36 穏やかな午後
『驚いたわ。リリーって、本当に人間になるのね』
『えっ? 信じてくれていなかったんですか、お姉さま』
『信じていたわよ。でも実際に見ると、驚くということよ』
『僕もびっくりしたよー! スピカおばちゃんがリリーが帰ってきたって言うから、ご主人様の部屋まで行ってみたけど、最初、全然わからなかったもの。すごいね、リリーって。ねえ、スピカおばちゃん、僕もいつか人間になれる?』
『なれないわ。普通なれるものじゃないの。リリーは特別なのよ』
『そっかー、残念。ところでさ、今回僕も連れて行けば良かったんだよ。そしたら、ミッシェルを誘拐した犯人に噛みついてやったのにさ』
『ミッシェル様とお呼びしなさい。でも、確かにそうね。あなた大きくなったから、少しは役に立ったかもしれないわね。わたしは行かなくて正解だったわ。ショックで心臓が止まってしまうところよ』
事件の二日後、顔の腫れも引き、元気になったミッシェルは普段の生活に戻っていた。
今は、家庭教師の先生が来て勉強中だ。
ソファーに腰かけ刺繍をしているキャシーの横で、三匹は話をしていたが、
『ちょっとリリー! 寝ないでよ! もっと詳しく事件の事教えてよ!』
『えー……もう話したわよぉ。少しお昼寝させて。眠いのよ』
『昨日一日、ずっと眠ってたじゃん!』
『そうだけど、夜はあまり眠ってなくて……』
『なんでなんでー?』
『なんでって……いや、その……』
モゴモゴと言葉を濁し、リリーは黙り込んだ。
(……だって昨日はリュカ様のお帰りが遅くて、犯人が一応捕まったって教えてくれて、わたしもカミーユさんにリュカ様と一緒に会いに来るように言われたって事を報告して……で、その後、いろいろあったんだもん)
チェイスに聞かれた事によって、あまり考えないようにしていた事を思い出してしまう。
(……昨日は前の日よりも、ちょっとだけど心の準備ができていたというか、余裕があったというか……リュカ様も、頭を撫でてくれたり、名前を呼んでくれたりして、すごく優しくて……キスも沢山してくれた。唇だけじゃなくて、指先とか、手のひらとか、首筋とか、あと……)
『うわっ! リリー毛が逆立ってる! どうかした!?』
『えっ? な、なんでもないわ!』
慌ててチェイスにそう言うと、リリーは気持ちを落ち着ける為に、毛づくろいを始めた。
(あー、ダメダメ、昨日の事思い出すと体がブワッとする)
そんなリリーを、スピカは面白そうに眺めているが、チェイスはつまらないらしい。
『あーあ、早く勉強終わらないかなー。僕、ちょっと庭で走ってこようかなー。あっ! ニックが来た!』
いい遊び相手が来たと、尻尾を振って戸口で迎えるチェイス。
『……スピカお姉さまは、ニックが来た事わかります? わたし、まだわからないですけど』
『昔はわかったけど、今はもう駄目ね。ああ、このくらい近づけば、わかるわ』
『わたしはまだだな~』
そんな事を話していると、扉がノックされ、ニックが入って来た。
『ニック! ニック! 遊んでよ!』
「こーら、チェイス。ミッシェル様がお勉強中は静かにしろ」
そう言いながら、ニックはキャシーの隣に座った。
「刺繍か」
「ええ、そう」
「ふーん……あ、そうだ、旦那様に頼まれてた物があるんだ。これ、キャシーにって」
「えっ? 旦那様がわたしに?」
『えっ? リュカ様がキャシーに?』
気になったリリーは、キャシーの手元を覗き込んだ。
小さな布製の巾着袋を開けてみるキャシー。
「お金が入ってる! しかも沢山! 旦那様、何て言ってた?」
「リリーさんがキャシーに親切にしてもらってとても喜んでいた礼だって言ってた。あと旦那様も、感謝してるって……ホントだ、大金じゃないか。何してやったんだ?」
「え? ああ、うん、まあ、女性同士、ちょっとした協力をね。……良かった、うまくいったみたいね」
「なにが?」
「秘密! それよりも、リリーさんって美人よね」
「そうか? 別に普通じゃねぇ? 俺は、キャシーの方がずっと美人だと」
「あーいいからそういうのは」
ニックが褒めているのを軽く流すキャシーに、『長い付き合いだとそういうもの?』とリリーは驚く。
