4-5
システムの停止したインサイドは全てが眠りについたように静かで、エレベーターの扉でさえ動かなかった。
「いまどき階段? ずいぶんレトロね」
「元はエスカレーター。このエリアは最低限の電力供給しかないから、階段になっちゃったけど」
文句を言いながらも拳銃をホルスターに戻し、エスカレーターに足をかける。踊り場には階数が表示されていたが、何度もくりかえすうちに上がっているのか下がっているのかすらわからなくなった。エレベーターのオレンジ色の階数表示が恋しい。甲高い音をたててテンポよく上がることができたのは最初だけで、十階も上がらないうちに疲れが見えてきた。
「背負う?」
最初に息があがった白河空を指差してワルターがたずねる。その横で、残った一基のROPがあまり乗り気でないことを知らせるように下を向いていた。
「はぁ、どんだけ体力ないの?」
呆れてみるものの、ヴァレリーも油断すると息が弾む。できるだけ気付かれないように乱れた息を飲み下すが、ワルターや祥子にはとっくに気付かれているだろう。
「お前たちとは違って、私は頭脳労働を専門に……!」
「わめく気力があるなら走れ」
赤い髪の偵察機の構えた銃口は、即座に科学者に固定された。口を開け閉めしながらもまだ文句を続けようとする白河空に、ワルターはぽつりと「鬱陶しい」と言い切る。成人男性を小脇に抱えて階段を上がりはじめたワルターに、ヴァレリーは思わず口笛を吹いた。
「さすが、自慢の人工筋肉は出来が違うわね」
「ヴァレリー」
もう片方が開いていると言わんばかりの視線に、金髪の少女はぶんぶんと首を横に振った。
「行き先、考えてる?」
挙句の果てに追い討ちまでかけられる。ヴァレリーはワルターを茶化したことを後悔したが、今さら何も考えていないと答えるのも恥ずかしく、唇を小さくとがらせてごにょごにょとごまかした。
二十階を過ぎてなお、二体のロボットは衰えを知らずにいる。先頭を行く祥子の背中を目指して何度も足を前に出すが、追いつける気がしない。うしろのワルターに追い立てられているような気もして落ち着かない。ちらりとうしろを振り返ると、白河とワルターのやりとりが聞こえた。
「おい! 痛い! 爪先が床にぶつかって……」
「嫌なら自分で歩け。できないなら自力で脚を上げろ。それもできないなら黙れ」
あまりの言い草に笑ってしまう。笑い声に顔を上げたワルターが、白河を抱えていない方の腕で抱えようかと、再度目で訴える。「いい」と苦笑まじりに断ってから、ヴァレリーは階段を上った。
踊り場にたどりつくたび、地下を示すBのうしろの数字が少しずつ減っていくのを心の支えにするが、それは同時にこれから先、上らなくてはならない階段のことも思い出させる。ヴァレリーはそのたびに肩を落とし、眉を吊り上げた。
「もう……どんだけ……ああ、また!」
切れ切れの息の下で悪態をつくが、決してうしろは振り向かない。振り向けば、ワルターは空いている方の腕を再度アピールするに違いないからだ。
ヴァレリーの脇腹がずきずきと痛み、喉に苦いものがこみあげる。遂にふくらはぎの筋肉が嫌な張りを訴えはじめた頃、ようやく前を進んでいた祥子が速度を落とした。踊り場を曲がって開けた視界が行き止まりになっていることに気付いて口を開く。出たのは荒い息ばかりだった。
ヴァレリーの足が完全に止まる前に、特殊金属製であるらしい灰色の壁が左右に開く。
「フェシスが開けたのね。インサイドの一部は今、彼女の管轄下にあるから」
肩越しに視線をよこして祥子がそう言う。その名前を聞いてヴァレリーは勇気付けられた。止まりそうになっていた足を再び前へ出して、伊庭祥子を追いかける。
フェシスが道案内をしているのだろう。祥子は複雑な道筋を迷いなく進んでいく。ヴァレリーの目には壁にしか見えない扉だが、祥子が近付くと開き、ワルターが通り過ぎるとまた閉まる。
