仕方のない質問に、殿下は気分を害すことなく答えてくれた。


 第一王妃は、王位継承権争いからは距離を置いている。しかし第二王妃の側は、自分の子である第二王子を王にするため、謀略を巡らせている。


 それはおそらく、国王陛下が王位を継ぐにふさわしいと思っている人物が、第二王子ではないということを意味する――それは無理もない、第二王子はまだ十歳の少年だ。もし近いうちに王位を継いでも、摂政を置くことになる。


 話しているうちに、霊導印が完成に近づく。俺は殿下の背中の中心に、太陽を模した印を描き込んだ――丹田には月、背中には太陽。身体の表裏で対になる文様を描き込むことで、現世を構成する要素との繋がりを表現しているのだという。


「お疲れ様でした、殿下。印が完成いたしましたので――」


 そう言いかけたときだった。


 俺に背中を向けていた殿下の手が動き、俺の手首を掴む。決して強い力ではないが、容易に振りほどけない。


 殿下は後ろを省みながら、その半身に魔法士だけが見える紋様を浮かび上がらせ、まるで光に包まれているような姿で言う。


「グラス……あなたが来てくれたことで、この要塞は、我が騎士団は変わろうとしています。私も、こんなことになるとは想像もしていなかった。第二王妃の命を受けて私の元に送り込まれたあなたが、軍医として本当に働いてくれるのかさえ、疑問に思っていました」


 まだ、この夜の間に話しておかなければならないことがある。殿下の口調にその思いが表れていた。


 ――俺も、言っておくべきことがある。俺という存在が、魔法学院にとって、この王国にとって、どう見られていたのか。


「……俺は、第二王妃に見出されましたが、それは『はずれ』の魔法士だったからです。悔しいですが、役立たずと見なされて……殿下の足を引っ張るために、形だけの宮廷魔法士として、ここに送られることになった……」


 殿下もそう思っていたはずだ。俺が、軍医として実際に働き始めるまでは。


「でも、形だけで終わりたくない。俺は、本当の意味で宮廷魔法士としてふさわしい人間になりたい……ずっと、憧れていたから」

「……ならば。グラス……私と共に、戦ってください。魔法というものを遠ざけるように言われてきた私が、今さらになって魔法士を信頼するというのは、虫のいい話かもしれません……ですが……」


 殿下にも迷いがある。まだここに来たばかりの俺に、過剰な期待をしてもいいのか。


 ――その不安を取り除けるのなら、俺はどんなことでもする。今はこの手を握り返すことはできなくても、決意を言葉にすることはできる。


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