第十六話 円卓
アイルローズ要塞の全てを動かす、幹部たちが会議を行う円卓の間。
そこに座して待っていたのは、アスティナ殿下――そして彼女の右側にはラクエルさんが、逆隣りにはディーテさんが座っている。
他にも女騎士が二人ほど控えているが、彼女たちは幹部ではないらしい。席にはつかず、殿下のことを護衛しているようだ。幹部よりは劣るが、要塞の中で見た他の騎士たちとは一線を画する威風を感じる。
王女を近衛兵が護衛するのは当然のことだ。『剣姫将軍』と呼ばれる所以は、アスティナ殿下自身の武人としての強さもあるのだろうが、第三王女は何を置いても守られる立場でもある。
「アスティナ殿下、グラス・ウィード医師をお連れしました」
「ありがとう、プレシャ。あなたも席に着いてください。グラス医師と、従者の方も」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
俺はレンドルさんと並んで礼をすると、円卓を挟んでアスティナ殿下たちと向かい側に座った。
「グラス、貴方が来ることは事前に聞いていましたが、もう一人については報告を受けていません。それについて、説明をお願いできますか?」
「彼は俺……私の秘書で、レンドルという者です。軍医の仕事を補佐してもらうために、魔法学院の学院長が、執事協会に要請して派遣してくれたのですが……男子禁制とのことですから、要塞内で生活することが難しいようでしたら、最寄りの町に宿を取らせていただければ幸いです」
ここに来るまでに言おうと思っていたことを、殿下に伝える。男子禁制ならば、俺も元から要塞の中に滞在する方向では無かったかもしれないし、仕事をさせてもらえるのなら、屋根のある寝床であればどこでも有り難いという気持ちだ。
「プレシャから、我が騎士団の軍医についての状況は聞きましたか」
「それについては、前任の軍医が今療養中であることを話しました」
「そうですか。今、この軍には専任の医師が一人もいません。衛生兵も負傷を治療することはできますが、重傷や病気にはうまく対応できない状態です……管理部には、今までも何度か医師の派遣を要請してきたのですが」
「その要請で、私が選抜されたと学院長からは聞いています。『精霊医』という職業は耳慣れないかと思いますが、医者としての教育は受けております」
拷問に立ち会ったからといって、それで医者としてすぐに信頼されるというわけではない。
しかし、自分のことをあまり語りすぎると、それもまた信用を落とすように思えて、俺はそれ以上言葉を続けなかった。
沈黙して静かに考えるアスティナ殿下とラクエルさんが、あまりにも端正な美貌をしているからというのもある。ディーテさんやプレシャさんも美人だが、この二人のまとう風格には、別格と言うほかないものがあった。
「……あなたの精霊は、戦闘向きではない。しかし、医療には向いている。そう、考えても良いのでしょうか。『精霊医』とはどのようなものか、私は寡聞にして知りません」
「は、はい、アスティナ殿下。グラス先生は、精霊の力で、口を割らなかった捕虜を……」
「プレシャ、御前である。意見を求められた時のみ、発言せよ」
「っ……も、申し訳ありません、ラクエル騎士長」
ラクエルさんに窘められ、プレシャさんは萎縮してしまう。それを見ていたディーテさん――いつの間にか着替えて、まるで令嬢のような私服に変わっている――が、扇子で口元を隠して笑った。
「大人しい顔をして、拷問に立ち会っても平然としている。そして、何か貢献をしたというのなら、ラクエル隊長……彼は、実力を示したと言ってもいいのではありませんか? そんなに邪険にしては可哀想ですわ」
「邪険にしているわけではない。ディーテ、公爵家の人間は軍議の場に扇子を持ち込むのか? 前から言っておきたかったのだが」
「ふふっ、隊長がお姉さんみたいなことを言っていますわ。一つ年上なだけでしょうに」
ラクエルさんは騎士全てを束ねる騎士長で、アスティナ殿下に仕えている。つまり、ディーテさんよりラクエルさんの方が立場が上のはずだが、ディーテさんはほぼ対等の態度で接している――それも、公爵家の令嬢であるからなのだろうか。
「プレシャ、尋問の結果はどうなったのですか?」
アスティナ殿下に質問を向けられ、プレシャさんがびくりと震える。
殿下は目を伏せ、長い睫毛が白い頬に影を落とす。それは一瞬のことだが、殿下の瞳が深い憂いを帯びて見えた。
――彼女には、おそらく予想がついていたのだ。国を裏切り、ジルコニアに通じていた者たちが誰なのかに。
「……後で、私の執務室に来てください。プレシャ一人で構いません」
「殿下、私は……」