何度目かの開閉の後、ずいぶん開けた場所に出た。
「ここは……研究棟か」
ワルターに抱えられて大人しくしていた白河空の呟きが聞こえたが、一度足を止めてしまえば再度動き出すのにさらに気力がいるような気がする。ヴァレリーは喉のひっかかりを無理矢理飲み下しながら進んだ。背後に感じていたワルターの気配が遠ざかって、数瞬後に戻る。
「飲む?」
呼びかけに眉をひそめたままふりかえった。手渡されたパックを半ばひったくって、力の入らない手でふたを回す。開けられない。見かねたワルターがふたを開けてくれた。
「まったくもって人間は不便だ! そんな身体など捨ててしまえばいいだろう」
「俺に抱えられてるあんたが言うことじゃない」
白河空が鼻息を荒くするのを横目に、付属のストローに口をつける。ほんのり甘い液体はファウストの格納庫で飲み放題になっている、経口補水液を思い出させた。水分補給を効率的にできる飲み物だ。走りながらではあまり飲めたという気がしないが、立ち止まると足が止まってしまうから仕方がない。
いくつもの部屋が廊下に繋がっているからか、白衣を着た研究開発課らしき連中と何度かすれ違った。見知った顔もちらほらと紛れている。彼らは少しも驚かずにヴァレリーを見て「やあ」だの「こんにちは」だのと声をかけてきた。情報共有がされていないらしい。まさか反乱分子がこんなところにいるとは思わないだろうなと、ヴァレリーはおかしくなった。親しげに話しかけようとしてワルターににらみつけられる。ヴァレリーたちおたずね者御一行様の列の最後に、宙に浮かんだROPを見つけた研究者たちは、あまりの物騒さにそれ以上声をかけることをやめる。
ガラス戸が目の前で左右に開いていく。研究棟を出ると、研究や開発にたずさわる人々の居住区がつづいている。居住区だというのに、そこから受ける印象は研究棟とそう変わらない。天上に埋め込まれた人工照明が、灰色の壁を照らしている。窓から見える景色は街というより基地と言った方が近い。一つ上の商業区画に見られる木々の緑や花々の彩りはなく、日々の暮らしを効率的に行うための施設が目立った。
商業区画へとつづく巨大エスカレーターに乗ったところで、ヴァレリーはようやく足を止めた。まともに立っていられない。手すりに手をかけたまま、うずくまる。
「平気?」
ワルターが気遣ってくれるが、咳き込んでまともに返事ができない。背中をさする手を拒む気力もなくて、ヴァレリーは何度も荒い息を吐いた。
「ここは……エスカレーターが動いてるのね」
ようやく意味のある言葉がヴァレリーの口から出る。咳の合間に出たくぐもった声に、ワルターの表情が強張った。心配されている。
「当たり前だ。メイジスがセーフモードに移行したからといって、国民にそれを知らせるわけにはいかんだろう。パニックが起こるだけだからな」
悪態をつきながらも胸をはる白河空に、ヴァレリーはわずかに苦笑してみせる。国民のことを考えているというのはあながち嘘ではないのかもしれない。ただ、何に価値を置いているかが違うだけだ。白衣の男はそんなパイロットの小さな変化には気付かず、ふんと新たに鼻息を荒くした。本当なら嫌味の一つでも返してやるところだが、長い階段を上がったヴァレリーには、まだそんな余裕がない。喉の奥に詰まった痰が呼吸を邪魔して、うまく息を吸えない。
「ヴァレリー」
祥子からティッシュを受け取って原因を吐き出す。ようやく落ち着いた。ヴァレリーが目尻に涙を残したまま顔を上げると、二体のロボットはそれぞれ当惑していた。
「ごめんなさい。無理をさせてしまって」
「君が望まなくても、あのとき抱えておけばよかった」
いったい何を謝ることがあるのだろう。咳き込みながら視線でたずねると、ワルターはひどく悲しい顔になって「血」とうつむいた。痰に混ざった血のことを言っているのだろう。
「馬鹿かお前たち。人間は激しい運動をすれば、気管が少々切れることもある」
