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第九十九話 嵐

 山から現れたゴブリンは、俺たちのいる牧場小屋方面にも戦力を振り分けているが、大きな個体が何体もいる本隊ともいうべき集団が、ロートガルト将軍麾下の三百の騎兵めがけて猛烈な勢いで突撃をかけている。


「前よりも数が多い……それに、部隊を分けている。こっちに来る数は多くないな」

「召喚主さまには近づけさせない。でも味方に聞こえないようにしないと、みんな全滅する」


 レイはさらりと言うが、事実なので苦笑するほかない。レイの『絶音』は、彼女の声が届く範囲にいる人間の精気を吸い尽くしてしまう。


「私に任せてくれれば大丈夫。今のグラス兄の魔力は、前より強くなってるから……受け止めるのは、ちょっと大変だけど」

「レスリーお姉さんなら大丈夫れす……です。召喚主様の力が強くなっても、レスリーお姉さんは絶対傷つけないのれす」


 やはり成長しても舌が回らないことに変わりなく、あどけない口調のレイだが――俺が考えていることをしっかり代弁してくれている。


 魔法士同士には相性があり、それが悪ければ互いの魔法が干渉して打ち消し合ったり同士討ちをしてしまうこともあるが、俺はレスリーと組んでいてそういった不都合を感じたことは全くない。


「分かった、レイ。思い切り歌ってくれ……こちらに来るゴブリンを、できるだけ多く行動不能にするんだ」

「かしこまりましたれす。すぅ……」


 レイが深く息を吸い込む――植物精霊の呼吸は光や大気を吸収して力に変え、地面から魔力を吸い上げること全てを含んでいる。


 俺たちの方に向かっているゴブリンたちには対処できる。だが問題は、殿下たちに向かってきている本隊と言える集団――第一波だけでなく、山から第二波の姿が見えて、応戦しようとした騎士たちが混乱している。


「しょ、将軍殿……あの数では……っ」

「あの巨大なゴブリン……あれは、特異個体では……っ」

「魔物の姿を見て恐れるな! 奴らは怯えているものから襲ってくるぞ! 奮い立て、剣を振るえ! ……おぉぉっ!!」


 ロートガルト将軍が剣を振るい、ゴブリンが放ってきた矢を弾き飛ばす。付き従っていた騎士は矢を盾で受ける――木の矢が鋼鉄の盾でも突き立つのは、ゴブリンの一団の中に魔法で矢を強化する個体がいるからだった。


「――ギィィッ!」

「魔法を使うゴブリン……あの一団は邪霊によって操られているのか。ならばその邪気ごと消し去るのみ……『翡翠の海に君臨する風の女王よ。すべてを拒む風の壁で、我が敵を阻め』」


 その詠唱こそが、『翡翠の魔女』と呼ばれる由来――精霊界に存在するという海の一つ、翡翠色の海原。そこに君臨する風の女王は、テンペストの名を冠している。


「ギ……ギギッ……」

「――グガァァァァッ!!」


 ゴブリンたちも本能で恐怖を覚えているのが分かる――しかし巨大なゴブリンが咆哮して、立ち止まることを許さない。


 持っていた棍棒を、巨大なゴブリンが投擲しようとする。狙いはミレニア義姉さんだ――騎士たちが前衛の役割を果たそうとしても、敵は構わずに義姉さんを狙うほど、彼女の周囲に与える威圧感は凄まじいものだった。


「「「――ギシャァァァッ!」」」

「温室育ちの騎士よりも、魔物の方が果敢か。皮肉なものだな」


 小型のゴブリンたちが棍棒の投擲に合わせて矢を放つ――しかし。義姉さんの背中に寄り添うように現れた、翡翠色の透き通る姿をした精霊の女王が、空中を撫でるようにして風を起こす。