「ラクエル、あなたは色々と抱え込みすぎるところがあります。まずプレシャからの報告を精査して、あなたには後で伝えます……安心なさい、隠し事などはしません」
「はっ……申し訳ありません、決してそのようなことを疑ったわけでは……」
この騎士団の力関係が見えてきた――ラクエル騎士長は、アスティナ殿下に対して、崇拝ともいえる敬意を抱いている。
アスティナ殿下の命令が絶対であろうことは、今のやり取りだけで十分に察することができた。
――そんなふうに他人事のように考えているから、次の殿下の発言に意表を突かれることになる。
「ラクエル、グラスは我が軍における、現状で唯一の軍医です。王室からは、彼を私の直属魔法士にするようにとの通達が来ていますが、私よりもこの騎士団そのものが、彼が機能することを求めている。私は、そう判断します」
「殿下、では……」
「グラス・ウィード。あなたをラクエルの直属の配下とします。今後は、彼女の指示に従ってください」
「っ……は、はい。ご命令を、承りました」
まさか、そんな命令を下されるとは――騎士団という組織に加わる以上、組織図のどこかに組み込まれるというのは納得がいくのだが、よりによって魔法嫌いのラクエル騎士長の直下に入るというのは、どうなのかと思う。
「ディーテ、あなたは城壁西側の射手に指示を出してください。ジルコニア軍の近日の動きから、今日あたり工作を仕掛けてくる可能性があります」
「はっ……かしこまりました。私は、そのために呼ばれていたんですのね」
そのやりとりを見て、俺はわずかに違和感を覚える。なぜ、アスティナ殿下は確定した未来のように、敵の動きを予見することができるのか。
『剣姫将軍』――その呼び名から、剣の腕が優れていることは想像がついたが。それだけではない。
アスティナ殿下は、幹部たちの信頼を一心に集めるだけの軍略家でもある。直ちに円卓の間を出て行くディーテさんの背中を見れば、それが理解できた。
殿下とプレシャさん、そして近衛兵たちも退出していく。残されたラクエルさんは席を立つ前に、独り言のように言った。
「だから普段着になど着替えるなと言ったのだ……全く、言うことを聞かぬ」
ラクエルさんも、気苦労が絶えない。自由に振る舞うディーテさんに、普段から気を揉んでいるようだ。
魔法嫌いの彼女が、俺が部下についたことでさらに心労を重ねてしまわないように、何とか彼女の信頼を得なければいけない。
立ち上がったラクエルさんがこちらに歩いてくる。今は鎧の上を着ていないので、上半身が鎧下だけの姿になっている――何がどうというわけではないが、想像を絶している。鎧を着ているときは胸の装甲が物凄く厚いのかと思ったがそうではなく、中に二つの大きな質量が収まっていたのだ。
(……いや、待て……ラクエルさんの動きが、少し変だ。痛みをかばってるような……)
あれだけの重装鎧を身に着けて馬上槍を振るうことで、いくら魔戦士といえど、ラクエルさんの身体は非常に大きな負担を強いられている。それが、何でもないように見える所作に、そして歩き方に、わずかな違和感を与えていた。
しかしそれを指摘すべきかと考えているうちに、彼女の方が口を開く。
「……グラス・ウィード。軍医として今後何をしてもらうかは、前任者の日誌を見て、ある程度は自分で考えてもらう。私から指示があるまでは、医務室で待機せよ」
「は、はい……承りました」
「何を怯えている……もっと堂々と返事をしろ。プレシャとここに入ってきたときは、そんな情けない顔はしていなかったぞ」
いきなり怒られてしまった――確かに、いきなり話しかけられたからといって、狼狽えている場合じゃない。
「まず、宿舎を決めねばならん。私の後についてくるがいい」
そう言いつつ、ラクエルさんは先に出ていく――俺と一緒に席を立ったレンドルさんは、バタンと閉じられてしまった扉を前にして、小さくつぶやいた。
「……殿下とご一緒できなかったので、ラクエル様は不機嫌なのでしょうか」
「ま、まあ……そうかもしれないが。それは、言わないようにな」
俺もレンドルさんと同意見だったが、新参者の俺にはどうにもできない。
プレシャさんから伝えられた事実を、殿下がどう受け止めるのか。ラクエルさんにはどんなふうに伝えるのか――そして、殿下が予見したジルコニアの攻撃は、無事に防ぐことができるのか。
赴任して早々に色々なことが動き出している。しかし俺は、軍医として早く周囲に認められるように、できることを一つ一つこなしていくだけだ。
「……何をしている、グラス・ウィード。置いていくぞ」
わざわざ外からドアをノックして、ラクエルさんが呼んでくれる。魔法嫌いと言っても、常にそれを表に出すわけではない。その気遣いに恐縮しつつ、素直に有難く思った。