第二十二話 食糧事情/敵襲のあと
鐘が鳴って騒然としたのは半刻ほどの間で、すぐに辺りは静けさを取り戻した。敵が来たとしても少人数だったか、斥候などで攻撃部隊ではなかったのだろうか。
衛生棟の患者たち全てを診て、一人ずつ落ち着いたことを確認したあと、俺は一人ひとりに『手当て』をして分かったことを診察記録に書き留めた。
分かったことは、病人食として彼らが食べているものが、療養中の患者にとって十分なものではないということだった。
しかし、特定の栄養が欠乏しているというのは、実は戦場から離れた首都の人々にも、珍しいことではなかったりする。
比較的欠乏が多く見られるのは、体内の色々なところで消費される微量な鉱物である。これも、緑の葉野菜や木の実の類を摂ればある程度補給できるのだが、何らかの事情で土壌の質が悪化し、本来含まれるはずの栄養が抜けていることがある。
患者は野菜や果物が食糧庫に不足していても、ある程度は確実に摂取できるように配慮されている。しかしケイティさんに頼んで食料庫を見せてもらったところ、保存してある野菜などはどれも生気が薄く、質がいいとはいえなかった。
(産地の土壌が悪化している……一度、見てみないと駄目だ。土壌改善の方法は、首都でしか広まってないなんてことはないはずだが……)
「ここ二、三年の間、魔物が畑に出るようになって、食糧の生産量が少なくなってしまったんです。果樹園なども被害を受けていて……天然の果樹は付近の住民にとっても貴重なものですから、無理に徴収するというわけにもいきません」
「魔物……俺も、ここに来る途中でゴブリンを見ました。そういう類ですか?」
「いえ、作物を枯らしてしまう魔物だそうですが、詳しくは……その魔物に占拠された土地は、危険なので近づくこともできなくなるんです」
話を聞く限りでは、非常に質が悪い魔物だ。そんな魔物が繁殖して増え続けたら、近場から食糧を調達することができず、遠方からの輸送に頼ることになる。
そしてもう一つの問題、医薬品不足も解消が難しくなる。食糧を作る畑がやられているのに、薬草栽培に当てる余力など捻出しようがない。
「その魔物について、騎士団に救援が要請されたりはしていますか?」
「はい、何度か。その度に対応はしておりますが……根源を絶たなければ意味がないということなのか、問題解決には至っていません。むしろ、被害は広がるばかりです」
「……分かりました。色々と教えてくれてありがとうございます」
「い、いえ、こちらこそ、来ていただいたばかりのグラス先生に頼りっぱなしで……休んだ方がいいなどと、偉そうなことを言ってすみませんでした。グラス先生がいてくれたおかげで、部下もみんな安心していましたし」
やはり評価をされるということには慣れておらず、今のは空耳じゃないかとか、我ながら卑屈なことを考えてしまったりする。
しかしケイティさんといい、プレシャさんといい、信頼を得たあとの態度の変化が大きい。男性として意識されていることも、髪や耳を触ったりする仕草から伝わってきてしまう。
「……今日はもう遅いですから、次はじっくりと、今後の活動についてお話できたら嬉しいです」
「俺こそよろしくお願いします。それじゃ、俺はこれで……さっき何があったか確かめに行ったら、やっぱり邪魔になりますか?」
「どうでしょう……負傷者がいたら、こちらに報告が来ると思うのですが」
ケイティさんは衛生棟の外に出て様子を見に行くが、誰かが来る気配はない。負傷者はいないということなら、やはり大事にはならなかったということだ。
「要塞内を夜間に歩くと、警備の兵に呼び止められるかもしれません。もし上に行かれるのであれば、明るいところを歩いてくださいね」
「は、はい。俺も不審者扱いはされたくないですから、気をつけます」
「ふふっ……さっきまで修羅場だったのに、もう落ち着かれているんですね。グラスさんのこと、頼りなさそうだと思っていましたけど、私の見る目が無かったんですね……申し訳ありません」
こうして見ると、仕草の一つ一つに色っぽさがあって、つい見とれてしまう――と思っていると、外出するときは色付きの眼鏡をつけ、立て襟のコートを着ているレンドルさんが俺のことをじっと見ていた。
「グラス様は、大人の女性に弱いようですね。学院長にぜひ報告しなくては」
「い、いや、弱いってわけじゃ……弱いかもしれないが、強ければいいというものでもないしな」
「あらあら、そんな……レンドルさん、どうか内緒にしておいてくださいね。シルヴァーナ魔法学院のミレニア・ウィード学院長といえば、『翡翠の魔女』と呼ばれたお方。もしお機嫌を損ねては大変ですから……あら?」
