Chapter 10
少年は最近まで、なんとか頑張って学校へ行く事が出来ていました。しかし新しい学校でもだんだんといじめられる様になり、理不尽ないじめは日に日にエスカレートし、だんだんと学校での居場所を失っていったのです。クラスメイトたちから執拗に標的にされ、少年は次第に激しい恐怖を抱くようになり、やがて学校へ行きたがらなくなってしまいました。
イルカのアポロは、大好きな少年を傷つけるクラスメイト達に対して、いつも激しい怒りを感じていました。少年を守ろうと、クラスメイトを怒鳴りますが、クラスメイトの耳には、ただイルカがキューキューと甲高く鳴いている様にしか聞こえません。その必死の警告が届かないもどかしさに、アポロは胸を痛めていました。
そしてとうとう、少年は平日になると激しい腹痛や頭痛を訴え、仮病を使って部屋に閉じこもるようになりました。そうして一度足が遠のくと、恐怖心はさらに膨らみ、どんどん学校へ行く事が出来なくなってしまいました。それもそのはず、学校へ行ったら最後、クラスメイトから散々に殴られたり、冷たいベランダに何時間も閉じ込められたりする、地獄のような日々が待っているからです。さらに追い打ちをかけるように、本来守ってくれるはずの先生からも「あなたは本当に、将来の見込みの無い子ね。」と冷酷な言葉を投げつけられ、もう少年は外の世界に出ることさえ怖くなってしまいました。少年はいつもアポロのツルツルとした体にすがりついて抱きつき、声をあげて泣く日々になり、少年の顔から笑顔が消え去ってしまいました。
「どれだけ世界が君を拒んでも、僕は絶対に君を手放さないよ。大丈夫だよ。大丈夫大丈夫。先生の言葉も、君を傷つける奴らの声も、全部ただの雑音だ。僕にとって、君は世界で一番大切で、何にも代えがたい最高の宝物なんだからね。」
深く傷ついた少年の心を癒してくれるのは、もうアポロしか居なくなりました。少年にとって、人間のいるこの現実の世界はどんどん嫌になり、自分の部屋に籠って、アポロとばかり遊ぶようになりました。
それは単なる遊びというよりも、毎日朝から晩まで、心の中に溜まった辛い気持ちをすべて吐き出す相談の時間でした。でもアポロは驚くほど忍耐強く、少年の心の叫びをすべて受け止め、どこまでも優しく寄り添ってくれます。少年がどんなに泣き叫び、支離滅裂な不満を漏らしても、アポロは静かにその声を聞いてくれるので、少年公認の唯一の心の友なのです。少年を少しでも笑顔にする為に、アポロはいつものように、魔法で出したお気に入りの真っ赤な愛車で少年を、楽しいドライブに連れて行ってくれます。少年がどんなに辛くてもアポロがいつも隣で寄り添ってくれるから、少年には「アポロがいてくれる」という絶対的な心の支えがあり、生きていけるのです。もしこの過酷な現実を、ひとりぼっちで突き付けられていたら、少年の心はとうに壊れてどうなってしまっていたか分からないのです。
いつも少年が部屋で泣いてしまうと、アポロは大きなヒレで、こぼれ落ちる涙をそっと優しく拭いてくれたり、少年の傷ついた心を丁寧に、壊れ物を運ぶように大切に扱いながら、少年の心にぴったりと寄り添ってくれるのです。人間たちから酷い裏切りを受け続けた少年は、完全な人間不信になってしまいました。そのため、これからは何か些細な事を決めて貰うのにも、自分を傷つけないアポロに全てを決めて貰おうと思うようになっていきました。
でもお母さんはやっぱり、日に日に部屋に閉じこもっていく少年のことが心配でたまりませんでした。「このままじゃいけない。心の相談所に行こう。」といつも言い、嫌がる少年の手を引いて、無理に連れて行っています。しかし、少年は、あそこの病院は嫌だと激しく拒絶します。そこは、冷たい大人の人間が院長を務めており、少年の話をいつも聞くふりをしているだけで、目線はずっとパソコンの画面。いつもパソコンを触りながら、決まりきったように、
「頑張りなさいね。」
としか言ってくれないからです。具体的なアドバイスをくれるわけでもなく、少年の苦しみに向き合おうとせず、ただ社会の枠組みへ少年を突き放すだけなのです。なので少年は、冷たい人間なんかじゃなく、アポロとお話したい、とばかり言います。
でもお母さんは、少年の本当の苦しみに気付くことができず
「行くべきなの!ほら、準備して!」
と言うから、少年は嫌々行き、案の定、今日もまた、
「頑張りなさいね。」
としか言ってくれない院長先生の話を右から左へと聞き流し、疲れ果てて家に帰るのです。
重い足取りで家に帰り、少年はすぐにアポロとおしゃべりして、自分の殻に引き籠る生活になりました。少年の唯一の友達であるアポロと、誰にも邪魔されない静かな部屋でおしゃべりする事だけが、唯一の楽しい時間だからです。少年は現実ではもう二度と笑わないかもしれませんが、アポロといるこの瞬間だけは、凍り付いた心がじんわりと嬉しさに満たされているのです。




