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第十九話 精霊の送還

 騎士たちは幹部クラス、小隊長クラス、そして兵卒で居室が別れている。衛生兵の居館は来訪者の宿泊施設を兼ねており、他の兵卒の宿舎と比べると造りが上等だった。


 城壁内部に中庭があり、そこに兵たちの居館が建てられている。木々の向こうにある白塗りの建物――魔法学院の校舎にも近い作りで、少し懐かしさを覚える。


 二階建ての居館で、ケイティさんを含めて衛生兵四十八名が生活している。要塞の兵士は総員で三千名で、この規模の要塞は、王国の東西南北に一つずつしかない。


 しかし、少し前のジルコニアの攻撃直後は、衛生兵一人が十人の治療を担当するという、まさに修羅場という状況にあったらしい。過労や病気で療養に入る衛生兵も多く、十六名が新兵だという。


 俺たちを案内してくれた人は、衛生兵の中でも古参で、ケイティ隊長よりも一回り年上だった。新兵の期間を無事にくぐり抜けられれば、長く現役を続けられる兵は多いのだという。


「グラスさん、あんた一人が来てくれたところで、正直を言ってまだまだ焼け石に水なんだ。今衛生棟にいる怪我人だって、治るまで一月かかりそうなのがごろごろいる。これで次に敵が攻めて来たら……」

「……前任の軍医の方は、今どうなさっているんですか?」

「要塞の中じゃ治るものも治らないから、今は近くの町で療養してる。この要塞に食料や資材を運んでくれる、ウェンデルって町にね」


 ポルトロから出発したあと、しばらくして近くを通り過ぎた町があったが、この辺りではもっとも栄えているように見えた。おそらく、あれがウェンデルだったのだろう。


「まあ、町にいても一人で、調子が悪くなってね……プレシャ攻撃隊長は、彼女の友達だったから、時々迎えに行ってる。この庭で、散歩なんかしてね。それだけ見てればねえ……何も、昔と変わらないんだけど……」


 さばさばとして見えた女性が、目を潤ませ、乱暴に拭う。レンドルさんも、俺に背を向けている――どうやら、もらい泣きしてしまったようだ。


「……俺に、何かできることがあるかもしれません。一度、面会できるといいんですが」

「一月に一度は、ここに来る。その時に、プレシャ攻撃隊長に頼んでみてもらえるかい。彼女は男嫌いだから、機嫌が悪いときは近づかない方がいいけどね」


 俺がプレシャさんに『グラス先生』と呼ばれていることを話しても、恐らく信じてはもらえないだろう。プレシャさんは、部下に怖がられていると言っていたし。


 前任の医者。これから俺は、彼女の書いた診断記録を方針の参考として、軍医としての活動を始めることになる。


 しかし、俺は一つの可能性を考えていた。俺は、人に触れることで、その相手に欠乏している栄養素などを特定し、それを保有する植物を想起することができる。


 つまり、原因の判明していない病気であっても、治療の手がかりを掴むことができる。想起した植物が、手に入る場所にあるものでさえあれば。


   ◆◇◆


 案内された部屋は、二人部屋といっても、居間が一つあって、そこから二つの寝室に移動できるという造りになっていた。来客が複数人で一緒に来た場合でも、一つしか寝室がないと問題があるので、狭くとも部屋を分けられるようにしたらしい。


 身分の高い人間が要塞の視察に来るとき、主人と何人かの従者で来るということがあり、そのときは特に、主人と従者が同室で寝ることは原則としてできないので、そういった状況に対応する必要があったわけだ。


「来客用の部屋を、占拠してしまっても大丈夫なのでしょうか……?」

「まあ、当面は空いているってことならいいんじゃないか。居間に机があるし、ここで書き物なんかもできるな……照明も置いてある」

「……グラス様は、勉強家だと伺っています。ですが、あまり根を詰められませんように。ケイティ様もおっしゃっていた通り、少し疲労が見えます」

「そうか……? まだ、元気は余ってるんだけどな。早速、診断記録を見ることにするよ。レンドルさんは、そろそろ帽子は脱がないのか?」

「では、外してまいります。そちらの部屋を使っても良いでしょうか?」

「ああ、そっちをレンドルさんの寝室にしてくれ。俺はもう一つの部屋にするよ」


 レンドルさんからアルラウネを預かる。彼が寝室の扉を閉めたあとで、アルラウネが目を覚ました――だが、寝ぼけているような顔だ。


「……召喚主様……そろそろ、精霊界に戻る時間みたいです……」

「ど、どうしたんだ急に。この要塞の中は、魔力が満ちてると思うんだが……」

「この力は、私がここにいるためだけに使ったらいけない力なのです。本当は……こんなにいっぱいなのは、危ないのです……」


 アルラウネの姿が薄れる――そして、花弁がその場で散るような幻影が見えて。後には、媒体として使った球根が残された。


 この要塞には、俺以外に魔法士がいない。つまりアスティナ殿下がそこにいるだけで大気中の魔力量が増大していることを、誰も察知できていないということだ。


 俺もまた、対面しているときは彼女の存在感に圧倒されるばかりで、異常を異常として認識できていなかった。彼女に神秘性を与えているのは、常に溢れ出している魔力のためだ。


 アスティナ殿下がどのようにして今のような魔力を得たのか、今すぐにでも聞きたい。だが、俺は彼女から遠ざけられ、直属とはならなかった。


(……今すぐに、アスティナ殿下の身体にさわりがあるわけじゃない。彼女は体調の異常を、一切表に出さなかった。何かあるとしても、周囲には隠しているのか……ラクエルさんも、知らないのか……?)


「……グラス様、いかがなさいましたか?」

「っ……あ、ああ、レンドルさん。ごめん、少し考え事をしてた」


 帽子や、眼鏡などで顔を隠しているときは、レンドルさんになぜか中性的な印象を持った――だが、いざ帽子を外し、眼鏡を取って見ると、少年のようではあるが、しっかりと男性的な面立ちをしている。


「帽子を脱ぐと、印象が変わるな。雰囲気が違うっていうか……」

「よく言われます。眼鏡や帽子をつけているほうが、個人的には落ち着くのですが」


 本当に、別人のようだ。まとう空気が変わったとでも言えばいいのだろうか――今のレンドルさんなら、アルラウネは半信半疑でなく、彼を『お兄さん』と呼ぶだろう。


 鳩胸と言っていた胸も、かなり胸板が厚いように見えたのだが、コートを脱いでシャツだけになってみるとそうでもない。


「グラス様、どちらからご覧になりますか? 診断記録は、傷病者の名前順にまとめられているようですが」

「とりあえず、全部持ってきてもらえるか。今日中に全部目を通すつもりだから」

「……ご無理はなされませんように。と言っても、グラス様はお聞きにならないお方。秘書の私にできることは、少しでもお手間を減らすことです」


 そう言ってくれるレンドルさんは、控えめに言っても俺が想像する『理想の秘書』そのものだった。


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