37 薬屋・黒猫へ
リュカとリリーがカミーユの店を訪れたのは、『こういう事は、きちんと準備をしてからでなくては』という考えのリュカが時間をかけて計画を立て、事件から十日後の事となった。
当日の朝、まずリュカは「今日は帰ったらすぐ出かける。場合によっては戻らない」とロイドに伝えた。
「かしこまりました、旦那様。ですが……お屋敷に、お連れになってはいかがですか? 詮索はいたしませんので。なんでしたら、使用人全て、自室に戻らせますし」
リリーに逢いに行くと勘違いしたロイドにはそう言われてしまったが、『まあ、勘違いされていた方が都合がいい』とリュカは否定しないでおいた。
一方リリーは、暗くなってから猫の姿のままそっと屋敷を脱出。
さりげなく、リリーの着替え一式を持って馬で出かけるリュカと合流し、街へ向かう。
猫の姿ではリュカと話しはできないが、事前に店の大体の位置は説明してあるので、リリーが猫のうちに店を目指す。
リリーはリュカの腕に抱かれ、上からマントで隠され、時々顔を出して『ニャッ』と道を指示し……、
(つ、着いた~)
久しぶりに、カミーユの店にやって来た。
『薬・茶 黒猫』という看板を確かめ、リュカが扉をノックすると、『閉店』の札が掛けられているにもかかわらず、すぐに扉が開かれた。
「お待ちしてましたよ。さあ、どうぞ」
真っ黒の飾り気のないドレスに真っ赤な口紅で、黒猫を抱いたカミーユが店の中に促した。
「初めまして。リュカ・べルナルドです。遅い時間に申し訳ない」
「いいんですよ。リリーが猫のままじゃあ、話せないですからね。わたしはカミーユ。こちらはパートナーのルウ」
「こんばんは、伯爵様。娘がお世話になっております」
当たり前のように人の言葉を話すルウに、リュカは内心驚いたが、リリーから予備知識として聞いていたので、
「とんでもない。こちらこそ彼女には色々と助けてもらっています」と丁寧に挨拶をし、
「ニャーン」
まだ猫のままのリリーも、リュカのマントから顔を出して挨拶をした。
「リリー! この間は大変だったわね」
『ルウお母さん! それにカミーユさん! この間は助けてくれてありがとうございました!』
「いいんだよ。さあ、狭い所で申し訳ないけれど奥へどうぞ」
店舗を通り、奥の部屋に進み、椅子を勧められたリュカは軽く会釈をして座った。
そのリュカの前に赤ワインの入ったグラスを置いてから、カミーユが手を伸ばす。
「早速で悪いが、ちょっとリリーを見せてもらえるかい?」
「ニャー」
リリーが『大丈夫です』というように鳴いたので、リュカはリリーを手渡した。
「ありがとう。……うん、毛並みもいいし、肉付きもちょうどいい。大切にしてもらってるようだね」
「ニャーン」
「さて、リリーが人間の姿になるまで少し時間があるから、それまでは貴方の疑問に答えましょうか、ベルナルド伯爵様」
カミーユも向かいの椅子に腰かけ、ワインを一口飲む。
リリーはテーブルの上に置かれ、すぐにルウがやってきて嬉しそうに鼻をくっつけた。
「リリー、大きくなったわね」
『ルウお母さん、元気そうで良かった』
「あなたもね。楽しくやっているようじゃない」
『はい、おかげさまで』
「伯爵様が恋人だなんて、なかなかやるわね」
『ちょーっ! お母さん!』
「え? だってそうなんでしょう? ねえ、伯爵様」
「私がリリーの恋人か、ということでしたら、ええ、そうです。私はリリーを愛しています。それで、早速なのですが、貴女方は、猫のリリーと会話する事が出来るのですか?」
リュカの言葉に、カミーユは「ああ、そうだった」とすまなそうな顔をした。
「うっかりしていた。そう、わたし達は頭の中で猫のリリーと話す事ができるのさ」
「私もそのうちできるようになるでしょうか」
「それは無理だね。わたしと、このルウが特別なんだよ。リリーからはわたし達の事、何か聞いているかい?」
「カミーユ殿については、『わたしを猫として生き返らせてくれた人』ルウ殿は『言葉が話せる猫で、わたしのお母さん』とだけ。『何が話していい事なのか、自分では判断できない』と言っていました」
