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第四十一話 中断された儀式

 霊導印は全身に描くもので、『選霊の儀』を終えると、視認することができなくなる。精霊魔法を使うときに一部が魔力に反応して発光することはある――つまり、アスティナ殿下は、不完全な霊導印によって魔力を消耗していたということになる。


(半分だけ描かれた、未完成の霊導印……彼女は、半魔法士とも呼べる状態だった。通常の人より魔力が多い彼女は、その状態で魔力を浪費しながら持ちこたえていたんだ)


 彼女がなぜ倒れたのか、その原因はもう分かっている。熱が出ているのは、魔力を短時間で大量に消耗したことによる、『魔力枯渇』の症状だ。適切な治療を行わなければ、意識が戻るまで最低でも数日を要するーー魔法士が魔力枯渇による昏倒を恐れるのはそのためだ。


 そしてアスティナ殿下が魔戦士としても力を発揮できるのは、霊導印が不完全だからだ。完全な魔法士ではないために、身体能力を魔力で無意識に強化することができる。


 考えたこともなかったが、魔戦士として剣術などを磨いたあと、魔法士になれば、両方の技術を習得できるのではないだろうか。『半分だけ霊導印を描かれた状態で、精霊との契約に至らず放置される』という状況自体、魔法学院では起こり得ないし、王族であるアスティナ殿下に対して『選霊の儀』を行おうとしたなら、施術したのは宮廷魔法士ということになる――何か理由がなければ、そんなことにはならないだろう。


「グ、グラス……待て。先ほど、アスティナ殿下を侍女が着替えさせているが、殿下は就寝時に下着をつけられない。それ以上、毛布を下げてはならぬ」

「あっ……す、すみません。しかしラクエルさん、魔法士にしか見えないとは思いますが、アスティナ殿下の身体には、お腹の辺りから下に、『霊導印』というものが描き込まれているんです。それを確かめたいんですが……」


 ラクエルさんは、薄暗い部屋の中でもはっきり分かるほど顔を紅潮させる――まさかそこまで恥ずかしがるとは思わず、俺の方が驚いてしまう。


「……身体の隅々まで見るのは、殿下自身の許可を得た時にしてもらいたい。足の先から、可能な範囲まで見ていくということでも構うまい。どうしてもというなら、侍女を呼んできて対処をさせる」

「は、はい、俺はそれで大丈夫です。ただ、治療方針については殿下が目を覚まされてから改めてお話させていただきますが、俺は途中で終わっている『霊導印』を完成させ、殿下が受けるはずだった『選霊の儀』に類するものを、完遂させようと思っています」

「な、何を言っている……それではまるで、殿下が……」


 ラクエルさんに話せば、彼女の動揺は大きいだろう――しかし、ただ全ての魔法を嫌っているわけではないと話してくれたのなら、きっと分かってもらえるはずだ。


「……殿下は、魔法士として精霊と契約する儀式を受けるはずでした。そのために必要な『霊導印』が、腹部から下半身にかけて描き込まれている。霊導印は描くことのできる人物が限られ、数日かけて描かれるものです。おそらく殿下は、半分まで霊導印を描かれたところで、中断されています……それが殿下の意志によるものかは分かりませんが」

「アスティナ殿下が……いや、そうか……レーゼンネイア王家の血を引く女性の中には、類まれな魔力を持っている者がいると聞く。その女性は、『王家の巫女』となる役割を担っていると……しかしそんな風習は、ずっと前に絶えたはずだ」


 魔法士が契約する精霊を選ぶのではない――精霊が、この世に生まれてきた生命の中から、契約する者を選ぶ。


 神樹ユーセリシスと契約するために、アスティナ殿下が生まれてきたのだとしたら。殿下が未来を読む力を持っているのは、彼女が王家の巫女となる資格を持っていることの証左なのではないだろうか。


 契約せずとも敵軍の動きを読む力を持っているなら、正式な契約を結ぶことができれば、神樹のもたらす神託は、常に敵国の攻撃にさらされる苦境を脱するための力となる。


「王家の巫女は、この要塞の南にある、廃棄された王家の庭園……そこにある神樹から、神託を受ける役割を持っていました。神樹は王家に捨てられ、人々にも忘れられ、周辺の地を腐らせてしまっている。けれど、神樹はまだ生きているんです」

