3-5
砂と岩でできた大地は、アウトサイドの有害光線を惜しみなく浴びている。木々はなく、ひび割れた岩肌が見えるばかりだ。上空を一陣の風が通りぬける。空に伸びた飛行機雲を追うように、数瞬遅れて砂ぼこりが舞い上がった。
モニタ越しにヴァレリー・モーリスの視界を流れる雲の動きは早く、あっという間に過ぎ去っていく。鼓膜を揺るがす戦闘機の轟音に、ヴァレリーの全身は歓喜した。操縦桿を握る手の汗が、次第に引いていく。気流に乗って機体が安定すると、自然と耳が寂しくなった。
ボーダー要塞での空中散歩とはわけが違うのに、操縦席に座ると音楽が欲しくなる。
「ワルター、音楽かけてもいい?」
うん、と半ば上の空にも聞こえる声が返ってきて、ヴァレリーはうしろを振り向きたくなる。人と一緒に戦闘機に乗るのはどうも慣れない。後ろを気にしながらも音楽をかけると、ワルターがぽつりとこぼした。
「俺はいないと思ってくれていい」
「私の心、読んだの?」
荒げた声に、淡々とした声色が応える。
「違う。俺は今、このファウストそのものだから」
どういうことよ、とヴァレリーはさらに語気を荒げる。それでも隼と異名をとる少女は、メインモニターから目を逸らすことはない。下方左隅の座標をときどき横目で確認しながら鼻息を荒くした。
「ファウストに接続してるから、ヴァレリーの呼吸や発汗量も手にとるようにわかる」
「変態!」
「心配ない。いちいち確認しないから。……この先に熱源反応がある。おそらく白河海と、彼を追って来たボーダー要塞の守備隊だ」
まったく気にかけてもらえないのも、それはそれで寂しい。いちいち確認しないってなによ、と口の中でぼやきながら、操縦を自動操縦に切り替える。脇に立てかけていたキーボードを下ろして何度か入力すると、座標が二段階大きく拡大された。赤い三角が数個散らばっているのが見える。
「一機だけ先行してるのが白河の乗ってる機体よね? 区別がつくようにしてよね、もう」
表示を切り替えるべくキーボードを操作しようとすると、座標上の三角が一つ、緑色に変わった。
「わあ……便利」
「拡大も言ってくれればする。君は操縦に専念しろ」
「了解。ありがと」
自動操縦を解除して、再び操縦桿を握る。戦闘前だというのに、手のひらはそれほど汗をかいていなかった。
背中を任せられる者がいるというのは、頼もしいことだ。相手の能力が高いほど安心して前へ進める。その点、ワルターは有能と言っていい。インサイドの全てを司るシステム、メイジスの偵察体なのだから。
拡大をやめて通常表示に戻った座標に、緑と赤の三角が表れる。同時に警告音が鳴った。
「ねぇ、白河はアウトサイド代表が迎えに行くって言ってたよね? だったらこっちは戦闘回避した方がいい? 私たちの目的は祥子さんの奪還なんだし」
言ってから、不吉な予感に眉をひそめた。今ここにボーダー要塞の守備隊がいるということは、祥子がすでに敵の手に落ちたということではないのか。
「……ねぇ、祥子さんは、無事なの?」
声色が一段落ちる。コードに繋がったワルターは、いつものように淡々と「破壊されるまでに到着できればね」と言った。
──なるほど、無駄な戦闘をしている余裕はないということだ。
頭ではわかっている。けれどもアウトサイド代表の乗った機体はなかなか現れない。このままでは白河海の乗ったファウストが撃墜されてしまうかもしれない。
「代表はまだ来ないの?」
「まだ」
唇を噛んで、操縦桿を握りなおす。四つの赤い三角が、緑の三角に迫る。これでは逃げ切ることはできない。じきに並ぶのは明らかだった。
「どうして……こっちより先に出撃したはずなのに!」
「代表はインサイドを刺激したくない。白河海がアウトサイド空域に入るまで待ってるんだろう」
「それじゃ間に合わないわよ!」
舌打ちしてペダルを踏み込む。ヴァレリーを操縦席に縛り付けるベルトが、ほんの少し強さを増す。
白河海と伊庭祥子、一体どちらを優先するのかという答えは、瞬時に出ていた。
「ロボットに偏見なんてないつもりなのに、やんなっちゃう」
吐き捨てて身構える。戦闘空域に滑り込んで、中央モニタの上に広がる青い空をにらみつける。座標の上で自機が赤い三角に急接近する様子さえ、他人事のように思えた。