「そうかい……うん、その通りだね、リリーは賢い子だよ。では、少し説明させてもらおう。見た目はこうだが、実際はかなりの年齢でね。伯爵様に対してこんな言葉遣いで悪いが、年長者という事で大目に見ておくれ。貴方も、気軽に話してくれればいい。……さて、わたしだが」
カミーユは一度言葉を切り、ワインで喉を湿らせてから言った。
「わたしは、『識る者』。なんでもできる存在ではない。ただ、他の者より多くの事を『識る者』。その知識をもって、体が死んだリリーの魂を、魂の死んだ子猫の体に入れ、再びこの世に復活させた」
「その子猫というのは、わたしの子です。馬車に轢かれて死んでしまった子から離れられず、わたしまで轢かれそうになっていたところを、リリーに救われました」
ルウが申し訳なさそうに補足をした。
「さあ、伯爵様、何か聞きたい事は?」
「……リリーが人間の姿になる時間ですが、少しずつ長くなっているようなのです。今後、リリーが完全に人間となる事はあるのでしょうか」
『えっ?』
何も自覚がなかったリリーは、驚いてカミーユを見たが、
「……それは無いだろうね。というか、人間の姿になったのも驚きでね」
渋い表情でグラスのワインを飲み干し、すぐにまた、なみなみと注ぐ。
「これはものすごく古い術でね、わたしは初めて行ったし、話でも文献でも、姿が変わったというのは聞いた事が無い」
「そうですか……」
『リュカ様ぁ……』
リュカの表情が沈んでいるように見え、リリーは不安になりながら側へ行き、腕に頭をこすりつけた。
「悪いね、こんな無責任な回答しかできなくて。理解しているつもりで術をかけてしまったわたしの失態だ」
「いえ。貴女が術をかけてくれおかげで、リリーと出会えたのですから」
リリーをテーブルから自分の腕の中へと抱き上げ、リュカは微笑んだ。
「ところで、亡くなった妻のオリヴィアですが、生前どこからか猫を譲り受ける約束をしていました。それは、貴女ですか?」
「ええ、そう。ルウの子が生まれたら、あげる事になっていた」
「オリヴィアとは、どうやって知り合ったのでしょうか」
「彼女の乳母だった者がここの常連で、その紹介さ。ほら、ここは薬屋だから」
「そうですか……彼女は」
その時、腕の中のリリーがグネグネ動き出し、
「ああ、リリーが人間に変わるようです」
そう言って、リュカはリリーを床に降ろした。
「おっと、それじゃあどんなもんか見させてもらおう」
いそいそと立ち上がるカミーユに、リュカが布袋を差し出す。
「この中に彼女の着替えが入っていますので、渡してやってくれますか」
「ん? ああ、預かりましょう」
笑顔で受け取ると、
「リリー、寝室を使うといい。扉は開いているから先に行って」
そう声をかけ、後からルウと一緒に部屋を出て行き……しばらくすると、カミーユだけ先に戻って来た。
「今着替えているところだよ。いやー、驚くね、目の前で見ると。伯爵様はよく受け入れられたね」
「驚きましたよ。剣まで突き付けましたからね。最終的には、猫のリリーにしかわからない事を言われて、納得するしかなく」
「なるほどね。いや、本当に貴方のような方で良かった。魔物として殺されてもおかしくないからね。さっきも、リリーの裸は見慣れているだろうに、見ないように気を遣っていたね。わたしは貴族や王族にはあまり良い印象を持っていないけれど、貴方のおかげで考えが変わったよ」
「……見慣れては、いませんよ、まだ」
少し赤くなりながら否定をしたリュカだったが、すぐに真剣な表情となり、小さな声で尋ねる。
「リリーの事ですが、寿命はどうなのでしょうか」
「すまないね、それもわからないよ。文献によれば、魂を移した生き物の寿命くらいは生きるはずだが」
「貴女は見た目よりかなりの年齢を言っていましたが、そういう、何か寿命を延ばす方法を知っているのでしょうか?」
「いや、それについても申し訳ないが、これ、というものは無い。ちょっと事情があってね、わたしはたまたま長生きなんだよ。まあ、今後のリリーの健康については出来る限りの事をすると約束しよう」
「ありがとうございます。それと……」
リリーがまだ戻ってこないのをチラリと確認し、「オリヴィアの事ですが……」と言葉を続ける。
「彼女は、乳母の紹介でこちらに来たのですね?」
「ああ、そうだよ」
「彼女は、どうしてこちらに?」
「そりゃあもちろん薬を買いにだよ。うちは薬屋だからね」