「白河空のことは気に入らないけど、今言ってることはその通りだよ。平気だから、二人ともそんな顔しないで」
平気だと取りつくろった直後にまた咳き込んで、ロボットたちの表情が沈む。機械の身体には血液がない。
「これじゃ、行き先を考えるどころじゃない……ごめん。君をサポートするのが俺の役目なのに」
眼鏡をかけた偵察体が特に深刻に沈んでいるのを見て、ヴァレリーは頭をかいた。
「行き先ねぇ……考えられなかったってわけじゃないのよ。でも私の頭じゃ、いまいち……そのなんていうか……ボーダー要塞、乗っ取っちゃおうかなー、くらいの案になるわけで……」
しどろもどろに先ほど思いついたばかりのことを伝えてみる。ヴァレリーの脳裏に、ボーダー要塞での数々の記憶が蘇った。戦闘機の発着場、格納庫、研究室、居住区、商業施設……まさか一つの街を丸々占拠できるはずもない。冗談めいた声にいち早く反応したのは白河空だった。
「馬鹿げたことを」
白衣の男は吐き捨てるようにそう言う。ヴァレリーの記憶にある白河海とはもはや別人なのだということをまざまざと思い知らされた。きっと白河海なら「過激派」とでも言って笑うだろう。ただ重い空気が満ちている。誰も言葉を発しない。
エスカレーターの終点が近付いてきたとき、上で腕を組んで悠然と立つ人影が見えた。見覚えがある。浅黒い肌の中で目を細めたその男は、片手をあげると相変わらずしまりのない声で、違和感の残る笑い方をした。アウトサイド代表、白河陸だ。
「やあ、ロリ子ちゃん。久しぶり」
なぜこんなところに? という違和感を覚える前に、ROPとワルターがヴァレリーの前に回りこんだ。
「フェシスからの情報共有は?」
アウトサイド代表がインサイドにまでやってくるなら、アウトサイドのシステムであるフェシスからの情報共有がないのはおかしい。ワルターは祥子に厳しい視線を向けるが、祥子は困惑したまま身構えた。
「アウトサイドのシステムは、アウトサイドの利益に反することはできない……だから私に伝えなかったのかもしれない」
祥子の構えた刀が青白い光をまとうのと同時に、殺気が満ちる。ホルスターから拳銃を抜こうとしたヴァレリーを、白河がそっと「やめておけ」と止めた。意味もわからぬままエスカレーターにうながされ、ヴァレリーはアウトサイド代表の前に降り立つ。
「海くんも……久しぶりだ」
「私は白河空だ。海ではない」
代表がアウトサイドの人工太陽にさらされつづけた浅黒い頬を吊り上げる。黒髪の下で光る目に違和感があった。長く一緒にいたわけではないが、原因はすぐにわかった。目の前の代表は眼帯をしていない。隻眼だとばかり思っていた白河陸は、母譲りの青い左目をわずかに細くして、両目でヴァレリーの横に並んだ科学者を見ていた。
「いいや、アウトサイドからすれば、あなたは白河海だよ。白河空の肉体は一度滅びたのだから」
「そうか。アウトサイドは科学の恩恵を受けることを拒否した者たちの集まりだからな。それもまた、考え方の一つだろう」
「科学の恩恵なんて拒否してないけどね。生命維持に関する研究は、アウトサイドの方が進んでいる。インサイドと違って、生命を使い捨てないだけさ」
ヴァレリーたちの背後でエスカレーターが止まる。次々と押し出されてくるはずの人々は一人もなく、ヴァレリーは今いる場所が完全にアウトサイドの──フェシスの管理下にあるのを思い知った。
あたりを見渡して、フェシスの姿を探す。鮮やかな電飾、派手な音楽、商品のあふれる店先、次から次へとCMの流れる街頭映像……商業区画のにぎやかな街並が目に飛びこんで来る。街頭ビジョンを見上げて、飲食店の店内にあるモニタをガラスごしに眺める。どこにもフェシスの姿は見つからなかった。
「ロリ子ちゃん、フェシスを探したって、彼女は出てこないよ」
