3-9
ヴァレリーが目を丸くしてワルターが目を逸らし、白河海が冷やかしで口笛を吹く間にも、マシンガンの連射音は続いていた。空になった薬莢がときどき物陰のそばに飛んでくる。銃弾が床や壁を削ったのか、やけに空気がほこりっぽい。
音が一段落ついたのに腹をくくってヘルメットを外した。そっと物陰から身を乗り出すと、ハゲタカが歩き回っていた。倒れた人間を爪先で転がし、一人一人生死を確認している。ときどき、とどめを刺すマシンガンの音が短く鳴る。戦場を唯一の勝者として見下ろす姿は、まさにハゲタカだった。
「やだなぁ、なんで助けちゃったの?」
猛禽類の鋭い瞳が物陰へと向けられる。徹底した制圧を目にしたばかりなのもあって、背筋が薄ら寒くなった。
「彼は整備班だ。逃走用のファウストの整備をさせればいい」
「ふぅん。なくてはならない裏方って訳だ。でも小細工されたらアウトだよね」
主任の緑色の目が細くなる。直接文句を言われているのはワルターだが、ヴァレリーはその言葉が間接的に自分に向けられているように思えて、首をすくめた。攻撃的な気配を感じているのはヴァレリーだけではないらしい。話題になっているリュウ・ファーも口をぱくぱくさせている。
「第一級記憶技術者なら、敵と味方の認識を入れ替えるのも、偽の記憶を受け付けるのも簡単なはずだ」
「簡単にはできるけど、それって効率的? 今はタイムアタックの最中なんだよ」
ゲームを楽しむような言葉に嫌悪感が満ちる。けれどもヴァレリーが感情的な反論をする前に、赤髪の青年は理性的な返事をしていた。
「脱出経路を確保しない侵入はリスクが高い。この格納庫の制御権はフェシスに移行した。でも人間は機械みたいに簡単にはいかない」
物陰の向こうで身をよじった主任が軽快に笑ってみせる。空になった薬莢が床にぶつかる音に似て、どこか物騒だった。オーケイと喉を震わせて、主任が物陰に戻ってきた。青ざめた顔のリュウ・ファーの首根っこを捕まえ、上着の内側から取り出したケースを開く。
「少し痛いけど勘弁してね」
宣言してからのハゲタカの手際は実に鮮やかだった。端末を繋いだコードの先に注射針をつけ、消毒綿で首筋を拭く。抵抗するリュウ・ファーを押さえつけて首筋にコードつきの注射針を打ち込むと、端末で操作をはじめた。以前にこれと同じことをされたのだと思うと、ヴァレリーの心は落ち着きなく揺れる。それでも今はテイラー主任に任せるよりない。
見ていたくなくて、ROPの補給に向かったワルターと白河の後を追った。リュウ・ファーを助けてくれたことに対する礼をまだ言っていない。視界の隅にうずたかく積まれた死体をながめながら、ヴァレリーは階段を上った。
二階に上ると補給の様子がよく見えた。格納庫の床からせり上がった台がエンジンを切ったROPをしっかりと固定していた。壁から長いアームが伸びてROPに接続される。そのまま、機械はしばらく動かない。かろうじて聞こえる稼動音で、補給がつづいているらしいことがわかった。
階段を上ったところにある格納庫の制御室は、ヴァレリーが想像していたよりも広くない。二人の男が何かを話すでもなく、お互いに敵意と緊張感を残したまま退屈そうにしているのがおかしい。気が合わないのだからしょうがないと、双方の背中が語っていた。補給が終わるまでの間、特に何かを話すでもなく退屈しているつもりだろうか。二人はヴァレリーの姿を見て一瞬気をゆるめたが、その後すぐに緊張感をまとって互いを警戒することを忘れなかった。
「ワルター、さっきはありがと」
「わざわざ言いに来たの」
制御室の操作パネルに埋め込まれた小さな液晶画面に、補給の進み具合が棒グラフで表示されている。まだ補給には時間がかかりそうだった。
「ちゃんとお礼を言ってなかったから」
「誰にとっても脱出経路の確保は重要だ。礼なんていらない」
そっけないやりとりを横で聞いていた白河が、そっと席を外す。白衣のうしろ姿が階段に近付いたのを見て声をかけようとしたが、ワルターにさえぎられた。
「ヴァレリー、一つ言っておきたいことがある」
「なに?」
邪魔をされてほんの少しばかりむっとしたが、赤髪の青年が思ったより真剣な顔をしていたのを見てすぐに気持ちを切り替えた。
「アーネスト・テイラーには気をつけろ」
ヴァレリーは小さくうなずいた。ワルターの言葉を否定するだけの信頼を、テイラー主任には持っていない。
「うん……それは、大丈夫」
