第三十六話 弓封じ
ラクエルさんの突撃を受け、隊列を組んでいた敵の騎兵たちは中央から崩される。
「――はぁぁぁっ!」
馬上槍を突き出しながらの、人馬一体となった一撃に、二騎がかりで止めようとした男性の騎兵たちが、ひとたまりもなく吹き飛ばされる。
彼女の視線の先には、敵将の旗がある。黒く塗られた布地にはジルコニアの紋章が描かれ、戦場の風を受けてはためいていた。
草木は地鳴りのような敵軍の歩みを感じ取っている。戦いに巻き込まれても、彼らは逃げることもままならず、ただ終わりを待つ他はない。
俺の声が届く距離ではない。陣形を崩されてもなお追いすがる敵騎兵を引き連れながら、敵将目掛けて突き進むラクエルさんを、止められない――。
「せいやぁぁぁぁっ!」
装甲を纏った軍馬が駆ける。超人的な膂力で槍を振るって風を巻き起こし、敵を、そして飛来する矢を薙ぎ払って、ラクエルさんは猛進する。
――しかし。軍馬を止めるためだけに組まれた、重装歩兵の槍衾が、ついにラクエルさんの進行を阻止する。
彼女に怯えはなくとも、馬は鋭く尖った槍の穂先を恐れ、大きくいなないて上半身を持ち上げる。手綱を引いて馬を落ち着かせながら、ラクエルさんは後ろから迫る騎兵を、槍を返して叩き落とした。
「ぐぁぁっ……!」
「我が名はラクエル=リトカーシャ、レーゼンネイアの将なり! ジルコニアの将よ、その腕に覚えがあるのならば前に出よ!」
(一騎打ち……無茶だ! 気付いてるはずだ、敵の両翼に射手隊がいる……!)
敵将は答えない――いや、部下への指示は下していた。挑発に応じることなく、射手隊は合成弓に矢を番え、彼女が受けきれないように、波状攻撃を仕掛けようとする。
アスティナ殿下の右腕であり、アイルローズ要塞の守備の要であるラクエルさんが、何の理由もなくここまでも無謀をするとは考えられない。
彼女の身体は、限界を迎えかけている。それが、命を捨てるような今回の行動を導いたのならば――。
例え彼女に頬を打たれようと、わずかな仕草に違和感を感じたことを伝えるべきだった。
「――やめろぉぉぉぉぉっ!!!」
矢が放たれるまでの時間を一瞬遅らせるだけでいい。
攻城塔までの距離よりもさらに遠く、敵の射手は百人近くもいる。
それでも、第一波の攻撃を、遅らせることさえできればそれでいい。
(敵の合成弓の材料には、イチイの木が使われている……つまり『植物』だ。俺の魔法で干渉することができれば……!)
弓は木の弾性を利用して矢を撃ち出す。しかし、その弾性が強化されればどうなるか――張力の強い弓は強弓とも呼ばれるが、突然平常時と同じように引けなくなれば、射撃を妨害することができる。
「――人の手により、姿を変えし樹木よ! 我が声に応じ、ひととき変性せよ……っ、樹木の強化!」
金属の武具が主流となる戦場で、木製の装備が存在することに、今まで俺は注目してこなかった――敵軍の装備を見る機会もなく、もし今の魔法が役に立つとすれば、木の棒を武器として使わなければならない時くらいだと思っていた。
「っ……ゆ、弓が、引けんっ……!」
「ぐぁっ……げ、弦が切れて……なんだこの弓は、欠陥品か……!?」
ラクエルさんに矢を射掛けようとした射手たちが混乱に陥る――その間に。
要塞から出陣したアスティナ殿下が追いつき、誤射を恐れてラクエルさんに近づけずにいた敵の騎兵たちに、アスティナ殿下の引き連れた騎兵が挑んでいく。
「殿下……この戦いは、私に……っ」
「無謀をさせることを、任せるとは言いません。無断で出撃したことについては、後で説明してもらいますよ」
「アスティナ殿下、ラクエル姉、加勢しますっ! あんたたち、邪魔だよっ……はぁぁっ!」
プレシャさんの姿が要塞から見えたのか、彼女の部下の騎兵たちも合流する――これで、敵将の率いる本隊と渡り合える。
魔法の消耗はすでに限度に達し、立っているのもやっとの状態だ。だが、ここも戦場だ――一刻も早く、要塞に入らなくてはならない。
「グラス様、お見事です……植物に干渉する魔法とは、このような草原では、無類の威力を発揮するのですね」
「戦いには使えないと思ってたんだけどな。少しでも役に立つのなら……」
ただ、戦いが終わったあとに騎士団員を治療するだけではない。
負傷者を減らすために、魔法を使う。そのために魔法の研鑽を積むことを考えながら、俺はレンドルさんと共に要塞に向かった。




