第十六話 真田幸村
狭い廊下の角から覗くと、見張りが二人張り付いた扉があった。
地下三階の廊下の奥。
「無理だ」
私は振り向いてキーツに言った。
「どうしてですか?」
「五十メートル走は何秒だ?」
「えっと......中学の頃で六秒後半です」
「早い方だな」
私がそう言うとキーツは得意気な顔をした。
「じゃぁ、ダッシュであそこまで行って殺ってこい」
「いやいや、無理っしょ」
目を丸くして右手を顔の前で振った。
「そういうことだ」
「ああ、そうか」
理解したらしいキーツに、私はニッコリと微笑んだ。
そしてそのケツを蹴り飛ばした。
キーツは尻を上げた土下座のような格好で、不格好に通路に転がり出た。
向こうから二人の足音と、這いつくばりながら戻ってくるバタバタとした音が足下に聞こえた。
よほど焦ったのか、キーツは腰が抜けたようにガクガクと立ち上がるとフラフラと揺れるように走って行った。
(十秒台も無理だな)
そんなことを思っていると見張りが二人、通路を曲がってきた。
キーツに向かって銃を構えたと同時。
私は突っ張った両腕の力を緩めた。
そのまま下へ——
見張りの頭上にダイブすると、踏み潰された空き缶のように二人は崩れた。
パニックを起こしている一人にナイフを突き立てた。
頸椎と頭蓋骨の隙間から刃を横にして差し入れると、最初に受ける抵抗は皮膚組織と筋繊維だ。
それはどちらかと言うと刺される側の肉体的抵抗よりも、刺す側の心理的抵抗だ。
つまり、この場合は限り無くゼロだ。
切っ先が骨の隙間を抜けると、刃に僅かな重みを感じる。
その瞬間、切っ先は既に脳幹にあり、刃を挟まれたような微細な感覚が伝わる。
まるで対象の脳と私がナイフを脳梁にして繋がるようなグロテスクな感覚だ。
だがそれも一瞬の出来事、ただの錯覚だ。
動かなくなった人間が、一人転がる事実だけを残して。
もう一人は戻ってきたキーツが無力化していた。
イングラムの先で、両手を広げてうつ伏せになっていた。
正解だ。
コイツからは色々聞きたかった。
結束バンドで後ろ手に親指を結んだ。
「どうしてそんなもの持ち歩いてるんですか」
「便利だからね。持ち歩くだろ、普通」
そう言うと私は、拘束した男に向き直った。
「暴力なんてのは最低限にしたい。協力してもらえると有難い。名前は?」
「......真田幸村」
「OK、赤備え」
「ちょっと、そんなの偽名じゃないですか」
「いいんだよ、ハンドルネームで」
「すまんな、赤備え。相方がカタブツでな」
そう言うと幸村は表情を緩めた。
「どこの組織だ?」
「......」
「建物上、拷問が必要ならするが」
そう言った瞬間に、私は耳を削いだ。
叫ぼうとした口に、剥ぎ取ったシャツを押し込んだ。
「暴力は最低限にしたい。協力してもらえると有難い」
私の言葉に幸村は、怯えた目で頷いた。
「組織は」
「夜明けの光」
「ゴリゴリの左翼じゃねぇかよ」
「何人居るんだ、ここには」
「二十人くらい」
「全部が組織の人間じゃないよな」
「傭兵が五人いる」
「あの入口のゴリラの他に三人だな」
「お前たちが立ってた扉の向こうは?」
「米村代議士の監禁部屋だ」
「何人居る?」
「五人」
「傭兵は?」
「三人」
「武装は」
「それぞれ拳銃と、傭兵はマシンガンも持っている」
「あれか?」
私は後ろに立つキーツのイングラムを親指で指した。
幸村はそれを見ると、頷いて見せた。
「目的はなんだ」
「首相のスキャンダルの暴露と、政府の隠蔽システムの公表、それと活動資金の調達だ」
「欲張りセットかよ。どれかひとつにしておけ」
つい呆れてしまった。
「交渉はここからするのか?」
「人質の映像は見せるが、交渉は本部だ」
「幹部が現場に来ないのはどこも一緒だな」
私が苦笑すると「この国は数多の捨て駒で成り立っているんだ。特権階級やブルジョワジーは決してリスクを負わない、手を汚さない。俺たちはそんな世の中を変える為に戦っている。アンタ達もそんな使い捨てにされる側だろ。俺たちと共に戦わないか!?」と幸村が語りだした。
「そうだな——」
私の唇からふっと笑いがこぼれた。
緊張気味の幸村に安堵の表情が見えた。
「気付いてないのか?お前も駒なんだよ、赤備え」
幸村の首から鮮血が吹き出した。
それは彼の心臓の動きに応じてリズミカルに、やがて静かに。
「暴力は最低限に、だ」
どうして?という表情の幸村に私はそう言った。
「キーツ、下っ端にこれ以上の情報は無い。行くぞ」
私はそう言うと代議士の監禁部屋へと向かった。
「いいんですか、あれで」
キーツが振り向いて言った。
「多勢に無勢、削れる敵は削らんと死ぬのは私たちだ」
振り向くと、鮮血に赤備えとなった幸村が横に倒れる瞬間だった。