人を疑うということはあまり褒められたことではないのだろうが、これまでのことを考えれば仕方がない。情状酌量の余地のある祥子とは違う。そこまで考えて、ヴァレリーの手が止まった。アーネスト・テイラーは語ることをしないだけで、ちゃんと納得のいく理由を持っているのではないか。その理由を聞けば、祥子を許せたようにテイラー主任に対する不信感も拭えるのではないか。
「ヴァレリー」
すべてお見通しだと言わんばかりのため息がして、ヴァレリーは我に返った。補給完了を示す棒グラフはまだ半分ほどだ。
「ごめん」
「誰にも本当のことなんてわからない。君の知る事実も、代表の知る事実も、白河海の知る事実も、それぞれ微妙に違う。人間に見えるものは人それぞれで、しかも刻一刻と変わっていくんだから仕方がない。惑わされればキリがない。だから誰も信じるな。誰が何を思っていたとしても、起きたことは変わらない」
その声には一片のぬくもりもなく、ただ目の前の偵察機に見えている冷たい世界をヴァレリーに伝えていた。考え方の違いと結果だけが厳然としてそびえ立っていて、感情を差しはさむ余地がまるでない。ワルターが人間であったなら、ヴァレリーはきっと、あまり悲観的に物事を考えるものではないと笑い飛ばすか、孤独なものの見方だと苦笑しただろう。けれどもワルター・ミュラーはロボットだった。
「……つまり、ワルターは自分のことだけ信じてろって言いたいのね? 自分は人間じゃないから信じられるけど、白河や代表は人間だから信じられないって」
「フェシスなら信じてもいい。機械は基本的にはマスターの命令に従う。目的に沿った選択と行動をする。でも人間は複雑だ。白河家に繋がる者も、そこから集めた情報も、鵜呑みにするな」
淡々とした声に顔を上げると、険しい瞳が真っ直ぐにヴァレリーをとらえていた。焦げ茶の虹彩に淡く映った己の顔は強張っている。お前の心など簡単に見透かせる、すべて知っていると高みから見下ろされても、ヴァレリーには特に感慨はわかない。けれども人間だからという謂われのない理由で友人を否定されることには腹が立った。白河海に対する評価はヴァレリーが決めることだ。他の誰にどうこう言われる筋合いはない。
ロボットである伊庭祥子は己の目的のためにヴァレリーを騙したではないか。裏切るのは人間だけだと思ったら大間違いだ。
──人間だからとか、機械だからとか、そんな理由で仲違いするのはくだらない。
《ココロ》があるならロボットであっても、人間と同じような心の動きを持つことができる。ましてや自分がマスター登録したわけでもないロボットを、全面的に信用しろと言われても難しいではないか。
「私だって人間よ」
静かな怒りがヴァレリーの腹の底を焦がしていく。ため息を一つついて背を向け、足早に階段を駆け下りた。靴の踵が金属製の階段にぶつかって甲高い音をたてる。振り返る気はなかった。
階段を下りると、壁にもたれていた白河が身体を起こして小さく手を上げた。
「相方といたいなら、今のうちにデートしといた方がいいぞ。みんな、いつ死ぬかわかんないんだからさ」
「そんなんじゃないっつーの」
白河相手に以前のような軽口が叩けない。場所も相手も同じだというのに何故だろう。ヴァレリーはもどかしくなって金髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「ケンカでもした?」
「ケンカはしてない」
乱れた髪を手ぐしで整えて、鼻から大きくため息をつく。自然と前へ突き出した唇をへの字に結んで、ヴァレリーは白河の隣に並んだ。
「じゃあお小言でももらったか? まあでも、わからんでもないなぁ。お前は無鉄砲もいいところだから」
苦笑まじりの声を聞いた瞬間、ヴァレリーは壁から勢いよく起き上がって向き直り、白河を見据えた。
「違うっつってんでしょうが!」
図星を突かれて声を荒げると、白河海がにやりと笑った。ところどころ煤けた白衣のポケットに両手を突っ込んで余裕の仕草を見せる白河を、ヴァレリーはむくれながら見上げた。
「そりゃそうだよなぁ、伊庭祥子を助けるっつってインサイドに戻ってくるんだもんな。無謀以外の何者でもないよ。相方が文句言いたくなるのも当然だ」
「白河だって戻ってきてるじゃん」
アメリカ地区の人間がよくやるように、肩をすくめて両手を空へ向けた白河をよそに、ヴァレリーは静かにたずねた。
「白河、あんたはクローン人間のアイデンティティって何だと思う?」
「またえらく唐突な」
呆れ顔の白河をものともせず、ヴァレリーはつづける。
