第十四話 催眠
アルラウネの花粉は、生物の鼻腔粘膜に付着すると、その場で催眠効果のある物質に変化して、脳に移行する。この物質は花粉そのものと違い、体内の免疫機構には全く引っかからない。この物質はほとんどが魔力でできており、粒子も血中の色素などと比べて、非常に小さなものだと考えられる。
軍で使用されている自白剤の類は、身体にかかる負担が大きすぎるため、拷問で体力を失った捕虜に使えば生命に関わる。しかしアルラウネの場合、本来生物を養分にするために催眠を行うため、生物の身体に負担をかけるのではなく、むしろある程度活性化させる。
えげつない話ではあるが、この美しい花の生存戦略には恐ろしいものがある。精霊界においては土壌から得られる養分だけで事足りるようだが、ひとたびこの世界に召喚されると、他の生物から養分を確保することに非常に貪欲になるのだ。
しかし召喚した直後に契約してしまえば、アルラウネのそういった性質は脅威にならない。俺はこの妖花の生態を研究する上で、一度も危険な目に遭ったことはなかった。
「これ……な、何が光ってるの……?」
「アルラウネの花粉です。見ての通り、狭い空間で効果を発揮します。こういった場所なら確実に、相手に花粉を吸い込ませることができる……一定以上花粉を吸ってもらわないと、効果が発現しないので」
「か、花粉って……吸い込んだらくしゃみが出るやつじゃないの? あれがいっぱい出てる季節は大変で……」
花粉を吸うことで、体内の免疫反応によって生じる物質が、くしゃみや目、鼻の痒みなどの症状を引き起こす。アルラウネの花粉は免疫反応を起こさないため、俺達が吸い込んでも何も起こらない。
――しかし、標的となった捕虜たちは別だ。
虚ろになっていた、ぼろをまとった女性の表情が変わる。力が抜けたというか、ぼーっとしている状態になった――これで成功だ。
催眠状態になると、アルラウネと召喚主である俺の言うことにだけ従わせられる。俺は無言で見守っているプレシャさんを見やる――彼女は恐る恐るという様子で、頷きを返した。
「あなたにこれから、幾つかの質問をします。それに、淀みなく答えてください」
「……はい……」
あれほど頑なに話すことを拒絶していた女性が、あっさりと頷く。その表情は柔らかく、かすかに笑みすら浮かべている――我ながら医者にあるまじき、危険なことをしていると思う瞬間だ。
俺は捕虜――というより、催眠施術をしている患者の情報を書き留めるため、レンドルさんに指示してノートを出してもらう。この要塞で働き始めてから使おうと思っていたものだ――革のカバーには『診察記録』と箔押しがされている。
拷問の際に捕虜の手を置く台――おそらく爪を剥がしたりする時に使うものだ――は、今はもう必要ない。俺はその台を机にして、患者の様子を注意深く観察しながら語りかけた。
「あなたは、なぜ国境を超えて向こう側に行ったんですか?」
「……ジルコニア帝国に……私たちの、内通者がいて……武器の、取り引きを……」
「っ……まさか、敵に武器を流したっていうの……? あたしたちの国の武器は、ジルコニアより優れてるのに……っ」
プレシャさんにとっては、許しがたい事実だろう――しかし今は怒りを飲み込み、全て聞き出さなくてはならない。
「あなたたちの首謀者は誰なんです?」
「そいつならさっき捕らえてきて、部下が別の牢に入れたとこだよ」
「……首謀者は……その、男性です……」
「っ……!?」
既に捕まえ、追い込んでいた捕虜のうち一人が首謀者だった。つまり、騎士たちは誰も、彼らという組織の実態を掴めておらず、何も内情を把握できていなかったということだ。
プレシャさんが二人の男のうち一人を引き立てるが、催眠にかかっており、脱力している。見れば三十代に差しかかった男で、もう一人と似たような服装をしているのは、自分が首謀者であると見抜かれないようにするためだと推察できた。
「……じゃあ、あの隠れ家に残ってたのは、ただの下っ端だったってこと?」
「彼らは、山賊……その人は、山賊の首領です……私は、今回の武器取引のために、雇われて……」
彼らが何をしていたのか、大方の全容が見えてくる。おそらく、ジルコニア帝国は彼らに大きな見返りを約束していたのだろう――山賊たちは国境を超えて取引をする危険を犯してでも、得られる利益の大きさに目が眩み、売国行為に手を染めた。
「山賊が、どこからジルコニアに売るような武器を調達したの?」
「……それは……」
「召喚主様、この質問には抵抗が大きいようです。この人間の精神に大きな負担がかかっていますが、質問を続けますか?」
アルラウネの催眠にかかっていても、一定の生存本能は維持される。
この女性は死ぬことよりも、この先を話してしまうことを恐れている。それでも俺は、この先に進まなくてはならない。
「……グラス様、もし心苦しいのであれば……」
「大丈夫……どのみち、聞かないといけない」
それが、どれだけ目を背けたくなるような内容だったとしても、向き合わなくてはならない。
プレシャさんはもう何も言わず、ただ俺を見ていた。どうするのかと問うわけでもない、彼女もまた選択の余地がないと分かっているだろう。
「この質問は、避けるわけにいかない。武器は、どこから入手したんですか?」
アルラウネの花粉が濃さを増す。それでも少し抵抗を見せたあと、女の瞳から光が薄れ、唇が動いた。
「……北方、騎士団……王室の、人間を通じて……武器を、流せと……」
――プレシャさんが、牢獄からは見られない天を仰いだ。
北方騎士団。プレシャさんにとっては、所属は違えど仲間であるはずの騎士が、武器を敵国に売り渡していた。
この事実は、アスティナ殿下、そしてラクエルさんにとっても、受け入れがたいことだろう――裏付けが取れてしまえば、敵は同胞だと思っていた者の中にいるということになる。