第十話 羊飼いの娘
牧草地から一時間ほどかけて町に着き、そこで俺たちは羊飼いの親子と別れた。
ポルトロの町というところに着き、そこの診療所にいた医者に、俺がした治療についての簡単な覚え書きを渡した。といっても容態は安定しているので、何も心配はない。そこは俺も医者として、責任を持つべきところだ。
「先生、俺は羊を飼うことしかできねえが、この辺りで商売をやってる関係で、商人連中には顔が利く。何か礼ができることがあったら、いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます。ですが、今は養生することが第一ですよ」
握手を求められたので、その手を握り返す。ごつい手で、俺のように勉強しかしてこなかった人間には、真似のできない厚みを感じた。
「お……すみません先生、うちの娘も改めて礼がしたいようで。いつもは奥手で、男は苦手だなんて言ってるんですがね」
「お父さん、グラス様に余計なことは言わないで」
「『様』っていうことはない、医者が患者を治療するのは当たり前のことだから……い、いや、何をニヤニヤしてるんですか、お父さん」
「お義父さん、と来たか……なんてな。いくら気に入ったからって、先生も急にそんなこと言われちゃ困っちまうわな」
お父さん――もといおじさんが豪快に笑う。すっかり元気になったようだが、元気になりすぎるのも少々困りものだ。
「……グラス様、そろそろお時間ですが?」
「あ……ご、ごめんレンドルさん。もう行くよ」
ずっと横で控えているレンドルさんが、何かピリピリしているような気がする――今のやりとりに、何かまずいことがあっただろうか。
「……に……のバカ……」
「えっ……レ、レンドルさん。今、『バカ』って言わなかったか?」
「そんなことは決して言っておりません」
レンドルさんはにべもなく言うと、そっぽを向いてしまった。やはり機嫌を損ねてしまったようなので、後でフォローしなくては。
おじさんが診療所の医者に呼ばれて建物の中に入っていき、後には娘さんが残される。改めて見ると、髪を後ろで結っておさげにした、素朴だが愛嬌のある女の子だ。
「あ、あの……グラス先生、申し遅れましたが、私はミーナと言います……」
「あ、ああ。覚えておくよ……それじゃ、ふたりとも元気で」
ミーナの緊張が思わず俺にも伝染してしまい、微妙に動揺してしまう。レンドルさんの口が引き結ばれて微妙に不機嫌そうに見えるので、俺は秘書との友好関係を優先することにした。
「……可愛らしい方ですね、ミーナさんは」
「か、勘弁してくれ……わかった、俺が悪かった。義姉さんにも釘を刺されたからな、女性が多いからって浮つくなって」
「……い、いえ。慕われることは悪いことではありませんし……私こそ申し訳ありません、秘書としてわきまえず、良くない振る舞いを……」
レンドルさんは思い直したのか、俺に謝ってくれる。しかし、今の様子を見ていると、やはりミーナの様子を見て思うところがあって、不機嫌になっていたようだ。
(つまりレンドルさんは、俺に対する独占欲的なものを持っている……ま、まあ変な意味じゃなくて、俺に気を引き締めてほしいってことだよな。男同士だもんな)
俺の葛藤をよそに、レンドルさんは歩いているうちに少し落ち着いたのか、小さな声で話しかけてくる。
「……グラス様、素晴らしい手当てでした。色々なお薬をお持ちなのですね」
「ああ、落ち着いたらレンドルさんにも説明するよ。それとさっき、汗を拭いてくれてすごく助かった。ありがとう」
「いえ、それが私の務めですから。助手としてお力添えができましたら光栄です」
胸に手を当ててレンドルさんは言う。そんな彼を見ながら、俺は思う――さっきは指摘されなかったが、男性が二人で男子禁制の騎士団に行くのだから、一人増えたことの説明は必要だろう。
ひとまず、置いていかれないうちに馬車に戻らなくては。俺たちは診療所の前で見送ってくれているミーナに軽く手を上げたあと、再び旅路に戻った。