「どんな薬を求めに来たのでしょうか」
「女性だもの、欲しい物は色々あるさ。薬だけじゃなく、肌をきめ細やかに整えるクリームや、髪に艶を与えるオイル、いい香りの石鹸……そうだ、リリーも欲しいんじゃないかい? ねえ、リリー!」
「え? はい! なんですか?」
ちょうど着替えを済ませて戻ってきたリリーが尋ねる。
「いい香りの石鹸とかクリームとか、レースや絹を傷めず洗える洗剤とか、欲しくないかい?」
「えっ! 欲しいです! すっごく!」
「ほらね、女性が欲しい物が、ここには沢山あるのさ。おや、リリー、良く似合ってるじゃないか」
「そうですか? メイドさんの制服なんです」
リリーはニコニコとワンピースのスカートを摘まんでみせた。
「さあ! それじゃあ、今日きてもらった理由を話そうか。リリーも座っておくれ」
そう言われ、リリーはリュカの横に座わり、リリーと一緒に部屋に戻ってきたルウは、テーブルの上、カミーユの前に座った。
「リリーにも黙っていたが、オリヴィアに子猫を譲る約束をしたのには訳がある。オリヴィアは、自分や自分の子供に危険が訪れると怯えていたんだよ。命を狙われていると思っていた」
カミーユの言葉に、その場の空気が変わる。
「わたしが人より不思議な力を持っている事を知っていた彼女は、二度目の妊娠中、ここに相談に来た。命を狙われているようで恐ろしい、助けて欲しい、と。誰に狙われているかは、わからないと言っていた。何かそういう事があったのか聞いてみると、そういう訳ではないが、狙われているような気がする、と言う。……正直わたしは、彼女が妊娠した事によって精神が過敏になっているだけじゃないかと思ったのだけれど、不安を取り除けるように提案をした。『猫の目を通して、危険が無いかを見てあげよう』と」
「猫の目を通して、とは」
「言葉の通りさ。屋敷で猫を飼ってもらい、その猫が見た物をここでわたしが見て、何か悪いたくらみをしている人物がいないか探してやるという事。その時まだ子猫は生まれていなかったから、生まれたらオリヴィアに譲る予定だった。しかし、その前に彼女は殺されてしまった」
「そんな……」
ショックを受け、思わず口元に手をやったリリーに向かって、カミーユが言う。
「悪かったね、黙っていて。これが、監禁されている小屋にわたし達が助けに行けた理由だよ。リリーの目を通して、様子を見ていたのさ」
「それは別に……おかげで助かったし。……あれ? でも、わたしが見てるもの、全部ですか!?」
重大な事に気づき、リリーは悲鳴のような声を上げたが、
「ああ、大丈夫。あんた達の秘め事は見てないから」
と、リリーの心配を察したカミーユは笑いながら言った。
「わたしだってそんなに暇じゃないんだ。常に様子を見てはいられないよ。リリーが身の危険を感じたりすると、こちらでもわかるような工夫をしてるのさ。あと、最初にリリーが言ってただろう? 人間の時と見え方が違う、色があまりわからないって。だからそのへんも、人間の時と同じように見えるようにちょっと工夫をして……あ……もしかして、そのせいで人間の姿に?」
カミーユがハッとしたようにリリーを見る。
「そういえば、前より色が鮮やかに見えているかもしれないです」
「参考までに、その『ちょっとした工夫』とはどんなものだったのでしょうか?」
リュカの問いに、カミーユは少し考えてから『……ちょっと、言えないね』と答えた。
「……とにかくオリヴィアは、彼女が心配していた通り、命を狙われて殺されてしまった。犯人は捕まって処刑されたが、自分ではないと言っていたんだろう?」
「そうですね。最後まで違うと」
「そして今回、息子さんが誘拐された。無事に救い出す事ができたわけだけれども、犯人はどうなったんだい?」
「山小屋にいた二名は、誘拐を依頼した男に殺害されました。その男は私と同じ、近衛騎士団の一員でした。ただ彼は自分が一人の考えと言っていますが、リリーの話から、誰か黒幕がいると思われます」
「つまり、オリヴィアが不安に思っていた事は、まだ続いている可能性がある」
「…………」
「まあ、オリヴィアの不安自体、本当だったのか気のせいだったのか、わからないよ? しかしね、用心するにこした事はない。わたしは目立つ事は避けたいから、この事も言わずにいようかとも思ったんだがね、まあ、そうもいかないだろうと……」
