忘失の縁
記憶にノイズが走る。夢に整合性がない。
とても、とても大事なことを忘れている気がする。なのに、思い出せない。
目を覚ますとオレはなぜか泣いていた。
「手を上げろ」
そして目を覚まして早々、オレは複数人の大人達に銃口を突き付けられていた。
「……何事ですか?」
開かれた扉の前で若い男の人が襖で丁度見えない位置に居る誰かに話し掛けていた。
「はい。例の少女一人です。男の姿はありません」
襖の影から重い金属音と共に一人の男が姿を見せた。
最強、雨宮雷蔵……。
その男は片膝をついて俺に目線を合わせ優しく話し掛けてきた。
「こんにちは。君が、西園寺遥さん、だね?」
「は、はい……」
「少しお話良い?」
計画のために散々見てきた戦闘記録の男とは思えない程落ち着いた声だった。
「君達と一緒に行動していた人物はどこにいるか分かるかい?」
「一緒に……行動……」
記憶にノイズが走る。
「えっと……」
何かが、何かに変わっている。その事にオレは気付けなかった。
「オレ達……脅されていて……」
「うん」
「…………彼方……という男に……」
雨宮雷蔵は僅かに目を細め視線を落とした。
「そう。そうかい。ありがとう」
男は立ち上がると別の部屋で会話をし始めた。
「やはり記憶が……」
「事前に映像の証拠まで捏造して置いていったか……。一連の騒動はあの男一人に背負わせる気だ」
「他の三名も同じ供述をしています。出てきた指紋も種類が多く特定は不可能ですし、探し出しのはほぼ不可能かと」
「結局カンナギが言った通りか。確かに負けだな」
辺りを見渡す。
警察、特殊部隊、そして対異能組織の人。
あの騒ぎだ。仕方ない……。
だけど、オレの側に居た筈のお母さんが見当たらない。
「あの……お母さんは……」
近くに居た警察の人に聞いた。
「回収させていただきました。大丈夫です。丁重にお連れします」
「そーですか」
……
…………
………………
落ち着かない。
このままで良いわけがない。今すぐ動かないといけない。■■がどこに行って何をするのか分かっている筈なのに……。誰?何をするの?分かる筈なのに分からない。思考がその答えを出すことを拒否してる。
まるで水の流れを塞き止められているみたいに。
「……違う……」
頭が痛い。熱が出そう。
おもむろに立ち上がりフラフラと彷徨うように家の中を散策する。
「あっ、ダメだよ動いたら……」
オレを見ていた人が止めようとしてくれたけど雨宮雷蔵が制止させた。
「……見守ろう」
おかしい……、オレは……、何か大事なことを……。
皆で食事する居間、客人を通す客間、食事を作る台所、人が訪ねる玄関と土間、一人一人に割り当てられた寝室。
そして、オレは一つの扉の前に立ち止まった。鍵が掛かった、部屋の前に。
鍵は外からの古臭い代物、オレの異能で鍵そのものを壊せば中に入れた。
扉を開ける。窓のない一畳ほどの小さな部屋、机とドラえもんが寝てそうな押入れしかなかった。
まるで、あの女からオレに与えられた部屋みたいだった。
違う。オレより酷い……。
「……失礼」
雨宮雷蔵が中に入ると押入れを開く。
「何もない?」
「……まずいな」
口元を押さえて小さく呟いた。
「掃除した後、処分した私物、加えて元ヤクザの……、死にに行ったな」
部下の人は焦燥に駆られた顔をして踵を返し他の部隊員に伝える。
「捜索にかかれ!絶対に見つけ出すぞ!」
オレは唖然としていた。
「見上げた忠誠心だよ。それとも恩義か。どちらにせよ普通は痕跡の一つでも残そうとするんだがな……。どこかにないか」
小さな部屋を探す雨宮雷蔵は押入れの奥の壁を叩き首をかしげた。
「薄い……確かこの奥にも空間があったが……入り口はなかったな」
壁の縁を触っている。
「最近釘で固定した痕、わずかな隙間……仕方ない壊すか」
大きな音と共に機械の足で蹴り壊した。
「……ふむ」
オレは唖然とした。その奥にちゃんとした部屋があったから。
「隊長!何の音ですか!」
「壊した音」
「なにやっ……後で鑑識入るんですよ!」
「そうだな」
