第十一話 要塞
国境線となっている運河の内側に作られた、城壁に囲まれた砦――それがアイルローズ要塞だ。
砦の周囲には堀があり、運河から水が引かれている。堀の内側にある城壁の上にはいくつも射手用の窓が作られて、敵兵が堀を渡ろうとすれば矢の雨を降らせる、そんな光景が想像できる。
(ここは前線なんだ……それを、改めて実感させられるな)
堀を渡る橋は、東側にある正門からしか掛けられない。俺達の一行が砦の兵から見えたのか、出迎えるように丸太で作られた門が上げられ、跳ね橋が渡された。
橋を渡るとそこには中庭があり、馬車が停められる。俺達が降りると、御者は運賃を受け取って、再び外に出ていく。
アスティナ殿下たちも馬を降りて、砦の中に入っていく。そこで、初めてラクエルさんが顔を覆う鉄兜を脱いだ――中に収まっていた、緑がかったブルネットの髪が広がる。
あの巨大な馬を駆り、槍を操る姿からは想像できないほど、彼女の容貌からは物静かで淑やかという印象を受ける。想像以上に、線が細いのだ。
(そうか……普通なら、あんな重い鎧を着て、自分の背より高い槍を振るえない。彼女は、『魔戦士』なんだ)
魔法の才能を持つが、魔法を学ばず、魔力を身体能力の強化に使う人間を魔戦士と呼ぶ。
一度魔戦士となると、魔法士の道に鞍替えすることはできない。同様に、魔法士も魔戦士にはなれない――ラクエルさんは魔法をあえて学ばずに魔戦士となったのだろうか、と想像する。
それなら、筋骨隆々の鍛え上げられた身体でなく、女性らしさを失わずに剛勇無双の力を振るうことにも納得がいく――いや、鍛えられているのだが、筋肉が肥大しているということはなく、首筋もほっそりとしている。
ラクエルさんは槍を部下に預けると、こちらに歩いてくる。俺に用があるのではない――続けて城門の中に入ってきた部隊を出迎えたのだ。
入ってきたのは、一人の騎士――三叉の矛を担いで、芦毛の美しい馬に乗っている。
青みがかった短い髪に鉢金をつけ、いかにも勇ましいが、面立ちや所作にはどこか子供っぽさが残っている――先程会ったミーナと、年頃は変わらないだろう。
「ただいま、ラクエル隊長。そいつが例の新しい軍医ってやつ?」
「そうだ。あまり、怯えさせないようにな」
「何甘いこと言ってんの。医者が来てくれたなら、あたしの仕事が捗るってもんでしょ」
「……アスティナ様には、グラス……その医者との面談について、夕刻になるとお伝えしておく。プレシャ、無事に連れてこなければ、貴君を罰することになるぞ」
「分かってるって。この仕事が向いてれば、長い付き合いになるだろうしね」
プレシャと呼ばれた女性がこちらを向く。人懐っこい笑みを浮かべているのに、何かディーテという女性よりも、あるいはラクエル隊長よりも迫力を感じる。
「あたしはプレシャ、ここで攻撃隊長をやってる。今日はラクエル隊長とは別行動で、領内の治安維持っていうのをしたんだけど……捕まえた悪党の口が固くてね。これから、情報を吐かせないといけないわけ」
「俺は、グラス・ウィードと言います……情報を吐かせるって、それは……」
聞くまでもないと言うように、プレシャは微笑む。しかし、その目は笑っていない。
「そう、拷問。やりすぎて喋れなくならないように、医者がついててくれると助かるなと思って。初仕事としては重いけど、やってくれるよね」
それは質問ではない、命令だった。アスティナ殿下も、ラクエル隊長も、ディーテさんも――全員が、プレシャの行動を黙認している。
「……グラス様、このような命令には……」
レンドルさんも、今の空気を異様だと察し、俺を気遣ってくれる。
拷問に立ち会わせるために軍医を呼んだ。初めからこの仕事をやらせるつもりだった――誰も望まないだろう、人を苦しめ、追い詰める仕事。
だが、それをやらなければならないのは、プレシャさんも同じだ。むしろ、これまでずっと彼女が拷問を担当してきたのなら、必要悪を担ってきた彼女を尊敬さえする。俺たち王国の民は、国境で戦い、治安を守っている騎士団に、例外なく守られてきたのだから。
「……これも、騎士団にとって重要な仕事だ。俺も立ち会います」
「うん……なかなか度胸があるみたいだね。骨のあるやつは嫌いじゃないよ」
プレシャさんの部下が、捕虜を砦の中へと運び込んでいく。そして彼女は、俺についてくるように促して歩き出した。
「レンドルさん、心配ない。俺もただ、命令に流されてるわけじゃない」
「……はい。グラス様が、そうおっしゃるのであれば……」
騎士団での拷問がいつもどのように行われているかは知らない――捕虜を死なせないために軍医である俺を同席させるというなら、俺は自分のやり方を提案する。
情報を聞き出すためだけなら、凄惨な拷問など必要ない。それを、プレシャさんにも分かってもらえるといい――新参の俺が攻撃隊長に意見するには、決死の覚悟が必要になるとしても。