そう言いながらチラリとルウの方を見たので、もしかしたらルウが説得したのかもしれないとリリーは思った。
「と、いう事だから、今後はたまに近況報告や体調の報告の為にここを訪問して欲しいと思ってね。どうだろう、伯爵様」
「それは、こちらとしても有り難い話です」
「良かった。それじゃあ、よろしく頼むよ」
そう言ったカミーユの前に、リュカが小さな布の巾着袋を差し出した。
「これはこの間の、ミッシェルとリリーを救って頂いたお礼です」
「ん? ……中を確認させてもらうよ」
そう言うとカミーユは袋の口を開けて「う~ん」と唸った。
「ありがとうございます、と受け取るのはためらわれる金額のようだね。リリーはうちの娘なのだから、助けに行くのは当然だし」
「ですが今後も、リリーの目を通して、彼女やミッシェルの事を見守っていただくという事は、それだけ貴方の時間を割いてもらう事になりますから。それに、私が安心したいという意味合いもあります」
「……そういう事なら、もらっておこうかね。そうだリリー、さっき言ってた、いい香りの石鹸やクリーム、持っていきな」
カミーユの言葉に、リリーが目を輝かせる。
「いいんですか!?」
「ああ。今、伯爵様から、充分すぎる金貨をいただいたからね。好きなだけ持っていっていい。ルウ、案内してあげて」
「わかったわ。さ、リリー、行きましょう」
「うん! リュカ様、ちょっと行ってきますね!」
ルウについてパタパタとリリーが部屋を出て行くのを見送り、「さて」とカミーユが切り出した。
「伯爵様、オリヴィアの事、すまなかったね。事件の後、ルウの子が生まれたらなんてのんきな事言っている場合じゃなかったと後悔したよ。だが、正直言って、別の方法があったわけじゃない。何も無かったんだよ、彼女を守れるような都合のいい魔法は。というか、猫の目を通して見てたとしたって、突然襲われたのならどうしようも無かった。その場に一瞬で行く事なんてできないしね。繰り返しになるが、わたしはなんでもできるわけじゃあない。これからもそうだ。リリーの事は守りたいが、わたしにできる事は少ない。だから、伯爵様にこの事を話すことにしたんだ」
「わかりました。全力で、彼女と息子を守ります」
頷きながらそう言ったリュカだったが、ふと、辛そうに表情を歪めた。
「……オリヴィアが、命を狙われていると怯えていた事、私は全く知りませんでした。彼女は私に、何も言いませんでした。いや、言えなかった、というのが正しいのか……」
リュカの言葉に、カミーユは首を振った。
「彼女が言わないと決めたんだ。伯爵様がどうこう、というわけではないよ。気にしない方がいい」
「しかし我々は、あまりうまくいっていたとは言えないですから、そのせいでオリヴィアは私に相談できなかったのかと……」
「夫婦というものは、いろいろな形があるよ。特に貴方がた貴族は、家の事もあるしね。それに後悔したってどうにもならない。わたしは前回の経験を生かし、二度と後悔しないように努力するよ」
「……そうですね。私も、そうします」
リュカがそう頷いたところで、
「お待たせしました!」
沢山の瓶や缶を手に、リリーが戻ってきた。
「石鹸と、お肌のクリームと、髪のオイルと、洗剤と、全部三つずつもらっていいですか?」
「ああ、勿論。そこにある袋に入れていけばいい。あ、そうだ、これもあげるよ。唇がプルプルになるクリーム。さっきできたばかりさ」
「えっ、すごい! 欲しいです! できたらそれも三個。」
「ああいいよ。誰かにあげたいのかい?」
「人間の姿になったとき、お世話になった人達がいて、お礼をしたいそうよ」
リリーの代わりにルウが答え、カミーユは「そうかい」と笑った。
「親切にしてもらったんだね。そりゃあ、良かった。さあ、持っておいき」
「ありがとうございます!」
嬉しそうにルウと話しながら、もらった物を袋に入れているリリーを見て、『彼女がこうやってずっと笑っていられように、必ず守る』と、リュカは心に誓った。
第二章、完結です。第三章も頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。




