第十五話 軍医の在り方
アルラウネによる催眠は、長くかけすぎると自我が変容する可能性がある。花粉の濃度を上げた時点で危険だと判断していたので、今日の尋問はそこまでとしてもらった。
首領の男に対する尋問もまた、日を改めることとなった。プレシャさんはずっと心ここにあらずという状態で、俺の進言に従ってくれる。
しかし俺はあくまで新参で、尋問が成功したからといって、立場が逆転しているような状態は好ましくない。他の騎士団幹部たちが今の彼女を見たら、俺が地下牢で彼女に何かをしたように見えてしまうだろう――それだけ、彼女は憔悴しきっている。
捕虜たちが受けた鞭の生傷を完全に消すこともできるが、それでは拷問を担当した人々の立つ瀬がないとも分かっていたので、ある程度は残した。医者としては本来すべきではないことだが、苦痛を罰として受けるだけの罪を、彼らは犯している。
「プレシャさん、この草を噛んでみてください。気付けによく効きます」
「……ありがとう……」
ここまで魂が抜けたようになってしまうとは――それだけ、北方騎士団の裏切りと、その裏で王室の人間が動いているという言葉が、彼女にとって受け入れがたかったのだろう。
アルラウネの力で強制的に気付けをすることもできるが、彼女の花粉は耐性のない人には劇薬となりうる。見た目こそ愛らしい少女のようだが、彼女は人の生気を吸う妖花でもある。
「……苦味があるけど、気分が落ちつく」
「その草は鎮静効果があります。冷水で抽出すると、飲み薬にもできるんですが……保存性に難があるので、生でかじってもらうのが一番です」
「そうなんだ。あんた、薬を作ったりもできるんだね。あたしが育った村の医者は、効くかどうかも分からない民間療法っていうのでお金を取ってるようなやつだった。首都の学院で勉強した医者は、全然違うんだ……」
この国の医療は、世界の水準と比べるとそれほど発達しているとは言えない。首都では一定の品質を保証された丸薬や膏薬を買い求めることができるが、プレシャさんの言うとおり、地方では民間療法、伝統の治療法に頼るしかないというのが現状らしい。
ポルトロの町で会った診療所の医者も、俺が患者の状態を説明してもすぐに理解してくれず、必要なことを申し送りするのに少し苦労させられた。
国境守備を行い、山賊や魔物との戦闘も日常的に行っているこの要塞に、他に医者がいないということがありうるのだろうか。軍医が不足している、とは言われていたが。
◆◇◆
俺たちは牢番にあとのことを頼み、要塞の一階に上がった。プレシャさんは俺を幹部のところに案内すると言って、それからしばらく何も言わずに俺達の前を歩き続けたが――三階まで上がって、次の階段に向かうための廊下の途中で、不意に後ろを伺い、俺の横に並んできた。そのまま歩いていると、彼女から話を切り出してくる。
「……さっきは、ごめん。あたし、頭に血が上ると止められなくなって……いつもやりすぎて、ラクエル姉に怒られてる。部下のみんなにも怖がられてて、あまり大きな仕事は任せてもらえないんだ」
プレシャさんの強さは、まだ一度も槍を振っていなくても十分に伝わってきた。
殺気だけで胸を貫かれて殺される、そう錯覚させられるほどの気迫だった。それでも、彼らは自白しなかった――槍で心臓を突かれて殺されることよりも、彼らに武器密輸を依頼した人間からの報復を恐れたのだ。
「プレシャさんの気持ちも分かる……と言うのは、おこがましいと分かってますが。あの状況では、仕方がなかったと思います」
「……あんたが……ううん。ええと、こんな言い方急にしたら、気持ち悪いって思うかもしれないけど……せ、先生が居てくれたから、あたしは要らない人殺しをしなくて済んだ。もう何百人って手にかけてるのに、今さらこんなこと言うのおかしいけど……」
レンドルさんが緊張するのが分かる――その気持ちは、俺にもわかる。
プレシャさんは、その振る舞いから感じていた通りの豪傑だった。まだ若いというのに、幾多の戦いを生き抜き、対峙した相手を屠ってきたのだ。
「……もともといた軍医は、戦場の悲惨さに耐えかねて、心が壊れちゃったんだ。国境を超えて、ジルコニア軍が仕掛けてきたことがあってね……要塞は落ちなかったけど、敵の兵はたくさん死んだし、敵の新しい兵器で兵たちに死傷者も出た。そして、魔法士の攻撃もあった……あいつらはいつも姿が見えないところから、壊して、殺してしまう」
戦争において、魔法士が求められる役割。学院においても、優秀とされる要素――遠距離からの破壊と、大量殺戮。
その被害をこの要塞も受けたのなら、そこに居合わせた軍医は、どれほど凄惨な光景を目にしただろう。
「その子はまだ要塞に残ってくれてるけど、無理はさせられない。男だったら、拷問に立ち会わせたって簡単に病んだりしないと思った……そんなこと考えておいて、あたしの方が先に熱くなって、殺すとか殺さないとか……本当、最低だよね……」
「……いや、俺は立ち会わせてもらってよかったと思ってます。自分で言うのもなんですが、血を見たり、ひどい怪我を見ても、全く動揺はしないんです。俺にとっては治すべき患者であることに変わりはないので」
精霊医の資格を取るために勉強するとき、患者に感情移入をしすぎるなと、試験の場で監督官に言われた。
前任の軍医が持たなかったのは、優しすぎたため。それは悪いことではなく、人として素晴らしいこと、自然なことだと思う。
しかし俺は、感情の揺らぎが施術に影響を与えることを知っている。だからこそ、どんな患者を見ても動じない精神を養おうとした――いつでも生きとし生けるものを静かに見守る、植物の精霊たちから学んだのだ。
「……グラス先生って、見た目は強そうでもなんでもないのに、なんか……大きいね。押しても倒れなさそうっていうか」
「プレシャ様、グラス様をあまり翻弄するようなことをおっしゃらないでください。秘書の私から、差し出がましいこと言うようですが」
「あ……ご、ごめん。秘書って、グラス先生と一緒に来たんだ。そっか、二人だったら、他の人と相部屋にしない方がいいよね。二人で一緒の部屋にしてもらわないと」
「っ……そ、それは……グラス様がよろしければ……ですが、可能でしたら、小さくても良いので、私の部屋は別にしていただけると……」
確かにいきなり相部屋というのは、男同士でも大丈夫という人と、そうでない場合があるだろう。スヴェンも最初は「同じ部屋に人がいると落ち着いて寝られないな」と言っていた――まああいつは肝が太いので、そう言った直後に寝落ちしていたが。
「軍医のための専用部屋があるわけじゃないけど、衛生兵が集まってる区画があるから、そこの部屋にしてもらおうか。後で衛生隊長に引き合わせるね、これから行く『円卓の間』には来ないから、またその後で」
「円卓の間……そこに、アスティナ殿下が?」
「ラクエル姉……騎士長もいるよ。射手長のディーテさんにも招集がかかってるから、あまり待たせると射られちゃうかもね」
先程まで思い詰めた様子だったプレシャさんが笑顔を見せる。
状況が深刻であることに変わりはないが、話していて少しでも気が楽になったのなら良かった。そう思いつつ、俺は円卓の間がある要塞の四階に上がった。