癒えない傷痕
「……」
オフィスビルの最上階から沈んでいく夕日を眺めていた。
「綺麗よなぁ」
……。
「人は、色んな物に付加価値を見出だす。本来価値の無いものも価値有るものと流布することで人々が手を伸ばし欲するものを作り出す。そして、制限することで価値を吊り上げ、見下してきた連中を追い出してきた。そうやろう。なぁ。西園寺」
夕日に照らされワシの影が床に伸びていく。
「……何が……言いたい」
ワシの視線の先に西園寺家の夫婦と長男が横たわっていた。
「おどれらの稼ぎ方は人を殺す言っちょるんよ」
「……それは……」
「人の命は等価値じゃない。わかっちょる。でも無価値でもない。そうじゃろう」
「……確かにその通りだ……」
相変わらず物分かりの良い人。きっと見抜けなかっただけだ。
この女の自覚無き性悪さを。
「こちらからも質問だ。何故我々を殺さない?いたぶる趣味でもあるのか?」
「最後の仕事じゃけぇ、少し話をしたくなってなぁ」
「話?」
「……ワシが彼女と出会ったのは十の時、水路に落ちて登ろうとして膝から下の皮が抉れ捲れ、それでも歩いていて帰ってたら流石に心配されて治療を受けてなぁ」
「……」
「十七歳じゃ。此方は十七、その時にはもう三才になる娘がいた。最初は年の離れた姉妹じゃのぉって思っちょった。じゃけど、違った。なぁ、冬美殿」
手足の筋を斬り動けなくなった女を見下ろしていた。
「あんなおぞましい真似、良くもまぁ出来たなぁ」
「……だったら……何?」
悔いる様子も、反省の色も、何もない。自分は悪くないと常に言い聞かせている。
「貴方には関係無いでしょう?ただ出会っただけの貴方、子供だった貴方、見向きもされなかった貴方には」
「確かにワシはガキで、此方は大人になるしかなかった女だ。どれ程頑張ったところで弟以上として見てくれることはなかっただろうよ。あの日が来るまではな」
ワシは刀を抜いて冬美殿の喉元に押し当てた。
「待てッ!先にこっちを……」
「最初からこの女だけじゃ。殺すのは」
ワシに殺されかけているというのにこの女は恐怖の色に染まること無く、それどころか優越感に浸っているような笑顔で常にこちらを見ていた。
「嫉妬でしょう。憎いんでしょう。私が、知りえない彼女の顔を知っているから、羨ましいんでしょう」
穏やかに、でも、誇るように。
「……」
「貴方は傷にも、毒にすらなれなかった。誰かの心に残ることなんてない。鈴宮彼方は、東雲此方の眼中に写らなかったのだから」
勝ち取ったものを無作法に下品に見せびらかせ。
「…………」
「今でも覚えてる。怯えた顔、恐怖に染まった顔、何も信じられなくなった顔!私は、やってやったの!汚してやったのよ!あの無垢をォッ!」
汚く喘ぐように興奮しながら。
「………………」
「意気地無しの貴方には出来なかった事を私はやり遂げたの!」
正しく吐き気を催す邪悪を口汚く公言した。
心底……
心底…………
心ッ底ッ……!