「……それが、あの魔物が現れた理由か……神樹が蘇れば、あの灰色の土は止まるのか?」

「はい。殿下が『王家の巫女』として、神樹のもとを訪問してくだされば……そして、可能なら、殿下自身に神樹の精霊と契約していただければ。全てが、良い方向に向かいます」


 ラクエルさんは当惑を隠せず、殿下を見つめる――『剣姫将軍』と呼ばれる猛将であり、ラクエルさんに肩を並べる武人でもあるアスティナ殿下が、『王家の巫女』にもなる。


 殿下の魔力の消耗を止めるためには、『選霊の儀』を完遂させる他はない。ラクエルさんは目を閉じると、しばらく深慮して、やがて目を開いて俺を見つめた。


「……神という者がいるのなら、なぜ殿下にだけ、これほど重い運命をお与えになったのだ……」

「ラクエルさんが殿下を支えたいと思っているように、プレシャさんやディーテさん、他のみなさんも、全員が同じことを思っていると思います。俺とレンドルさんも、新参ですがこの国のために……いや、目に映る人たちのために力を尽くしたいと思っています。ほんの少しでも、殿下の背負うものを軽くできるように」


 ラクエルさんはただ頷きを返す。そして、彼女は自ら殿下にかけられた毛布を足のほうからめくっていく――引き締まっているが、女性らしい肉付きをした太腿にまできたところで、ラクエルさんは震える手を止めた。


 殿下の右太腿から、足先にかけて、霊導印が描かれている――だが、『選霊の儀』を完遂せず、塗料が定着しなかったため、薄れている箇所もある。


 この霊導印を身体全体に描き込んだときにどのような形になるかは、一度紙に書き写してから考える必要がある。


「……ラクエルさん、まず殿下の意識を回復させるための措置ですが、塗り薬と飲み薬の二種類があります」

「飲み薬……口移しというのは、意識のない殿下に対して行っていいことではない。もしそのようなことを無断でしようとすれば、おまえの良識を疑っているところだ」


 厳しく釘を刺してくれるが、ラクエルさんの顔は赤いままだ。本当は初心な女性なのかもしれない、と思ってしまう――言えば大変なことになりそうだが。


「しかし、そうなると塗り薬しか選択肢はない……医者の手で行うのが一番いいのだろうが……」

「いえ、ラクエルさんや、侍女の方でも構わないんですが。魔力を回復させるために使う塗り薬を、俺が指示するところに塗ってもらいたいんです」

「わ、私が……殿下の身体に触れるなど、無礼にあたる。私にそんなことはできぬ」


 殿下を深く尊敬しているのだから、治療のためにも協力して欲しいのだが、ラクエルさんは確かに手が震えているので、無理に手伝ってもらうのは良くない。


 では、侍女の二人にお願いしてみようと思ったのだが――呼んでみて頼んでみたところ、こんな答えが返ってきてしまった。


「お医者さま、これは治療でございますから。恥ずかしながら、素人の私どもでは、お医者様のご指示通りにできないやもしれません」


 三人の女性が、縋るように俺を見る――俺はケイティさんの姿を思い浮かべるが、疲れ切ってソファで寝ている彼女が、ここまで様子を見に来てくれているということもない。レンドルさんも同じだ。


(俺しかいない……い、いいのか。こんな……いや、一刻も早く魔力の消耗を補ったほうが、ラクエルさんたちも安心できるだろう)


「……おまえが役得などということを考えたりはしないというのは、これまでの人となりを見て分かっているつもりだ」

「お医者さま、どうかお願いいたします。施術以外のことでしたら、お手伝いできるかと思いますので」


 改めてお願いされ、俺はラクエルさんの評価が今日一日で大きく上がっていることを嬉しく思いつつも、申し訳なさは拭えなかった。


 塗り薬を塗布するための道具を取り出す――そしてラクエルさんと侍女二人の見守る中、殿下の身体に点在するチャクラ――魔力の回復を促すツボの部分――に、丁寧に軟膏を塗っていく。


「っ……そ、そんなところにまで……本当に必要なのか……?」

「お医者さまは真剣そのものです。これは必要なことなのです、ラクエル騎士長」


 そんなふうに実況されながら見守られると落ち着かないのだが、俺は手元が狂わないよう、全身に百八箇所あるチャクラに、軟膏を塗っていった。


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