 投げられた棍棒が、降り注ぐはずの矢が。ピタリと空中で風の壁に遮られ――方向を変えられて、放ったものたちへと撃ち返される。


「ギィッ……!」

「グガッ……!」


 ゴブリンたちの眉間に、肩に、跳ね返された矢が突き立つ――それでも構わずに、刃物を持った前衛のゴブリンたちが、アスティナ殿下に肉薄する。


「汚い刃を殿下に向けるな……っ!」

「――あんたたち、ぼさっとしてるならあたしたちに任せて下がってなよっ!」


 ディーテさんの矢が突出してきたゴブリンの額を射抜く。何匹倒されても彼らは怯まない――死を恐れない捨て身の攻撃は、重武装の騎士にとっても脅威となる。


「うぁっ……う、馬を狙って……こいつら……っ」

「ぐっ……な、何を飛ばして……」

「ま、魔法……ゴブリンが魔法を……っ、うぁぁぁぁっ!!」


 小型のゴブリンは小型の刃物のようなものを投げつけて騎士たちを翻弄し、巨大なゴブリンの肩に乗った、雌のゴブリン――その手に持った髑髏で飾られた杖が振られ、黒い魔力の炎が撃ち出される。邪霊の力を源とする炎は鎧を貫通して被害を与え、その炎の球がヴァイセックを囲んでいる騎兵たちにまで降り注いだ。


「こ、こんなところで死ぬのは割に合わんっ……アスティナ……アスティナさえ、俺に逆らわなければ……っ!」

「――ヴァイセック殿!」


 ロートガルト将軍が叫んでも、ヴァイセックは止まらなかった。肩に矢を受け、邪霊の炎で焼かれる騎兵を目の当たりにしたヴァイセックは、退路すらも断たれて――最後の最後にまで、選ぶべきではない道を選んだ。


 隠していた武器を、アスティナ殿下に投げつけようとする――その瞬間。


「――それだけは、決してしてはならなかったのだ。ヴァイセック」

「っ……うぉぉぉぉぁぁぁっ……!!」


 何が起きたのか――ただ、義姉さんがヴァイセックを一瞥しただけ。


 彼女の背中に寄り添う風精霊テンペストが、軽く手を振り上げる。次の瞬間にヴァイセックの身体は空へと打ち上げられる――竜巻が馬上のヴァイセックのみを巻き上げ、彼は錐揉みしながら牧場の草地に落ちて転がり、そのまま動かなくなった。


「――『海原に渦巻くみどりの風よ。荒れ狂い、交錯し、静寂をもたらせ』」


 続けざまに義姉さんが詠唱する――精霊のもたらす風は、前触れもなく離れた場所に乱気流を生み、竜巻となってゴブリンの本隊を蹂躙する。


 騎士たちは呆然とするほかはない。彼らの果たすべき役割は、初めからこの戦場には無かったのだ――歴戦の将であるロートガルト将軍だけが、義姉さんの魔法を目の当たりにしても冷静なままでいた。


「……王国が形を保っていられるのは、魔法士の存在ゆえ。やはり、我々は……」

「それでも騎士は騎士として在るべきです。魔法は万能ではないのですから」


 ロートガルト将軍に答えた義姉さんの答えは、本心から出たもののように思えた。魔法士だけでは国を守ることはできない、それは俺も同じ思いだ。


「敵が怯んだよ……っ、今なら押し込める!」

「――プレシャ、私と共に続きなさい! ディーテは援護を頼みます!」

「「了解!」」


 草原を二つの迅風が走る。プレシャさんと殿下は、生き残っている巨大なゴブリン二体の側面に回る――肩に乗っているゴブリンは魔法を繰り出す前に、ディーテさんの放った矢で同時に射抜かれた。


「――ギィィィッ……!」


 義姉さんの起こした竜巻で半壊しながらも、残ったゴブリンがこちらを目指してくる――俺たちの方が弱いと思ったのかもしれないが、レイの目にはもうゴブリンは敵として映っていない。


「……召喚主様の敵は、全部吸い尽くして……枯らす」

「エアリア……かの魔蔘の破滅の歌を、その力で包み込みたまえ」


 レスリーの魔法で、音を阻む空気の層が形作られる――それはレイからゴブリンたちに向けて、歌に指向性を持たせるためのものだった。


「……っ!」


 人間では到底放つことのできない、精霊の叫び。放たれた音はゴブリンたちの精気を根こそぎ奪い去る――こちらに迫っていたゴブリンたちは動くこともままならなくなり、草原に昏倒して武器を手放す。