「私はね、記憶だと思うんだ。これまでクローン培養されて生まれてきたヴァレリー・モーリスと、今ここにいるヴァレリー・モーリスの違いは、記憶しかないと思うんだ」
白河からの返事はなかった。自分と他のクローンたちの違いを考えることは、インサイドでの一般的な考え方──生まれたからには誰でも死ぬが、クローンにはつづきがあるという考え方を疑うということだ。それは死の恐怖から逃れる術を失うということでもある。白河が考え込むのも無理はない。
「記憶ってすごく大事なものだと思わない?」
長くつづいた沈黙から、ヴァレリーは肯定の意味を受け取った。静かにまばたきをする白河をしばらく見つめる。金色の髪に茶色の瞳、だらしなく着た白衣、年齢のよくわからない日本地区出身者特有の顔立ち……そのどれからも、伊庭祥子の記憶の中で見た白河海との違いを見つけることはできなかった。
「大事な記憶をなくしたまま死ぬのは嫌でしょ。大事なものをなくしたこと自体忘れて死ぬなんてさ」
「だから助けに来たのか? お人よし」
小さく笑った白河の顔を見ていると、たとえ無鉄砲であっても自分の選んだ道は自分自身に胸を張ることのできるものだったと思えた。取り戻した自信がヴァレリーに久しぶりに笑みを与える。
「お人よしは白河もじゃん。どうしてインサイドへ来たの? 私に付き合ってくれたんでしょ?」
「ばっか、オレは父さんをアンインストールする方法を調べに来ただけだよ」
確かに白河の一番の目的は彼の言葉の通りなのだろう。それぞれに見えているものも違うし、目的も違う。先ほどワルターが言いたかったことと同じだ。
けれども白河は、自分の目的のためだけにインサイドまでやって来たのではないだろう。ポケットに手を入れたままにやにやと笑う様子を見ていると、直接聞かなくてもそう思うことができた。たとえ勘違いや思い込みであったとしても、信じられる誰かが一人でも多くいるということが、ヴァレリーにはうれしくてたまらなかった。
「またまたー、本当は私のことが心配で来てくれたくせに」
「その自信は一体どこから来るんだよ。洗濯板の癖に」
「センタクイタ? なにそれ。洗濯に使う板?」
目を丸くしたヴァレリーに、白河はにやつきながらもうなずいた。胸の前に両手をかざして、すとんと下ろす仕草を見て、ようやく理解したヴァレリーが怒りに任せて白河を突き飛ばす。後頭部を派手にぶつける音がした。
「まだ成長期だから大きくなるし!」
叫んでから、自分で胸の小ささを認めてしまったことに気付いて、苦虫を噛み潰した顔になる。白河はと言えば、後頭部に手をやって絶句している。
「大袈裟だなぁ、そんなに強く押してないよ」
「軍人と研究者の体力差を考えろって……」
「男女の体力差でプラマイゼロだと思うけどな。大体白河が人の気にしてること言うのが悪いんじゃん」
いつの間にかインサイドにいた頃の自分に戻っていたのに気付いて、ヴァレリーは満足そうに両手を腰に構えてふんぞり返った。うじうじと悩むのは、ヴァレリーらしくない。
「そうやってふんぞり返ってると、少し大きく見えるな」
「うわ、変態。見るなばか」
懐かしいやりとりも、以前と全く同じではない。白河の視線から逃れるように身をひるがえすと、ROPに接続していたアームが補給を終えて帰っていくところだった。
規則正しい足音が頭上から聞こえて、メイジスの偵察体が降りてくる。謝るのも、何も言わずにいるのも少し違うような気がする。それとなく声をかけようとしたところで、ワルターに先手を打たれた。
「伊庭祥子の現在位置を確認した。インサイドC-0にいる。大きな損傷は今のところない」
淡々と事実を告げる声がやけに事務的に聞こえて居心地が悪い。声をかけようとすると、それとなく背を向けられた。
「ROPの補給は終わった。行こう」
一瞬追うことがはばかられて、何か声をかけようとしてやめる。連絡通路の扉が開いたのを視界の端に確認して、腰のホルスターから拳銃を取り出した。じりじりと焼け付くような緊張感が、あっという間に日常の意識を奪う。
連絡通路に敵の姿はない。通路の真ん中にあるエレベーターに乗れば、あっという間にボーダー要塞からインサイドへと移動できる。
「意外と歓迎されてるのかもね」
「だとしたら多分、海くんが歓迎されてるんだね」
ワルターに向けたはずの言葉を受け取ったのはハゲタカだった。四人が乗り込んだ直通エレベーターの扉がものものしい音をたてて閉じるのを待って、ヴァレリーは一つため息をついた。




