第三十五話 出陣
プレシャさんは顔を上げ、要塞西側で繰り広げられている戦いに目を向けた。
「っ……向こうから攻城塔が来る。城壁にハシゴを渡して、中に入り込もうっていうの……!?」
攻城塔――その実物を見るのは初めてだった。塔と呼ばれる通り、かなりの高さがある、移動式の櫓のようなものだ。敵の歩兵に守られていて、味方は手が出せずにいる。
ディーテさんも馬に乗ってこちらにやってくる。要塞の西側、そして北東――二つの方角で激しい戦いが起こっている。
「あの攻城塔を止めなきゃ……でも、北東も……」
「どちらを優先すべきか……こんなとき、鳥の目を借りることができたら……」
鳥の目でなければ、戦場を見渡せない――しかし、俺なら。
一面に広がる草の声に耳を傾ければ、視界が届かない場所の情報も得ることができる。
(しかし、流れ込んでくる情報が多すぎる……みんな、必死で戦って……死ぬな、死なないでくれ……!)
植物の視界を借りて見えたもの――要塞の北東から押し寄せた歩兵を、一騎の重装騎兵が一迅の黒い風となって駆け、馬上槍を振り抜いて弾き飛ばしていく。
例え魔戦士といえど、単騎駆けなどすれば、命を捨てているようなものだ。
それでもラクエルさんは、射掛けられる矢を盾で防ぎ、片手で巨大な槍を操り――その全身が悲鳴を上げているというのに、少しでも敵を減らそうと獅子奮迅の戦いを続ける。
「プレシャさん、北東に向かってください!」
「え……?」
「俺は、植物の声を聞くことができる。南西と北東の戦場がどうなっているか、ある程度情報を得られます……ラクエルさんは、北東に回す兵力を減らして、自分一人で可能な限り敵を防ごうとしているんです」
「なんですって……っ!」
ディーテさんが声を上げる。プレシャさんはラクエルさんがそんな判断をすると分かっていたのか、唇を噛んで悔しそうにする。
「敵は南西と北東から、運河を渡って攻めてきています。北東の敵はラクエルさんが止めていますが、西に兵を回しているのか、兵力が足りていません。北東は八百、要塞西側には千二百の兵がいます」
「……ラクエル姉は強すぎるから、部下の兵に戦わせたがらない。グラス先生、北東の敵はどれだけいそう? だいたいでいいから教えて」
「……北東は、千三百。歩兵が千、騎兵が三百です」
「っ……そんなに……あたしたちの騎兵は、全部で四百騎しかいない。北東に三百もいたら数で押し切られる……!」
全ての兵が出ていないのは、要塞に取り付いた敵兵を撃退するため、要塞内に残っているからだ。堀を渡ろうとする敵兵も、一人残さず倒さなくてはならない。
ラクエルさんが連れている騎兵は百五十騎。倍の騎兵を相手にしても、ラクエルさんはよく押さえている――しかし、多勢に無勢が過ぎる。
「他の攻撃隊長は、全員が西に回っています。それなら踏みとどまれる……」
「わかった、あたしがラクエル姉に加勢する。でも、その前にあの攻城塔だけは、潰してから行かないと。要塞に敵を入れるわけには……」
「それは、俺に任せてください。俺が、必ず攻城兵器の機能を封じてみせます」
そう話した時には、俺はすでに、植物に働きかけていた。
攻城塔は、その車輪で草地を削りながら進んでいる。動力は、攻城塔の側面から張り出した棒を押している十数人の兵士たちだ。
――片輪だけを、草を絡ませて止める。そうすれば片側だけが前に進もうとして、重心を崩すことができるかもしれない。
俺は地面に手を突き、植物の精霊に訴えかける。瘴気の中で使い果たした魔力は、神樹に与えられた雫によって、一度大きな魔法を使うだけの余力が戻っていた。
「大地を覆う緑草よ。我が敵を阻み、妨げよ……『足絡み』!」
距離が遠く、足止めするものも大きい――魔法が功を奏するかは、正直を言えば賭けだった。
――しかし、魔法の効果は、俺の予想を遥かに超えていた。
「な、なんだ……足元から草が……うわぁぁぁぁっ!」
「う、動かない……ビクともしない……うぉぉっ、動けっ、動けっ……」
「馬鹿、やめろ! 無理に押すな、車輪が外れる……っ!」
悲鳴のような敵兵の声のあと、ガコン、と音が聞こえ――そして。
片側の車輪が外れた攻城塔は傾き、草原の真っ只中で動きを止める。囲んでいた兵士たちが混乱したところを、味方側の騎兵が切り込んで、敵の陣形は総崩れとなる。
「グラス先生、ありがとう……! あたし、ラクエル姉に加勢してくる!」
「はい! プレシャさん、ご武運を……!」
プレシャさんが馬を駆けさせ、要塞の北東に向かう。
――だが、その時にはすでに、北東の戦局が大きく動いていた。
要塞から、数人の騎兵を従えて出陣したのは――白銀の鎧を身につけた、金色の髪を持つ一人の武将。
剣姫将軍アスティナ。彼女が直々に、ラクエル騎士長の部隊の応援に向かっている――そこにプレシャさんも加わったのなら、必ず北東の敵も押し返せる。
アスティナ殿下が敵の騎兵と剣を交えた瞬間に、この戦いは勝利で終わると確信する。彼女はそう思わせるだけの圧倒的な剣技と、戦場の空気を支配する覇気を持っていた。




