第二話 伝言
何にせよ、長老の果実を今の時期に食べられるのは俺とその知り合いだけだ。戦いには役に立たなくても、日常では今の時点で十分に恩恵を受けている。
「無花果はそんなに好きじゃないけど……んっ。グラス兄がくれるのは美味しい」
かぷ、と小さな口でかじりつき、レスリーは白い喉を動かして果肉を嚥下する。
彼女は今日も健康そうだ――と、そんなことを気にしているのは、俺が宮廷魔法士の試験に落ちている間に、別の職業を模索したことによるものだった。
それは、『精霊医』。精霊魔法士の進路の中で、医者を選ぶ人はとても少ない――戦闘魔法士が得られるという報酬と比べると、医療で得られる報酬はとても低いからだ。
王国軍の考えでは、攻撃こそ最大の防御なのである。しかし俺は、物好きの職業とされる『精霊医』も、場合によっては必要とされる重要な職だと思っている。
最も、宮廷魔法士はほぼ戦闘魔法士であることが必須なのだから、精霊医となることは宮廷魔法士への道を諦めることと同義でもあった。
「……どうしたの? スヴェンと喧嘩でもした?」
「いや、そんなことはない。スヴェンは就職のために走り回ってるから、なかなか会えてないけどな」
「ふぅん」
あまり感心がなさそうにレスリーは言う。スヴェンというのは俺のルームメイトで、彼もまた俺たちと同じように、不遇精霊を引いてしまった一人だ。
百人あたりに五人くらいの比率で不遇精霊を引くのだが、そうなると戦闘演習の授業には全く参加できない。戦闘演習は地水火風の精霊魔法を使う想定で行われるので、それ以外の精霊使いは参加できないのだ。
今も修練場で模擬戦が行われているが、俺たちは出られない。それで三つ年下のレスリーも、自由行動でここに来られているというわけだった。本来なら自分のクラスにいるところだが、他の生徒がいないので彼女一人が自習になってしまう。俺とスヴェンも同じ境遇で、人のことは言えないが。
「レスリーが契約した『空気』の精霊は、風の精霊みたいに使えそうだけどな」
「『風』は『風』で、『空気』は『空気』。一緒じゃない」
俺はレスリーの魔法が、ともすれば戦闘にも使えるものであると知っている。『空気』というどこにでもあるものに宿る精霊に干渉できるのだから、使い方次第でとても恐ろしいことになりかねない。
例えば、空気に含まれる酸素を局所的に濃くしたらどうなるか。逆に、酸素を無くしてしまったら――それは少し過激な発想だが、大きな可能性を秘めているはずが、学院の基準では評価してもらえない。
それは学院の教師たちが、地水火風のいずれかの精霊と契約しているからでもある。それ以外の精霊は、教師たちにとっては『邪道』なのだ。
レスリーは俺が外れを引くところを見たいなんて言っていたが、彼女まで引いてしまったことについては、そこまで落ち込んではいないようだった。
空気の精霊は、植物の精霊とは、おそらく相性がいい。だけどそれを言うと彼女と共同研究をしようと誘っているように見えるので、俺は現状言い出せずにいるのだった。
魔法士の共同研究者同士は、結婚することが多い。同じ系統の精霊の使い手は相性が良いとされている――似たもの同士は上手くいかないとも言うが、精霊に関しては話は別だ。
それぞれ無花果を食べ終えたところで、レスリーがハンカチを貸してくれた。俺は手を拭いながら、彼女に尋ねる。
「レスリーは今日、何してた?」
「学院長室に行ってた。それで、次はグラス兄を呼んでくるように言われた」
「学院長が? ……レスリー、学院長から何か言われたのか?」
レスリーは何か言おうとしたが、口をつぐんだ。そして、唇に人差し指を当てる。
「今は内緒ってことか。わかった、とりあえず行ってくるよ」
「……ごめんなさい」
「謝ることはない。学院長の呼び出しなら、直接会ってから聞いた方が良さそうだしな」
彼女がこんなふうに謝るということは、学院長からの話は、気を楽にして聞けるものじゃないということだ。
「じゃあ、行ってくる。レスリー、呼びに来てくれてありがとうな」
「うん。グラス兄、また明日」
レスリーと別れて校舎に入り、学院長室に向かう。その途中で、俺はふと気がつく。
今日じゅうにもう一度顔を合わせる可能性もなくはないのに、レスリーは『また明日』と言った。それが少し引っかかる。
何にせよ、学院長と話してみれば分かることだ。俺は数日ぶりに見ることになる学院長の姿を思い浮かべつつ、歩みを速めた。