「――やぁぁぁぁっ!」

「はぁぁぁっ……!」


 同時にプレシャさんが槍を閃かせ、殿下が細身の剣を薙ぎ払う。俺を介して神樹の力をまとった殿下の剣は、神気ともいえる力を帯びてその鋭さを増し――岩を削り出して作られた巨大ゴブリンの棍棒をたやすく寸断する。


「グォッ……ォォ……」


 低いうめき声を上げ、二体のゴブリンが倒れる。矢を受けた雌ゴブリンは逃げようとするが、俺の魔法で足止めをさせてもらう――草原には、足に絡める草がいくらでもある。倒れたところに追い打ちで草を縛り付ければ、完全に無力化できる。


 殿下はまだ息がある巨大ゴブリンに近づくと、剣を向ける。だが、その刃が振り下ろされることはなかった。


「殿下……ゴブリンに温情をかけるというのですか? 彼らはおそらくまた、人里を……」

「一種の魔物を根絶させれば、別の魔物が勢いを増します。彼らの存在は民にとって脅威となりますが、少し前までは西方領の民とは住む場所を隔て、共存することができていました。中央からすれば奇異なことに感じられるでしょうが、ゴブリンを駆り立てる悪意のもとを断てばそれで済むことです」


 騎士たちは信じられないという顔で見ている――だが自分たちがゴブリンとの戦いにおいて貢献できなかったために、何も言わず殿下の言葉に耳を傾けていた。


「……それぞれの土地には風習がある。それを熟知し、魔物に対処し、人々のために剣を振るう。一日にして成ることではないのに、私はアイルローズ要塞を土足で侵そうとした。道理に合わぬことと知りながら、命令に従いました」


 ロートガルト将軍は剣を収め、胸に手を当てて殿下に頭を垂れた。殿下とプレシャさんもまた、血を払って武器を収める。


「殿下、数々の非礼をお許しください。貴女こそは、まことの……」

「……私は、あの要塞から離れるわけにはいきません。例えそれが国王陛下のご命令に背くことであっても。だから私は、騎士としては失格なのでしょう」

「そのようなことは……決してございません。主君の命にただ従うことのみが、騎士の果たすべき役割ではない。私は、それすらもできていない。融通の利かぬ老骨とお笑いください」

「将軍は部下を鼓舞し、民を守ろうとしてくださいました。ですが三百人の騎士がいてこの体たらくというのは、仮に要塞を明け渡すことになったとしても、下につく気にはなれませんわね」


 ディーテさんの率直な言葉に、将軍は怒るわけでもなく――楽しそうに、声を上げて笑った。


「はっはっはっ……そうだ、その通りだ。ジルコニアと一年中睨み合う要衝を任されるには、我らではまだ力不足だ」

「しょ、将軍……それでは……」


 恐る恐る声をかけてきた部下の騎兵を、ロートガルト将軍は静かに見返す。


「王都に帰還する。我らが西方領に入っても、アスティナ殿下ほどの統治と防衛ができるわけではない。それを確かめてなお進むなら、我らは斬られても文句は言えぬ……そうですな」

「……私は『国王陛下の命』に背いています。それでもなお、退いてくださるとおっしゃるなら……もう一つ、頼みごとを聞いてはいただけませんか」


 ヴァイセックが受けた命令が『国王陛下の勅』であるということは、まだ完全に否定できてはいない。カサンドラ王妃の干渉によるものだと分かっていても、それをここで糾弾することはできない――それは殿下にとって、国王陛下は敵ではないからだ。


 カサンドラ王妃が国王陛下から寵愛を受けているからこそ、殿下は自分の家族を守るためにも剣を取り、力を手に入れなければならなかった。


 今達成するべきは、中央の干渉を退けること――そして事実上の独立状態を作ることだ。


 カサンドラ王妃と宮廷魔法士ヨルグの繋がり、彼らがアスティナ殿下と敵対している事実。それらを解決する方法を模索するのは、もう少し先の話だ。事を急げば、間を置かずに再度中央から干渉されることもありうる。


