第四十三話 応急処置
殿下の寝所の隣室は、侍女が控えているための部屋のようだが、こちらもやはり王族の侍女が使用する部屋としては簡素で、飾り気といえばチェストの上に置いてある花くらいだ。
「……私は、どうすれば良いのだ?」
「そうですね……じゃあ、ベッドに……」
「っ……そ、そちらに椅子があるのに、なぜベッドに……」
「い、いや、変な意味じゃないですよ。化粧台の前で使う小さな椅子だと、姿勢を維持するために力が入ってしまうので。できるだけ楽にできる状態で診察をさせてもらいたいんです」
「そ、そうか……すまぬ、今まで女性の医者にしかかかったことがなかったのでな。男だからといって、過剰に警戒してしまっている……無礼を詫びよう」
ラクエルさんはベッドに座る。俺はベッドの反対側に周り、彼女の後ろ姿を見る――するとラクエルさんは、自分から背中にかかっていたおさげを前に回して、診やすいようにしてくれた。
「……騎士ならば髪は短くするべきだが、切る時間がなく、つい伸ばしっぱなしになってしまっている。見苦しいと思うが、今は許してもらいたい」
そう彼女は言うが、魔戦士は元から常人より身体の代謝がいいので、髪が早く伸びる。
その回復の速さが幸いして、彼女は身体に過剰な負担をかけても、軽い筋断裂などを起こしていても大事に至る前に回復していた――だが、それだけでは補いきれない部分がある。腱や関節の部分である。
「ラクエルさん、上着を脱いでもらえますか」
彼女は頷き、将官の上着を脱ぐ。下に着ているシャツの襟から、上半身に巻かれている包帯がすでに見えている――これは痛みを押さえるためのものだろう。
その包帯の巻き方は、前の軍医が指導したものか、激しい動きを阻害しないように考慮されている。だが、包帯の巻き方も日進月歩で、武術をする人向けの巻き方というものも、王都の医者の間で考案されていた。
「少し動かしてみてもらえますか。この動きは大丈夫ですか?」
「っ……そ、そのくらい……何とも、ない……」
やはり、超重量の馬上槍を振り抜くときにかかる負担が限界を超えかけている。腱が炎症を起こしてしまっているし、関節もすり減って、このままでは骨棘が生じて痛みが出ることもあるだろう。
(でも、骨棘は手術で取るほどのものでもない。自然治癒力が高いから、安静にしていれば痛みもさほど出ないだろうが……すぐにでも対応しなければいけないのは、腱の炎症だ。薬すら塗ってないから、身体全体が熱を持ってしまっている)
「……ラクエルさんは、次に敵がもし攻めてきてしまったら、やはり最前線で戦うんですか?」
「当然だ。私は今までもそうしてきたし、今も体調に問題がないというのに、出撃しないという理由は……」
「ですが、アスティナ殿下がもしラクエルさんを助けに行かなかったら、もっと苦しい戦いになっていたはずです」
「っ……それは……」
ラクエルさんは言葉に詰まる。そして俺は、今になって、敵の射手の動きを阻害し、ラクエルさんを援護しようとしたことを思い出した。
それに、彼女は気がついていた――俺の方を省みるその目が、今までとはまるで違っている。
「……私はあのとき、敵の射手から矢を浴びることを覚悟した。多少の負傷はあっても、敵を薙ぎ払うことはできると……だが、射手の動きが不自然に遅れた。それが味方側のしたことだとするなら、一つしか考えられない……私は、魔法によって助けられたのだ」
あの場にいた味方側の魔法士は、俺とレンドルさんの二人だけ。はるか後方にいた俺の姿すら見えなかったはずなのに、それでもラクエルさんは、俺のしたことだと断定していた。
「まず、あのときの礼を言うべきだった。殿下の治療に際しても、私は自分の立場を弁えず、余計なことばかり言って……」
「い、いや……ラクエルさんが殿下をどれだけ慕っているかは、俺も分かってますから。殿下のお気持ちを尊重したいのは、俺も同じです。だから、気にしないでください」
「……気分を害してはいないのか?」
「はい、全く……俺はこう言うのもなんですが、大木みたいに生きたいと思ってるんです。学院で一番長生きしている木をじっちゃんと呼んでたんですが、そのじっちゃんが、凄く寛大というか、そういう性格で……」
「……私も、そのようにありたいものだな。植物の精霊と話ができると、そのような影響を受けることもあるのか……」
俺の話を、ラクエルさんは興味深そうに聞いてくれていた。レスリーとスヴェン、そして義姉さん以外、そんな顔をしてくれる人を見たことがなかった――魔法学院が、いかに閉ざされた世界だったのかと思う。
「……おまえの言うとおり、私は重量の大きな装備を使うことで、身体に負担をかけている。馬上槍を振るうたびに痛みが走るようになり、最近では鎧を身につけて歩くだけで、上半身が痛むようになってきた。眠るときに身体が熱を持ち、寝られないこともある」
「やはり、そうですか……話してくれて、ありがとうございます。本当は本格的な治療を、計画を立ててやっていきたいんですが。とりあえず、応急処置をさせてもらいます」
俺は殿下に使ったものではない、別の塗り薬を取り出す。するとラクエルさんが目を見開き、自分の身体をかばうようにする――白い肌が一気に紅潮して、真っ赤になる。
「そ、それは……殿下のように、私にも……身体の、あちこちに……」
「い、いや、それはしません」
「なに……?」
「ラクエルさんが、寝る前に包帯を取るか巻き直すかすると思うんですが。そのときに、この塗り薬を俺が指示するところに塗ってください。図を書いておきますので。それと、包帯の巻き方ももっといいものがあるので、俺に巻いてみて練習してください」
ラクエルさんは長い睫毛をぱちぱちと瞬く――俺が塗るものだと思っていたのだろうか。さすがにそんなことばかりしていたら、例えラクエルさんが許可してくれても、周囲の疑いの目を受けてしまう。
「……な、何も勘違いなどしていないぞ。そうだな、教えてもらえるのならば、自分で塗るのが筋というものだ」
少し拗ねているようにも見えるが、それは俺の気のせいだろう。そして彼女にはまだ、もう一つ言っておかなければならないことがある。
「これはあくまで応急処置なので、ジルコニアの攻撃が落ち着いたら、本格的な治療を受けてもらいます」
「……わ、分かった。それは、約束する」
「良かった。じゃあ、まずは塗り薬を塗るところから……痛みがあるところを、調べていきますので」
ラクエルさんは俺の言うとおりにしてくれて、痛みのある場所を特定できた。これで、次の一戦までは重大な怪我にはならない――と思いたい。
しかしまだ彼女には言っていないのだが、ここまで進行してしまった筋疲労や腱の負担、各部の炎症を鎮めるには、結構辛い治療をしなくてはいけない。それについては、実際に治療をする時に理解を得たいところだ。




