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第三十九話 眠る王女

 俺はラクエルさんのことを、何があっても動じることがない女性だと思っていた。


 しかし今は、アスティナ殿下のことを俺に伝えるだけで、声は震え、その身体の震えも止まることがない。


 アスティナ殿下に何かがあったら、ラクエルさんも無事ではいられないだろう。彼女の忠誠はそれほどに深いのだ――それこそ、崇拝に近いものがある。


 言葉で元気づけるのは限界がある。俺ではなく、アスティナ殿下でなければ、ラクエルさんの不安を消すことはできないのだから。


 俺に今できることは、気付けに効く薬を出すことくらいだ。鎮静効果のある成分のエキスを、撹拌用の小瓶に入れて混ぜる――主剤となるのは、松の樹皮を煮詰めて作ったエキスだ。


 王国の南東部のみがわずかに海に面しており、その辺りに『海岸松』と呼ばれる松が生えている。その樹皮から取れる成分が、昔から民間で鎮静効果を認められてきたのである――俺は魔法を使い、その成分を高純度で集めようと試み、成功させていた。


「ラクエルさん、これを飲んでみてください。少し癖がある味ですが……」

「っ……そんなことをしている場合では……」

「いえ、必要なことです。殿下のところに行ったとき、不安を顔に出すことはすべきじゃありません。病は気からと言いますが、ある程度は本当のことなんです」

「……これを、飲めばいいのだな……んっ……」


 俺の渡した小瓶に入った赤褐色の液体を、ラクエルさんは一息に飲み干す。薬の中には苦くてそのままでは飲めないものもあるが、海岸松のエキス以外に入れたミントなどのハーブで、多少は飲みやすくなっているはずだ。


「効いてくるまで、少し時間がかかります。殿下のところに向かいましょう」

「……分かった。不甲斐ないところを見せて、すまぬ」


 やはり苦味があったのか、ラクエルさんは顔をしかめている――だがその印象の強い味が彼女の緊張をいくらか和らげたのか、表情が一瞬ほころんだ。


「……まずい薬だが、飲めなくはない……む……」


 薬は成分によって、効果を発揮するまでに身体の中でどのような過程を経るかが大きく異なる。


 内服で最も効果が早く出るのは舌下投与になるだろうが、これは舌の下で薬剤を保持する必要がある。俺の場合は、揮発性の香りの成分によって鼻腔を粘膜から中枢神経に作用させ、精神状態の改善効果を早めに得ることができる。体内での代謝を経て吸収される成分は、数時間をかけて効果を発現する――すぐに薬剤の効果が切れてしまうようでは意味がない。


「……胸がすうっとして……心が落ち着く。何なのだ、これは……」


 気味が悪い、と思われても仕方がない部分はある。王国に出回っている薬は、薬草などを粉にしたものをそのまま飲む形が多く、保存がきかないために抽出したエキスの形では売られておらず、せっかく有効な成分を含んでいても、純度が低くなってしまっているのだ。


 薬効成分を抽出したり、成分を選り分ける機材などは、研究機関しか保有しておらず、大量生産など現状では夢のまた夢だ。


 しかし、この要塞での医療に必要な分は賄えればと思う。機材がなくても、植物の成分を抽出できる俺なら、適宜薬を調合することは難しくない――と考えて。


 今更に気がつく。魔法嫌いなラクエルさんに、製造過程で魔法を使った薬を飲ませてしまったということに。


「……植物の精霊に力を借りる魔法。それで作った薬は、効能が高い……」

「すみません、ラクエルさん……何も説明せずに薬を飲ませたりして。確かに、今の薬を作る時に、魔法を使いました。弁解の余地はありません」


 ラクエルさんは俺の隣を、しばらく何も言わずに歩く――しかし、叱責の言葉が飛んでくることはなかった。


「私が魔法士を……魔法というものを憎むのは、個人的な事情だ。それは、グラス・ウィード……おまえの魔法を否定するというわけではない。魔法がこの国にとって必要なものであること、大きな可能性を持っていることは、私にも分かっている」

「……ラクエルさん」

「事情については、まだ話せぬ。おまえにこれ以上、私が脆い女だと思われては困る」

「そ、そんなことは……」

「思わないわけがない。私も、あのままの顔を殿下や部下に見せることが、どれほど情けないことかは自覚していた。おまえの薬のおかげで、面目を保てる……礼を言う」


 ラクエルさんは歩きながら頭を下げる。後ろで結んだ黒髪が肩に流れて、それを整え直す仕草が、今までで最も淑やかに見えた。


「……殿下の寝室に、本来は男を入れるわけにはいかぬ。しかし、殿下はグラスの実力について、すでに高く評価しておられた。一日目で実績を出していたのでな」


 衛生棟で患者の治療に当たったこと、プレシャさんの尋問に立ち会ったこと。後者に関しては、アルラウネの功績が大きい。


 それらのことを、殿下は評価してくれていた。ただ俺をラクエルさんの下につけて、それで終わりというわけではなかった――。


「あの方は、この要塞の兵全員から慕われている。指揮官は憎まれることもあるものだが、アスティナ殿下はそういったことが全くない。三千の兵全ての名を覚え、ひとりひとりの顔まで覚えている……そんな方だからこそ、先頭で戦い、味方を一人でも死なせまいとする。そのお心が、どれほど兵に、民に勇気を与えるか……」

「……殿下の容態を見てみなければ、分かりませんが。治療に全力を尽くします。殿下には、ずっと健在でいてもらわなくては」

「……頼む。私は、医術のことは何も分からぬ……グラス、お前に託すしか……」


 ラクエルさんが、俺に『託す』と言ってくれた。そんな言葉を聞くことができるのは、ずっと先になると思っていたのに。


 要塞の四階層からさらに上がると、屋上に出る。殿下の寝所は、屋上の上に作られた居館の中にあるそうだった。


 扉の前で警備をしている兵が、俺たちの姿を見て扉を開けてくれる。第三王女の居館というには飾り気がなく、殺風景と言ってもいい廊下を、ラクエルさんについて進んでいく――そして。


 兵ではない、侍女の女性が、ラクエルさんが耳打ちをすると、扉を空ける。中から顔を出した女性も侍女の姿をしており、その肌は薄暗い明かりの中でも、青ざめていることが見てとれた。


 中に入るように促され、俺はラクエルさんと共に部屋に入った。


 応接室を抜けて、寝室に通される――やはり、第三王女が使うものとしては簡素なつくりのベッドの上で、アスティナ殿下は眠るように目を閉じていた。


 そして俺は、ここまで来て、ようやく気がつく。精霊魔法士として、気づくのが遅すぎるほどだった。


 アスティナ殿下が存在しているだけで要塞全体を満たしていた魔力が、弱まっている。そして同時に、眠っているアスティナ殿下の身体の一部が、淡く輝いている――魔法士でなければ、この光は見えないだろう。


 なぜ、彼女が意識を失ってしまったのか。俺はラクエルさんが見守る中、殿下に深く頭を下げたあと、ベッドの傍らに近づいた。


「まず、殿下の症状について診断をします。ラクエルさん、立ち会ってもらえますか」

「……分かった」


 身体にかけられた薄い毛布越しにでも分かる、身体の発光。それを確かめるには――殿下の衣服を脱がせ、この目で見る必要がある。


 眠っていても、アスティナ殿下は息を飲むほどに美しい。しかし俺は一分も心を乱さないと誓って、毛布を引き、殿下の衣服の襟をそっと開いた。

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