「……ハッ」
笑いが込み上げてきた。
「アハハハハハハハハッッ!」
ただ思った。こいつは同じ穴の狢だと。
ワシと同じ、自らの価値観が全てでなければ生を実感できない破綻者だと。
唯一違うものがあったとすればそれはこの価値観だけが全てではないと知れたか否かだ。
初めて無価値と思える命だった。
「お前が最後の仕事で良かった。初めて、心底どうでも良いと思える命に出会えた」
今までの奴らもこれぐらい刀を軽く動かせるような人なら楽だったのに。
「……」
確かにこれは復讐だ。だが、それよりも優先すべき事項はある。例えば、遥を苦しめる奴がこれでいなくなるとか。
だから、これで良い。いつも通り何も感じなくて良い。
心を空にして首をはねようとしたその刹那、遠方で星が輝いた。
瞬きの後、ガラスは砕け人間が飛び込む。
「流……星……」
黒い髪と青く光る目、鋼のような翼、星のように空を駆ける男が寸前で乱入してきた。
眼前に迫る拳を防ぐも吹っ飛ばされ後方の強化ガラスに衝突した。
「……随分と、遅い到着じゃな……もっと早く来ると思っちょったのに」
まるで浮かぶように着地し熱を吐き出す。
「遠出してて。急いできたけど四十分も飛ぶのは流石にしんどかったよ」
四十分……ワシが行動を起こすよりも速いな。
……カンナギか。
脳裏に浮かぶ人を超えた何かだった少年。何故か目の前の男と少年に重なるものを感じる。もっとも変容しているものが心という点が同じなんじゃろう。
「……で、なしてそいつを庇った?なして守った?」
奴の右涙袋がピクリと動く。それは雨宮翔が僅かに違和感を感じ取った所作。
……気付いたか?いや、まだ、疑惑程度か。
「そいつは世にもおぞましい真似をした。ワシが出会ってきた中で唯一の無価値な命だと思っちょる」
「……まぁ、うん。やったことは大体知ってる」
「なら」
故に力強く、雨宮翔は確固たる意思をもって言う。
「でも、それはお前が人を殺して良い理由にはならない」
「……」
なるほど、こいつは……また随分と、ヒーローらしい。
「だから止める」
自らの理想がどれ程傲慢か理解しておきながら貫きつつ、その上で社会的な正しさとすり合わせどうするべきか、どうしたら良いかを探っている。
すなわち正道を行く。それがお前の正しさの根底だ。
だがそれは……
「正論で人が救えるか……」
お前の守りたいものを潰す行き方じゃ。
「救えないよ」
「……知っちょって……」
「個人を救うものは人情でしょ」
笑いながら目の前の男はそう言った。
「おどれ……そうか、確かにこれはヒーローじゃな」
まだ道半ばな半端者。それを誰よりも理解しているもの自分ということか。
想像以上に歪な心で生きている。
「僕は……ヒーローじゃない」
じゃろうな。おどれはまだこれから。
これ程の覚悟、これ程の生き様、これ程の輝きを目の当たりにしてワシの心は……心は…………。
一切の機微が無かった。
「そうか……」
意識が沈んでいく。無意識が呼び起こされる。いつも通り、人を殺す為に心を空っぽにする。体の自由を、その一切を手放す。
在り方を切り替える。
切り替えた刹那、ワシから仕掛けた。わざと近付き居合を見せる。
難なく躱されそのまま接近戦に持ち込んだ。
流星の腕に纏わり付く液体金属は硬質化し刃を受け止める。なんとまぁ器用に使う。
「フッ!」
一息の攻防、背面機関から生み出されるされる推進力を加えた高速の拳はコンクリートを砕き鉄骨を折る。
間一髪回避したワシは距離を取り刀身を鞘に納める。
奴が止まった瞬間、体勢を整え切り返し再びワシ目掛け飛ぼうとしている。その僅か、されど十分すぎる隙に居合を叩き込む。
刀身を伸ばし先端は音速を超える居合抜刀、その攻撃を流星は懐のワイヤーを右足と右腕で固定し到達した刃を受け止めた。
「なぁッ……」
「その技はもう見切ってる!」
距離を詰められ腹部へとさっきと同じ加速した左の拳が鳩尾にはいる。
揺らぐ視界、しかし意識は最後まで手放さない。
「……ゥ……フゥウウウ」
時間はあった。一度見ただけの居合を鮮明に思い出しつつどのタイミングで防げば間に合うか頭の中で繰り返しトレースしたのか。
「化け物が」
この様子だと突きも攻略される。
流星には剣士としては最高の存在が側に居る。その技を側で見ていたのならワシの小手先の技術なんぞ見破られる。
……だが、ワシは剣士でなはい。
「……」
ワシが再び居合の構えを取る。それに呼応するように奴は腰に取り付けられたリールから糸を出す。
また防ぐ気じゃろう。一度目は出来た、二度目もできる。その上で一切の慢心無く集中して。
……
…………
………………
いつもやってきた。殺す練習はいつも。人を、命を、そして何より、己の心を……。
故に、心は枷となる。実力を隠すにはちょうど良い。
「抜刀」
瞬間、斬撃が飛ぶ。正確には防御をすり抜けるようにほんの一瞬だけ伸ばした。
直感が反応したのか、或いは見えていたのか、雨宮翔は防御ではなく回避を選択し、絶命するはずだった命は致命傷で済んだ。
「なん、で……」
「……」
もはや戦闘以外の思考も放棄した。ここから先は兵器としての出番。
ワシは剣、殺すべきものを殺すただの【暗器】じゃ。
「殺してやるけぇ、大人しくしちょれ」