「白河海機に通信開いて」
「了解」
雑音ののちに音声のみの通信が開かれる。呼びかけるが、答えがない。操縦席で、まだ気絶しているのかもしれない。赤い三角が近付いて、警告音がけたたましく鳴る。
「接近アラームうるさい! 切って!」
「了解」
敵機とすれ違いざまに威嚇射撃をする。威嚇にもならない。あっけなく迎撃されたミサイルの破片が、ぱらぱらと大地に落ちていく。
すれ違いざまに見た映像から、敵機の情報が表示される。ファウスト03A。新型機だ。尾翼の映像が拡大される。S-1の文字を見た瞬間、ヴァレリーは操縦桿をぐんと右に傾けた。目を見張る間も背筋を凍らす暇も、唾を飲み込む余裕もない。
青いファウストをかすめていったミサイルが破裂して、後方に弾幕ができた。
「よりによってS-1部隊か!」
ボーダー要塞にはインサイドの飛行部隊がすべて駐屯している。S-1部隊が最も優秀なパイロットの集まる部隊で、S-2、S-3と数字が進むごとに実績は落ちていく。ヴァレリーがかつてボーダー要塞にいた頃の所属はS-3だ。操縦技術に長けた人間なら、S-5までは比較的簡単に上がることができる。戦死による補充が多いからだ。けれどもS-1には滅多なことでは所属できない。飛行技術はもちろん、規律や命令を正しく実行する忠実さがいる。ヴァレリーは上官に忠実でないという点で、S-3以上の出世ができなかった。S-1級の戦闘など、実際に見たこともない。彼らとヴァレリーの能力の間にどれほどの開きがあるのか、まったくもって未知数だ。
金髪の少女の操縦を嘲笑うように誘導ミサイルが追いかけてくる。ミサイルの照準をずらすべく、機体を回転させた。重力に従って宙ぶらりんになった身体が、かろうじてベルトで固定されている。中央モニタに映る岩場がさかさまになったのはほんの一瞬だった。あばらにベルトが食い込んで、元に戻る。顎にひっかかるヘルメットの不快感を堪え、もう一度逆に回転させる。誘導ミサイルの照準が狂う前に、敵機から次の誘導ミサイルが撃ち込まれた。
「誘導ミサイルに、はさまれた?」
思わず歯噛みした。敵機に捕捉されたことを報せる警告音が聞こえる前に、誘導ミサイルを撃ってくる。ロックオンする前にも関わらず、きわめて正確な射撃が行われたことにヴァレリーは舌を巻いた。S-1所属のパイロットを相手に戦うのは、そう簡単なことではない。
信じられないほど近くにやってきた死の予感に、ぞくりと背筋が粟立った。
「インサイドC-0よりボーダー要塞管制室、E-4のファウスト03Aに侵入。ミサイル停止信号発信」
この難局をどう切り抜けるべきか必死に思考を巡らせていたヴァレリーは、ワルターの言葉に目を見張った。ミサイルが後方へ流れ、地面に落ちる。着弾と共に土煙が上がった。
「撃ち落としてくれたの? ……一緒に来てもらってよかった」
素直にこぼれた感嘆の言葉に、ヴァレリーはわずかにためらった。ワルターはロボットだ。そう思っても、自分にできないことを簡単にやってのける彼に、小さな胸のプライドが傷ついた。
これまでクローン技術で生まれた数々のヴァレリーと、今ファウストを操縦するヴァレリー。両者を区別するものは記憶しかない。記憶から生まれるプライドが、今のヴァレリーを支える最も大きな核だった。
リアル・アウトサイドで白河陸が背にしていたモニタを思い出す。荒れた大地を耕す人々を見て、どうして自分は地に足のついた暮らしができないのだろうと落ち込んだ。だから余計に、戦闘機の操縦技術しか持たない自分が致命的なミスを犯しかけたことが許せない。
「……頻繁には使えない。その分こっちの情報もメイジスに伝わるから」
気づかうようなワルターの声を聞き流した。
──ワルターがいなければ、撃墜されてた。
自分の無能が呪わしい。内側に広がる否定的な感情を殺意にすり替えることは、案外簡単だった。死の恐怖が目の前の敵に対する憎悪になる。敵に傷つけられたプライドは、敵機を落とすことで補えばいい。
「ヴァレリー!」
ワルターのいさめる声を振り切って、逆光防止の色の入ったヘルメットの内側で、青の瞳がぎらりときらめく。荒くなった呼吸の下、全てを飲み込む激しさで殺意が満ちた。
──私がしているのは紛れもなく、殺し合いだ!