だけど、これは……
「……元武器庫が有ったぞ」
「元って」
「全部持ち出されている」
何かがそこに有った痕はあった。ただ、肝心の何かがない。
「刃物に、投擲武器、やっぱり彼がそうだな」
「例の事件に関わってるのですか?」
「というより犯人だろう」
奥に進むと金庫があり、開けようとしても鍵が掛かっていた。
「……何もない部屋に、鍵の掛かった金庫……。そうだよな、痕跡は遺しておきたいよな」
「どうしますか?」
「知人に鍵職人がいる。開けてもらおう」
「良いんですか?」
「怒られる。が、今は行方の証拠が欲しい」
その時、何故かオレは声が出た。
「0218」
それは今日の日付であり、お母さんの誕生日で、そして、お母さんが死んだ日だった。
「暗証番号?でもそれは今日の日付で……」
無言で雨宮雷蔵が入力し、そして、解錠された。
「……マジか」
金庫の扉を開くと大量の手紙のようなものが出てきた。
「い、一体何通」
「ざっと百通だな」
オレは呆然とその光景を見ていた。急に怖くなったから。読んじゃいけない気がし始めた。
記憶にノイズが走る。取り戻しちゃいかないと警告し始める。
でも、でも、でも……見えてしまった。
「遺書だ……これ全部……十年以上前からの……」
「え……」
遺書……。誰が誰に……。
「……証拠、で良いんでしょうか」
「明園会唯一の構成員、暗器と呼ばれた暗殺者の死地へ赴く際に書いていた遺書だな」
明園会の構成員?暗記?暗殺者?
「なに……何で……」
分からない分からない分からない。オレは知らない。
割れるような痛みに耐えながら一番上の遺書を手に取る。
一番新しい遺書だった。
「……」
遺書を広げて読む。
達筆で文章と、オレに向けられた言葉が綴られていた。
謝罪、感謝、これからの事、これまでの事、そしてまた謝罪。正直ありきたりの文章過ぎて特に印象はなかった。
最後の名前を見るまでは……。
「……鈴宮……彼方……」
鈴宮……鈴宮……。その名前に封じられた記憶が蓋を壊して溢れだした。
「鈴宮……お兄ちゃん……」
幼い記憶が甦る。
笑うお母さんに、からかわれる鈴宮のお兄ちゃん。オレが歩けるようになった頃には毎日のように家を訪ねていた近所のお兄ちゃん。
西園寺の姓を名乗るようになってからはどうなったか覚えていない。そもそも知らないかも。
いや、それよりももっと大事な記憶、お母さん、お母さんは……確か、鈴宮お兄ちゃんから……確か……。
「指輪……」
その遺書の中に入っていた。鈴宮お兄ちゃんがお母さんに送った筈のタンポポが象られた指輪が入っていた。
「……何で」
熱が広がるように引くように、大好きだった人達の記憶を思い出す。
大好きだった人達の恋を思い出す。
「お兄ちゃん何で……オレだけ置いきやがったですか!」
恋路の末路を、引き裂いた物語の終わりを、オレは思い出した。
いや、違う。全部背負って、全部被って、あの日、零士にぃ達と一緒にオレの記憶も変えたんだ。罪悪感に押し潰されないように。取引をして。
頬を熱いものが流れ、心が耐えきれずに嗚咽してしまった。崩れ落ちて、遺書と一緒に指輪を握りしめる。
心愛と名乗った女が何をしたのか思い出した。あの日、彼方は、鈴宮お兄ちゃんは……。あの女を殺しかけたんだ。
血塗れで帰ってきた鈴宮お兄ちゃんがあの女を斬り倒して、でも、オレ達の心は人質にされた。
それで取引をした。命を取らない変わりに皆の心を尊重し、記憶と心を弄れるならオレが罪悪感に押し潰されないようにして、代わりに計画に荷担する。だから彼方は心愛に言いなりだった。
オレ達が足枷になった。
彼方一人なら勝てたのに。
「彼方……鈴宮お兄ちゃん……」
名乗らなかった。家出したあの日、気付かなかったのに名乗らなかった。面影なんて無くなっていた。どこにでもいる誰かとして彼方はオレを助けてくれた。
なのに、オレは……あの日々をくれたのに何も返せていない。
「嫌だ……嫌だよ……」
でも今ならまだ間に合う。まだ……
オレは自分の意思で、自分の力で、空間を跳んで行った。