(こんな事言われたら、わたしなら照れちゃってもじもじしちゃうけど。あーあ、早く、これくらい余裕を持って接する事ができるようになりたい。大体、リュカ様はすごく綺麗だから、見つめられるとドキドキしちゃうんだよね。見上げた時、金色の長い髪がバサーッと落ちてきていて、その影の中に、じっとわたしの事を見つめているリュカ様の顔があって、目が合った時にフッと優しく微笑んでくれて……)
「あらリリー、毛を逆立てちゃって、どうしたの?」
キャシーに声をかけられ、慌てて毛づくろいをする。
「旦那様の彼女は、リリーと同じ名前なのよぉ、すごい偶然ね。二人はどこで知り合ったのかしら。リリーさんって、とっても気さくで、感覚がわたし達庶民と一緒なのよね」
「ああ、貴族って感じはなかったな、全く」
「昨日、あんなに早く帰ってしまうだなんて思っていなかったから、見られなかったみんなはがっかりしてたわ。旦那様と一緒に早朝に出てしまったって聞いたけど……もしかして旦那様は、みんなにリリーさんを見せたくないのかしら。だってほら、すごい美人だから、屋敷中の男達が好きになっちゃったら大変だし」
「いやぁ、それなりの美人かもしれないけど、そこまでじゃないだろ。と、いうか、なんかこう……色っぽくないよな」
「そーお?」
「男と女の思う美人は、違うんだよ」
「えー? じゃあ、ニックが美人だって思うのは誰よ」
「そうだなー……シェリンさんとか?」
「えっ?」
(……駄目だ、この男……)
ニックの答えに、リリーは大きな溜息をついた。
(ここでキャシーと答えなきゃ、でしょ。しかもシェリンさんって言うなんて……愚かとしか言いようがないわね)
「そう……確かに美人よね、彼女。胸が、す・ご・く! 大きいし」
「だよなー。とにかく色っぽいんだよ。女って感じだよなー」
(バカっ! なに同意してんのよ。どうしようもないわね、ニックは)
「……ねえニック、さっきからチェイスが遊びたがってるから、ちょっと庭に出してあげて」
「ん? ああ、わかった。よし、行こうか、チェイス」
自分の大失態に何も気づかないニックが部屋を出て行ってから、キャシーは刺繍をしていたハンカチを、ポイ、とテーブルに放り投げ、代わりにリリーを抱き上げた。
「なによニックったら、失礼しちゃう。どうせわたしはあんなに胸大きくないですよ」
『大丈夫よ、キャシーは充分あるわ。ほらほら、わたしより大っきい』
前足で、胸をクイクイと押す。
(まったくもー、一番良くない答えよね。シェリンさんって、最初、リュカ様がわたしの事をその人かと勘違いした、弟さんのお屋敷からこっちに来た人よね。確かに色っぽいけど、前いた侯爵家ではこうだったのにって伯爵家を下に見るような事を言うし、しょっちゅう仕事をサボるし、男の人と女の人とでは態度があからさまに違うって、女性使用人全員の不評をかってるような人なのに)
「……やっぱり、男の人ってああいう女性がいいのかな。ねえ、リリー」
『そんな事ないわよ。ちゃーんと、ニックはあなたの事が好きよ。まだちょっと若くて思慮が足りないけど』
「せっかく、ニックの為にハンカチに刺繍していたのに、やる気なくなっちゃったわ」
『あー、そうだったんだ。まったく、ニックったら』
「それにしてもこれ、月のお給金近くあるんじゃない?」
先ほど渡された巾着の中を見て、キャシーが呟く。
「……旦那様、お気に召して下さったようね。……リリーさん、良かったわね」
『あ~、はい、ありがとうキャシー』
また毛が逆立ちそうになりながら、リリーは心の中で礼を言った。
昨日、リュカからこの下着はどうしたのかと問われ、キャシーにもらった事を話した。
『リュカ様には、いい意味で驚かされた、って言われました。キャシーのおかげです、ありがとう』
「あげた物の十倍くらいのお金なんだけど……よし、わたしとリリーさんとで半分こという事で、また素敵なヤツ買ってプレゼントしよう。五枚ずつくらい買えるわね。旦那様は大人だから、もっと攻めた物のほうがお好みかしら?」
「ニャーッ!」
『やめてー! 買ってくれるなら、もっと、もっと落ち着いた可愛い系の、そして布の多い』
「……赤とか、黒とか?」
「ニャーッ!!」
リリーの抗議の声は、もちろんキャシーに届く事はなかった。
わたしの小説の必須アイテム! 煽情的な下着、大好きです。