ケイティさんは自分で言っていて気がついたようだった。俺と、学院長の家名が同じであることに。
「……学院長は、お子さんがいらっしゃるようなお年でしたか?」
「い、いや……俺は、弟です。といっても、親は違うんですが」
「まあ……義理の弟さんなんですね。それって、もしかして禁断の……だったり?」
「いえ、そういうことは全く……それこそ義姉さんの耳に届いたら怒られますよ」
「すみません、私ったらそんなことばかり想像力が豊かで……でも先生もいけないんですよ、信じられないくらい素敵なところを見せてしまいましたから。衛生隊の十六歳から四十歳までの隊員みんなが、先生のファンになってしまいましたよ」
まさかそんな、絵に描いたような話のあるわけが――と言い返そうとしたが。
俺たちのいる部屋の様子を、先程まで衛生棟内で奔走していた衛生兵たち――それどころか、落ち着いた患者さんまでもが見に来てしまっている。
「人望は一日にして成らず、と思っておりましたが。一夜にして成ることもあるのだと、グラス先生に教えていただきました」
徐々に結果を出して信頼されればと思っていたが、最も重要な、俺の職場となる場所で居場所を得られたというのは、良かったとしか言いようがない。
だが、やはり目が微妙にギラギラとしているというか、食堂でも視線は感じたのだが、さすがの俺でも『狙われている』と認識せざるを得ない。
それよりも、俺が診るまで生気のない目をしていた患者さんも、回復の兆しを見せていることが嬉しい――というのは、綺麗にまとめすぎだろうか。とにかく職場の空気を乱さないよう、今後も気をつけていきたいと思う。
◆◇◆
要塞を囲む城壁に上がるには、四階まで行かなければならない。ディーテさんが射手隊を率いて守備に就いていたとしたら、状況について聞くにはそこまで上がらなくてはならない。
軍医が関心を持つ範疇ではないので、このまま居館に戻るべきか――と考えていると。
「ん……あれは……」
城壁が内側に円形に張り出しており、中庭から入れそうな扉がある。そこが開いたかと思うと、中から出てきたのはディーテさんだった。
「お、お疲れ様です、ディーテさん。あの扉の中には、上に行くための階段があるんですか?」
「いいえ、人力ですけれど、一階から各階まで移動できる装置ですの。ケイティがいつも気にしますから、負傷者は無いと伝えに来たのですわ。角笛で伝えてもいいのですけれど、こんな夜分ですものね」
ディーテさんはさらりとした赤い髪を撫でつけながら言う。弓を射やすくするための胸当てを着けていて、戦闘に備えていたことがうかがえた。
「アスティナ様のおっしゃっていた通り、敵の部隊が川を渡ろうとしてきましたの。対応が遅れれば城壁まで取りつかれるところでしたが、水際で防げましたわ」
防いだ――つまり、敵兵を射殺したということ。ディーテさんは微笑んでいるが、どこか少し虚しそうにも見える。
「……皆にはとても言えませんが。自分が死ぬ恐れのない戦いを、私は多くするべきではないと思っていますの。殺して良いのは、殺される覚悟をしたものだけですから」
「……この要塞にいる皆は、ディーテさんや射手の人たちに感謝してます。安全に戦うことが悪いとは、俺は思いません」
ディーテさんは何も言わず、俺を見ていた。その気品に溢れた美貌を見て、改めて思う――戦の中でなければ、おそらく彼女は公爵家の人間として、戦場ではなく社交場に出ることを常としていただろう。
「慰めが欲しかったわけではないのですが。あなたは、私を恐れないんですのね」
「恐れたりしません。この国の誰もが、あなたがたを誇りに思っています」
「……これから貴方を、生き残りを探しに連れて行くと言っても?」
――城壁から射手隊の攻撃を受け、それでも生き残った兵がいるとしたら。ディーテさんは、それを確かめるために降りてきたのだ。
最初から俺を連れて行くつもりだったかは分からない。城壁の上から、さらに数人の兵が降りてくる――ディーテさんに同行する部下だろう。
「分かりました、同行します。レンドルさん、先に居館に戻っていてくれ」
「……かしこまりました」
一緒に来ようとしていたレンドルさんを先んじて制すると、彼は少し逡巡したが、俺の指示に従ってくれた。
「では……行きましょうか。迷いなく来てくれて、感謝しますわ。貴方、馬には乗れて?」
「いや、乗馬の経験は……」
「それなら、私の馬に同乗してもらいますわ。私の愛馬に、貴方が気に入られたらですが」
ディーテさんは部下と共に歩き出す――城門の外に出るための通用門へと向かうようだ。
果たして生き残りがいるのか、それとも。俺に求められるのは、軍医としての目で生存者がいるのかどうかを見定めることだ。




