『小説家になろう狂い』・・・終わりに
『小説家になろう狂い』
・・・終わりに
㈠
小説家になろうに来てから、様々な作品を投稿してきた。主に、小説とエッセイだが、小説は純文学と思想に分かれている。エッセイは、基本的に狂い、のエッセイである。少しずつ、小説家になろうとの関わりの中で、自分の立ち位置というものが見え始めて来た感覚がある。実は、執筆している時の多くが、音楽を聴きながらなのであることから、時間を最大限に有効活用できていると思ってはいる。
㈡
小説家になろう狂いになってから、これは一種の仕事感覚で狂っている感じがあるし、やりがいと言う点では、天職の様なものであるが、なかなか出口は見えそうにない。ただ、出口などと言うものは、結局死に際になってみないと、何が出口で何が入り口だったかということは判別出来ないだろう。見えない先へと、ひとつづつ言葉を噤んで、外界へと文章化していくのは、死んだ後さえ行いそうな、狂いだ。
㈢
小説になろうは、確かに自由である。この自由性は、執筆には必ず必要なもので、執筆に少しでも不自由を感じると、モチベーションが下がり、執筆の意欲が減退するのだ。狂えないことへの怖さが先行すると、前へ進めなくなる。進まないとは、小説家になろうにとっては、死んでいる様なものなのだ。執筆=生、この図式を見失うことなく、小説家になろう狂いに、海の中で呼吸をしながら沈むように、狂いながら、泳いで居たい。