「殿下、その頼みごとというのは……」

「ヴァイセック殿が、ラインフェルト家に働きかけて私への離反を促していた事実は把握しています。それは、あちらを見れば分かるでしょう」

「っ……あれは、ラインフェルト家の騎兵……殿下を支援するために?」


 アスティナ殿下はこくりと頷く。西の方角から街道を通ってやってきたハルトナー・ラインフェルトの率いる騎兵の一団は、一定の距離まで近づいたところで止まり、それ以上は進まない。だが、ロートガルト将軍の部隊がアイルローズ要塞に進もうとすれば、彼らとぶつかることになる。


「……領内は不安定とうかがいましたが、その情報すらも誤っていたようだ。あまりに都合が良すぎることばかりを言われ、それを信じてしまっていた」

「仕方のないことです。彼は……いえ。ヴァイセックが何を考えて、私を失脚させるために動いていたのか。それを調べることを貴方に頼みます」

「承りました。アスティナ殿下、このような形とはいえ、お目にかかることができてよかった。あなたは王妃殿下の美しさと……国王陛下の勇敢さを受け継いでおられる」

「私には身に余る言葉です。将軍、どうかご無事で」


 ロートガルト将軍は一礼をすると、馬の手綱を引いて踵を返す。彼らを見送っている間に、ユーセリシスの声が聞こえてきた。


 ――魔物たちは、時に邪霊に惑わされ、人や家畜を襲う。彼らの生息地の樹木を介して、邪霊を祓うことができる。


「そうか……殿下は、それを知っていたから……」

「……グラス兄、どうしたの?」

「いや。もう、ゴブリンたちは人里を襲わない。彼らには、森まで持って帰ってもらおう。ユーセリシスの力を届かせるための『接ぎ木』を」


 地面をなぞるだけで、草が魔法陣を形作ってくれる――そしてその中央に、ユーセリシスの眷属である若木の芽が生えてくる。


 それを摘み取り、倒れている雌ゴブリンの手首に巻き付ける。これで彼らが生息地に帰り、若木が土に根を張れば、ゴブリンたちは神樹の影響下に置かれ、邪霊を退けることができるようになる。


(ユーセリシスの力のおかげで、魔物の脅威はなくなった。本当にありがとう)


 ――力で退けるだけでは、魔物の恨みが瘴気を生む。住処を分けることさえできれば、同じ地に住まう生命であることに変わりはない。


 聞こえてくる声は穏やかで、俺たちの判断を肯定してくれているようだった。これでゴブリン退治のために騎兵たちが領内を巡回する負担が減り、さらに農業や産業に力を入れることができるようになる。


「……グラス兄、気づいてる?」

「あ、ああ。そうだった、彼が来てるんだったな。もう引き上げてないといいけど。それに……」


 スヴェンのことも気になるが、殿下と話している義姉さんのことが気になる――と、視線を送ったところで目が合った。


「……先に学院長と話してきたら? 私も牧場の人たちが落ち着いたら行くね」

「ああ、そうさせてもらうよ……と言っても、いざとなると何を話せばいいのか」

「……元気な顔を見せたらそれでいいと思う」


 レスリーはそう言うが、学院を出るときのやり取りや色々なことを思い出してしまって、なかなか足が前に進んでくれない。


 そんな俺を見かねたように、義姉さんが馬を歩かせてこちらにやってくる。思わず謝りたくなるくらい冷たい表情――けれど、義姉さんの背中に寄り添うテンペストは笑っているようだった。


※いつもお読みいただきありがとうございます、更新が遅くなり申し訳ありません!

 ブックマーク、評価、ご感想などありがとうございます、大変励みになっております。

 次回の更新は9月6日(金曜日)になります。


※この場をお借りして告知のほう失礼させていただきます。

 本作「はぐれ精霊医の診察記録 ~聖女騎士団と癒やしの神業~」第2巻が

 9月10日に発売となります! 今回もイラスト担当の橘由宇先生には

 彩り豊かに、躍動感あふれる騎士たち、そしてグラスと精霊の活躍を

 描き出していただいております。書き下ろしで学院時代のエピソードも

 収録しておりますので、よろしければお手に取っていただけましたら幸いです!


※また、9月9日にはあわせてコミカライズ版第一巻が発売となります!

 橘由宇先生ご自身の手によるコミカライズですので、原作と合わせてご覧いただけますと

 さらにお楽しみいただけるかと思います。何卒よろしくお願いいたします!

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