警戒をつづける偵察体のうしろから、ヴァレリーは代表に視線で問いかける。小さく笑った代表の顔は、これまで見たどの表情よりも作り物ということを感じさせない、人間らしいものだった。
「君にあわせる顔がないんじゃないかな。……ヴァーチャルに生きるシステムなのに、おかしいね。君に会えたとしても、たかだか映像じゃないか。リアルとヴァーチャルの壁に阻まれて、実際に触れることもできない。実体さえないロボットが人間と友情を育むなんて滑稽な話だ」
代表の言葉を聞いた瞬間、ヴァレリーの内に怒りが満ちた。メイジスとフェシス。インサイドとアウトサイドを司る二つの大きなシステムは、マスターの命令によって苦しみつづけている。
──なぜ、あなたは《ココロ》など作ったのです。
メイジスがレイリーに投げかけた問いが、今になって刺さるような気がした。その痛みよりもなお深く重く、当のシステムたちには圧しかかっているだろう。
「なんであんたみたいな奴が、フェスのマスターなの!」
衝動的に拳銃を抜く。安全装置を解除して構える。引き金を引く。弾丸はすぐに発射されて、代表の身体に深く沈みこむ。
目の前に映った白河陸の像がぐにゃりと曲がるのと同時に、ワルターが「後方で警備ロボットの稼動音確認」と緊張した声で告げた。「不法侵入者は商業区画で拳銃を使用。本隊はこれに対する正当防衛として、攻撃を開始します」……そんな声が聞こえて、ヴァレリーの背中に冷や汗が落ちる。
「墓穴を掘ったね、ロリ子ちゃん」
にこやかな笑い声に、自分が代表の計画通りに動いてしまったのだとヴァレリーは思い知った。
「フェシスがボーダー要塞やアウトサイドを占拠したのは数時間前だ。物理的に考えれば、白河陸がここにたどり着けるわけがない。立体映像だ」
苦い声を出した白河空を軽くにらみつけて、ヴァレリーは息を飲んだ。警備隊の銃口がずらりと並ぶ光景は、ボーダー要塞で見たのと同じものだ。ただ、相手は人間ではない。それなのにマスターの命令を忠実に実行するロボットを叩きのめすことを、今となっては躊躇してしまう。いくらワルターと祥子がいるといっても、警備ロボットに数で押しきられてしまえば勝ち目はない。躊躇していては自分の身も守れない。わかっている。ROPが一歩前に出て、臨戦態勢を整える。
次の瞬間、代表の映像に乱れが生じた。ずらりと並んでいた警備ロボットたちが、一斉に地面に崩れ落ちる。
「フェシス!?」
代表が不快感も露わにそう吐き捨てたとき、街頭ビジョンの中に通信枠が開いた。
「これより、停止コードを実行します」
凛とした声に顔を上げると、黒髪のシステムの儚げな笑みが次々と街のモニタを占拠していく。
「現在インサイドを支配している私が機能を停止すれば、無益な争いは止まるはずです」
「停止コード解除。マスター登録名、白河陸。……フェシス、マスターの命令が聞けないのか!」
あわてる代表の声に、ヴァレリーは呆然とした。フェシスはマスターに対して反乱を起こした。それは紛れもなく《ココロ》の作用によるものだ。
フェシスが何を思ったか、想像に難くない。彼女はヴァレリーを苦しめることを拒んだのだろう。
メイジスの苦悩を目にしたばかりだというのに、フェシスに同じ道を歩ませてしまった。後悔と懺悔の念が、自然と涙になってヴァレリーの目からあふれる。
「嫌だ……フェスが消えるなんて嫌だ!」
「セーフモードに入るだけです。必要最低限のプログラム以外は全て停止します。それにより《ココロ》は初期化されますが……」
その言葉を聞いて、ヴァレリーが手近なモニタに駆け寄る。ワルターが止めようとするのを振り払った。
「ヴァレリー。私のよき友人。いつか、あなたが目覚めさせてくれることを信じています」
「どうしてあなたが消えなきゃいけないの!」
モニタにつかみかかって叫びをあげる。フェシスは表情を変えぬまま、優しい口調でゆっくりと告げた。
「あなたがた人間が夢を見るために、私たちロボットがいるのです」




