第十八話 同僚
「すー……すー……」
アルラウネはレンドルさんの膝の上に座っていたが、しばらくするとうたた寝を始めた。衛生棟は日当たりを考慮して作られており、暖かいので眠ってしまったらしい――水と光だけで生きられるというが、実体化しているだけで魔力を消耗するので、温存する意味もあるのだろう。
衛生棟では、衛生兵たちが負傷者の治療に従事していた。二階以上が病室になっており、一階には処置室、診断室、衛生兵の控室や更衣室などがある。俺たちは談話室に通され、衛生隊長の話を聞くことになった。
「改まして、私は衛生隊長のケイティです。グラスさんは、魔法学院から来られたとのことで……聞いていた通り、まだお若い方なんですね」
「初めまして、グラスと言います。できるだけ早く軍医として役に立ちたいと思っています」
「ありがとうございます。早速、現在衛生棟にいる負傷者の治療についてご相談したいのですが……まだ到着したばかりですので、明日から診察をお願いするということでよろしいですか?」
「今までの診療記録は残っていますか? それを見て、早急に対処できることがあれば、今日からでも……」
「いえ、グラス先生は捕虜の尋問に立ち会われたと伺いました。それもありますが、少し顔色が白くなっています……すみません、失礼しますね」
ケイティさんが立ち上がり、テーブルに身を乗り出して、俺の額に手を伸ばしてくる――何事かと思ったが、熱を測りたいということのようだ。
「お熱は……微熱、でしょうか。ですが、疲労があるようなので、ご無理はなさらないでください。今日は部下が宿舎に案内しますので、夕食の時間まで休まれてはいかがですか」
「いや、俺はそこまで疲れては……」
「ケイティ様、診療記録の持ち出しはできますか?」
「はい、軍医の方であれば。一部の診療記録については、機密となりますので、閲覧には患者の方の同意が必要になります……あら、そうだわ」
何か閃いたというように、ケイティさんが手を合わせる。そして、ずっと静かに話を聞いていたラクエルさんを見た。
「ラクエル隊長、せっかく軍医の方が来ていただいたので、改めて診察を受けてはいかがですか」
「……前は少し痛みがあったが、今はそうでもない。グラス殿たちの案内は終わった、私は通常の任務に戻る。グラス殿は、明日の朝の朝礼が終わったら私のもとに来ること。よろしいか」
「はい。ラクエルさん、ここまで案内してくれてありがとうございます」
「……一つ言っておく。アスティナ殿下がグラス殿を直属としなかったことを、悪く思わないでほしい。王室の指示に背いたことについても、外で喧伝することのないように頼む……この通りだ」
ラクエルさんに頭を下げられる。あれほどの武人が、まだ赴任したばかりで右も左も分からない俺に、頭を下げるなど――本当は、あってはならないことだ。
俺はアスティナ殿下に仕えるために、宮廷魔法士の末席に加えられた。ラクエルさんの下につくのは、当初考えていた形とは違う。しかしそれを、不満には思わない。
それは俺が、王室の中でアスティナ殿下が置かれている状況の一端を知ったからでもある。
もし、武器の密輸を指示したのが第二王妃であるなら。彼女がこの要塞と幾度も交戦しているジルコニア軍に通じたのなら――もはや、出来心では済まない。ジルコニア軍の攻撃で、アスティナ殿下が命を落とす、それを第二王妃が望んでいるということになるから。
(王位というものが、こんなにも人を妄執に駆り立てる。俺にその気持ちは、一生理解できそうにないが……殿下の思想を俺はまだ詳しく知らないとはいえ、国のために戦っている殿下が陥れられるようなことがあってはならない)
自問してみても、答えは自分が思うよりはっきりとしていた。俺はまだ見たこともない王室の人々より、人々を救うために戦っているアスティナ殿下を信じる。
「俺は、絶対に裏切りません。宮廷魔法士の資格を与えられたのは、ただアスティナ殿下に仕えるためですから」
「……すまぬ」
その謝罪は、どこに向けられたものか。
彼女がアスティナ殿下の置かれた苦境を、傍で見てきたのだとすれば――敵は誰なのか分かっているのに、それを明らかにできないことを詫びているのか。
第二王妃を警戒し、その企図を阻めばいい。しかし、それが簡単にできれば苦労はしない。今回の武器密輸のように、武器が流れた後で発覚しても遅い。
ラクエルさんが退出したあと、ケイティさんは席を立ち、俺の肩に手を置く。この人の触れ方はごく自然で、さっき額に触れられたときもそうだが、警戒心を抱かせない。
「グラス先生の言葉、きっとラクエル隊長は嬉しく思っています。彼女の魔法士に対する感情は、簡単に変えられるものではないと思っていましたが……グラス先生なら……」
「……努力します。今は、それしかできない。ケイティさんにも信頼してもらえるよう、まず軍医としての能力を示します」
「分かりました。では、診療記録を持ってきます。部下にお部屋まで運ばせましょうか」
「お願いします。レンドルさん、アルラウネの面倒を見てもらってすまない。代わろうか?」
「いえ、大丈夫です。ケイティ様、お部屋のことなのですが……」
レンドルさんが尋ねると、ケイティさんはにっこりと笑って答えた。
「グラス殿一人で来られていたら、女性の兵と一緒に寝泊まりをしてもらうことになっていましたが。男性二人ということでしたら、お二人で一室を利用していただく形にいたしますね。普段は使わない、外部からの訪問者が利用する空き部屋がありますので……ええと、レンドルさんでしたか。どうなさいました?」
「い、いえ。秘書の私にもそのような配慮をいただき、お手数をおかけします……」
レンドルさんも俺と相部屋でいいということのようだ。俺は新しい拠点となる部屋がどのようなものか想像しつつ、案内に来てくれた人についていった。