やらなければやられる。だから今は後悔も恐怖も必要ない。判断を狂わせる憎悪も必要ない。ただ殺意だけ、あればいい。
「全部、粉々にしてやる」
左手が素早くキーボードを取る。操縦桿を右手で握りながら、精一杯広がった左手が力強く鍵盤を叩く。キーボードの上を指が走る音は、敵機が青いファウストをロックオンしたことを報せる警告音にかき消される。ひっきりなしに鳴り響く警告音もヴァレリーの集中を乱すことはできない。
何発もつづけて打ち込まれる追尾ミサイルを迎撃し、上空へ向かう。S-1部隊は遠距離攻撃で対応するのみで、白河海の乗ったファウストから狙いを外さない。
「行け!」
青いファウストの背で、太陽が白く輝いた。震える親指で操縦桿に付属するボタンを押すと、両翼のライフルが一気に火を吹いた。弾丸が推進力と重力に任せて下降する。
「ヴァレリー! 白河海に当たる!」
ワルターの制止など聞こえない。落下した弾が宙ではじけて散弾になる。迎撃しきれないほど細かい弾が敵機に直撃する。
敵がひるんだときには、アクセルを踏み込んだ青いファウストが、正面に回っている。
「落とす!」
再び操縦桿のボタンが力強く押される。すでにキーボード上を駆ける左手で、武器の種類は変えてある。エネルギー弾が射出されて、ファウスト03Aの装甲が溶ける。ヴァレリーはすかさず右の空域に進んで、敵を追い詰める。もう一度エネルギー弾を放つ。操縦不能になった敵機は吹き飛んで、隣に並んだファウスト03Aに激しくぶつかった。敵機が二つ、後方へ転がるように落ちていく。
「二機撃墜……白河海機、損傷軽微」
軽く言葉につまりながら、ワルターが報告する。ヴァレリーは小さく喉を鳴らした。ヘルメットの内側にこもっていた笑いが、次第に操縦席にも広がっていく。
かける言葉が見つからずに息を飲むワルターをよそに、ヴァレリーは笑いを収めた。
「やるかやられるかなら、やるに決まってんでしょ! 私の人生は、誰かの玩具なんかじゃない! 運命なんてクソ食らえだ!」
笑い声が完全に消えた次の瞬間、絶叫してアクセルを踏み込む。残る敵機に突っ込む。どちらに勇気があるかを競い合うチキンレースのように、青いファウストと新型のファウストが向い合わせに急発進する。その間もヴァレリーの左手はキーボードを叩く。中央モニタの右隅に小さな枠が開いて、プログラムを組むためのアルファベットと数字がずらりと並ぶ。流れていく文字列は、共同墓地の墓標のように背の高さがそれぞれに違う。中央の画面の中で敵機がたじろいで、上方へ進路を変更しようとする。下にもう一機いる。直後に挟撃を狙っているらしい。
言葉にならない叫びを上げて、可憐な少女は引き金を引く。青いファウストの砲門が一気に開いて、上下に弾が飛んだ。ありとあらゆる種類の砲弾が上下へ放たれて、あたりは灰色の煙に包まれた。追尾ミサイルが敵機を追いながら破裂していく。その間にもヴァレリーは進んで、煙幕から抜ける。即座に反転して、敵機の上空へ出た。もう弾は残っていない。
「おい、弾切れだろ!」
「当たれェ!」
ワルターの注意をさえぎって、ヴァレリーは喉を枯らさんばかりに叫んだ。キーボードの決定ボタンを押すと、青い悪魔が何本もの触手を下方へ伸ばす。極秘通信用のワイヤーだ。最奥の敵機に向けて飛ばしたワイヤーがムチのようにしなって、手前のファウスト03Aを貫通する。航行速度に耐え得るように作られたワイヤーは、テスト機の薄い装甲をあっけなく蹂躙した。
「一機撃墜……」
青ざめたワルターの声が、ヴァレリーの笑い声にかき消される。左隅の座標に赤と緑の三角が一つずつある。まだ一機、落とせない。ヴァレリーは怒りに任せてキーボードの上に拳を叩きつけた。
「なんで? なんで全弾放ったのに当たらないの!」
次第に憎しみがにじんで、視界が歪む。目頭に涙がたまるのを大きく息を吸ってこらえる。肩が小刻みに震えた。
「私、ひどいことしてる。これまでも、これからも、きっといっぱい、ひどいことをするわ。でもこれでいい。やらなきゃ、やられるだけだから」
ワルターが気遣う言葉をかけようとした瞬間、敵機が動いた。砲門が開いて大型の丸いミサイルらしきものが飛び出す。
「私が戦場で死ぬのは、当然だよね」
暗い瞳で告げながらも、隼は正面モニタから目を逸らさない。操縦桿から手を外さない。
「死なせない!」
ワルターが珍しく声を荒げる。敵機が発射した奇妙なミサイルは、自由自在に空を飛ぶ。とらえた画像を拡大処理して解析する。ミサイルには小さな銃口がついていた。
「なに? これ」
「ROP。遠隔操作できる攻撃拠点。本体と同時に攻撃することが可能」
「ははっ、こっちは弾切れなのに、なんでそんな新技術? 実用に不安はあるけど、弾切れした相手なら、テストにちょうどいいってこと? 隼もなめられたものね」
投げやりな笑いに、ワルターは人の悪い笑みを浮かべた。まるで妙案を思いたように、眼鏡のフレームを持ち上げる。警告を知らせる赤い光がレンズの上できらりと光った。
「インサイドC-0よりボーダー要塞管制室、E-2のファウスト03A……」
再びインサイドに接続している。使用を避けるべきだと言ったのはワルターだ。戦況が芳しくないのを知って、ヴァレリーの胸は苦しくなる。それでも生き残る方法があるのなら、信じて待つしかない。今のヴァレリーにできるのは回避行動くらいだ。
右のROPがライフル弾を放つのを、機体を小さく傾けてかわした。つづけて左のROPが眼前に回り込む。小回りの利くROPは圧倒的に早く、対応しきれない。来る。身構えた瞬間、ワルターが頼もしい声で告げた。
「ROPに侵入。制圧完了」
「どういうこと?」
意味をはかりかねているヴァレリーの目の前で、左右のROPが反転した。




