第九話 精霊の癒やし
「この種類の毒なら、確実に解毒できます。常に、何種類かの解毒剤を持ち歩いているので」
「……本当に……その薬で、毒を……」
「ええ、消せます。俺は患者さんに、絶対ウソはつきません」
男性の身体が発熱している――俺はレンドルさんに頼んで水と布を手配する。過剰な熱は身体の組織に悪影響を残してしまうので、体温の調節に気を配らなければならない。
その指示を見たところで、男性はついに、俺に向けて頷いてくれた。
「頼む……俺には、娘が……俺がいなくなったら、あいつ一人に……」
「大丈夫、必ず治ります。俺を信じてください」
医者として学んだことを、ここで活かす。戦いでは騎士たちに助けられたが、俺にもできることがある――それが、医療。
腫れている傷をレンドルさんが持ってきた水で洗い流し、創傷に薬を塗り込む。そして決して異物が入らないように、指先に神経を集中する――身体の中にある毒もまた、植物から抽出されたものだ。
解毒剤と、毒。二つがうまく作用して無毒化するように、俺は詠唱を始める。
「血液解毒……!」
毒が侵そうとする神経。普通に薬を内服しても、作用するまで時間がかかる――一刻も争う解毒には、患者の体力を補いつつ、血液の流れを早めさせてもらい、解毒成分を直接送り込むしかない。
「……グラス様……」
レンドルさんが俺のことを気遣い、額に伝う汗をハンカチで拭ってくれる。おかげで集中を切らさず、精密さを要求される施術を、短時間で終えることができた。
針をマッチで熱して消毒し、傷を縫合する。止血と痛み止めには、俺が昔から頼っている自家製の塗り薬を使用した。これで癒着を防ぐことができ、大きな傷が残ることもない。皮肉にもゴブリンの矢が鋭く磨かれていたことで、傷が単純な直線を描いており、最小限の縫合で処置を終えることができた。
「……身体が……徐々に、痺れてきてたのに。痺れが……抜けて……」
「もう大丈夫ですよ。あとは、この薬を二日ほど、朝晩服用してください。傷の治りが早まる薬と、抵抗力を回復させる薬です」
毒を受けると、毒に抵抗するために免疫が疲弊し、一時的に機能しなくなることもある。解毒すればそれでいいわけではなくて、事後の回復が重要だ――抵抗力が弱まって他の病気になってしまったら、元も子もない。
「……ありがとう。ありがとう……先生、あんた、名前は……?」
「俺はグラス・ウィード。魔法学院から来た、精霊医です」
そう名乗って、顔を上げたとき。ラクエルという騎士が、金色の髪を持つ騎士と一緒に、牧場の娘らしい少女を連れてやってきていた。
「お父さんっ……良かった……」
「……この先生が、助けてくれたんだ。もう大丈夫だ……しばらくすれば、立ち上がれそうだからな……」
「いえ、念のために診療所にも行った方がいいでしょう。この近辺には……」
「この付近の村に医者はいません。少し遠い町に出なくてはならない……そこまで、騎士団の者に送らせましょう」
「あ、貴方様は……アスティナ様……!」
男性が驚きの声を上げる。父親の無事を喜んでいた娘もまた、弾かれるように立ち上がって、何度も頭を下げた。
やはり、この女性がアスティナ殿下だった。他の騎士たちとは拵えの違う白銀の鎧に身を包み、金糸を縁取りに織り込んだ白いマントを着けている。金色の髪は近くで見ると編み込みをしており、長い後ろ髪は三つ編みにされている。
陽の光を浴びると、その姿は神々しいとしか言いようがなかった。領民が崇拝するような態度を取るのも、無理からぬことだ。
「我が民を治療してくれたことに感謝します。グラス・ウィード……思っていたよりは、医者としての能力は優れているようですね」
「はっ……こ、光栄に存じます。しかし俺……ではなくて、私は……」
思わずしどろもどろになってしまう。これが第三王女の持つ品格――ディーテという弓騎士にも気品を感じたが、それとはまた質が異なっている。
彼女は既に統治者の風格を持っている。それでいながら、民を守るために自らこの山間にまで足を運んだ――偶然近くにいたということなのかもしれないが、本来なら王女がゴブリン掃討の指揮を執るなど、有り得ないと言っていいことだろう。
「……私は、精霊医として自分ができる限りのことをしようと思い、殿下のもとに馳せ参じるつもりでおりました。その信念に従い、行動した結果です」
「その決意、しかと受け止めました。しかし、水を差すようなことを言いますが、我が騎士団は男子禁制……貴方がどのような立場に置かれるかは、私たちが本拠としているアイルローズ要塞にて、幹部たちと話し合うと決まりました」
医者として、ある程度の技術を見せた――それだけでは、すぐに信頼してもらえるわけにはいかないらしい。
ラクエルさんも幹部のようだが、魔法嫌いということで、俺に対しては警戒しているように感じる。ディーテという女性はそうではないようだが、あえて新参である俺に肩入れしてくれることはないだろう。
「貴方がたの乗ってきた馬車は、部下が保護しています。要塞までの移動中は護衛をさせますので、何も心配はいりません。では、また後ほど」
「ありがとうございます、アスティナ殿下」
三人の騎士は馬を歩かせ、公道に向かう。彼女たちは先に要塞に戻るらしい。
「グラス様……大丈夫です。王女殿下は、必ず認めてくださいますから」
「……そうだといいな。二人とも、それじゃ町まで一緒に行こう」
「はい、グラス様。騎士団の方々が、今後しばらくこの辺りを巡回してくださるそうです。何もかも、あなた方のおかげです……本当に、ありがとうございました……!」
父親に逃げろと言われた娘は、町に助けを呼びに行く途中で、偶然にアスティナ殿下の一行と会い、助けを求めたのだという。
――なぜ、王女がこの辺りに居たのか。そのことが少し気にかかったが、今は頭の片隅に追いやり、親子と共に馬車へと向かった。