第三話 王家の勅命
学院長室の扉には、『ミレニア・ウィード 在室中』と書かれた札が掛けられている。
そう――学院長は俺の義姉さんで、学院きっての才女と呼ばれ、歴代最年少で今の地位についている。
義姉さんが就任したのが三年前で、俺はそれからというもの、週に一度くらいは呼び出されて近況を報告している。俺もそろそろ、義姉さんに監督されるほど頼りなくもないと思いたいのだが、彼女を前にするとなかなか『俺も自立した大人だから、あまり呼び出さないで欲しい』とは言えない。
「何をしている? そこまで来ているというのに、なぜ入室しないのかね」
「っ……す、すみません学院長。失礼します」
学院内では、俺は学院長を姉と呼ぶことはない。そういう取り決めのはずだが、この部屋はルールの適用外らしく、俺は部屋に入るなり、義姉さんにじっとりと見つめられて出迎えられる。
「い、いや、一応部屋の外だったから。中に入ったから、ここから切り替えるよ。えーと、義姉さん」
「ふん……なぜ面倒そうなのか問い詰めたいが、まあいいだろう」
義姉さんの後ろの窓から薄いカーテン越しに陽射しが照らしていて、彼女の長い翡翠色の髪が光を帯びて見える。昔は栗色の髪だったというが、風系統の上位精霊と契約したことで、属性を象徴する色に髪と瞳の色が変わったということだった。
これで家族でなかったら、俺は今の何倍も緊張していただろう――こんなに綺麗な女性は、探してもそうはいない。
俺がまだ幼い頃に父が再婚し、義姉さんは家にやってきた。父の再婚相手の連れ子ということで、最初はどう接していいのか分からなかったが、それは彼女も同じだったようで、義母の仲介もあって少しずつ打ち解けることができた。今では、俺の方が遠慮するほどに弟として可愛がってもらっている。
彼女は席を立つと、いつも使っている大きな机を周り込んで、俺の前まで来た。彼女が背にしている窓からの光が眩しかったが、そのうち目が慣れてきた――義姉さんは白いシャツの上に、黒い外套を前を閉じずに羽織っている。それは、服の全てを特注しなければならないという大きな胸が引っかかるからだ。
その外套は、彼女が宮廷魔法士である証でもある。彼女が首にかけている金のペンダントにはロケットがついていて、その中には『17』の番号が刻印されている――この国の魔法士で十七番目の階梯に位置する魔法士、それが彼女だ。
「……どうした? また模擬戦の授業に出られず、落ち込んでいるのか」
「もう慣れましたよ。精霊と契約してから友人は減りましたが、彼らも好きで俺から距離を置いてるわけじゃない……って、強がりに聞こえますか」
「君の精霊は、学院内ではどうしても仲間外れにされてしまうからな。模擬戦などで組める相手と親しくしたり、自分と同じ系統の相手と親しくするのは、ある程度仕方がない。それは、無理からぬことだ」
歯に衣着せぬ物言いで、むしろ胸がすっきりとする。元素精霊を引けなければ、この学院においてははぐれ者として生きていくしかないのだ。
座学の成績がどれだけ良くたって、精霊の系統だけで評価されず、クラスメイトからは路傍の草のように扱われる。植物の精霊使いとしては適切な扱いだ、なんて自嘲できるくらいには、今の境遇には慣れきっていた。
「しかし……この国がもし、敵国に四方を囲まれていなければ。軍事利用の可能な系統だけでなく、君やレスリー、スヴェンの精霊についても、研究の目が向けられるのかもしれないと私は思っている」
「……この国の歴史が戦争と共にあることは、俺にも分かってますよ。学院の卒業生も前線に投入されて戦果を上げている。東方戦線じゃ、久しぶりに国境線を押し返せるっていう話ですね」
皮肉めいたことを言っていると思う。この国に敵がいなくなることなど、向こう百年はありえない――軍属として南方戦線に参加していた義姉さんは、俺なんかよりよっぽど現状を理解している。
風精霊の中でも高位である、『テンペスト』という精霊と契約している義姉さんは、千人の軍を足止めするほどの力を持っているという。俺は戦場での彼女を見たことがないが、百戦錬磨の男性騎士たちでも彼女を恐れて指揮に従っていたというのは、武勇伝として噂に聞いた。
なぜ、彼女が前線を退き、シルヴァーナ魔法学院に赴任することができたのか。それは、彼女の功績で南方の敵国と停戦協定を結ぶことになったからだ。
軍属魔法士は前線から生きて帰還すれば、事務方に回ることができる。もし停戦協定が破られるようなことがあれば彼女は軍に戻るが、そうでなければ、他の戦線に参加することは強制されない。
「東方に行っている私の友人も、このまま行けば無事に戻って来られるだろう。君にも引き合わせたいと思っていたが……」
「……義姉さん、俺をここに呼んだ用事っていうのは何なんです? 今の口ぶりだと、俺が学院から離れることになるみたいじゃないですか」
そう言ってみて気がつく。外部からの学院生へのスカウトは、学院長から伝えられることがほとんどだ。
捨てる神あれば、拾う神もあるということか――そう期待したのは一瞬のことで、どうも、それほど甘い話ではないようだった。
義姉さんは神妙な顔で、机の上に置いてあった書類を俺に差し出してきた。
「……これは、軍の召集令……じゃない。王家からの、勅命書……?」
「そうだ。おめでとう、グラス。君は特例ながら、宮廷魔法士の末席となる資格を得た」
「俺が……宮廷、魔法士に……?」
まさに、青天の霹靂だった。
レスリーも呼び出されていたというから、いつものように近況報告のために呼ばれただけではないと予想してはいたが――模擬戦にも参加できない俺が、宮廷魔法士に選ばれるだなんて、どう考えてもありえない話だ。
単純に喜んでいい話ではないというのは、ミレニア義姉さんの顔を見ればわかった。何か、悲壮感というか、いつになく真剣で、合わせた目を逸らすことができない。
「君は座学の成績では、常に上位に入っている。魔法理論、精霊体系学、自然学、政治学。商学、薬学……模擬戦に参加できない分だけ、ありとあらゆる授業に出て、ほぼ全ての科目で『優』を取っているな」
魔法学院の評価は優、可、不可の三種類しかないので、優といってもまともな点数を取ればそうなるのだが、確かに俺ほど多くの科目で単位を取っている学生はいないだろう。
しかし精霊魔法の実技を見せる場がないため、実技は零点、あるいは無評価という扱いになっている。実技と座学で合わせて百点とすると、俺はどう頑張っても五十点の成績しか取れず、平均以下の順位になってしまう。
そのため、願書を出しても宮廷魔法士の試験を受けられなかった。そんな俺が、試験を免除されて宮廷魔法士に選ばれたなどというのは、奇跡としか言いようがない。
――もしくは、何かの謀略に巻き込まれているか。
そういうことであれば、義姉さんが祝福するような顔をしていないことにも頷ける。
「そして成績が優秀なのみならず、君は今年に入って『精霊医』の資格を取っている」
「は、はい。すみません、義姉さんには事後承諾になってしまって」
「君が学院でどのような活動をしているかは、ある程度秘書から報告を受けて把握している。私はむしろ嬉しいのだよ、君が自立への道を模索し、努力していることは」
腕を組み、義姉さんはこちらが恥ずかしくなるような優しい目をする。いつもそうだ、俺と会ってからずっと子供扱いをしたがる――こちらはその腕に乗った大きな胸から意識を逸らすことに苦しむほどには、一人前になったというのに。