番外4.その瞬間 (蛇足)
【目次】
8.わたしと先輩の、結末のような、始まりのような
8.
明けて翌週。わたしは今日も今日とて、休日出勤である。
午後から始まる部活に、三河屋スタイルで飛び込むわたし。ガラガラガラ、ちわー、わたしっす。
「一昨日ぶりですー」
「ああ、こんにちは」
と、文庫本片手に軽く応じた先輩が、なぜか二度見した。
あ、そうか。今日来るって連絡してなかったし、そもそも遅刻しちゃってるもんなあ。
「あ、すいません、野暮用で遅刻しちゃいました」
「ああ、いや……それは構わないが」
頭を下げるわたしに、先輩は手を振る。
でも、なぜだか不思議なものでも見るような目で、先輩はわたしを見ていた。
「あれ、何かマズかったですかね。今日って部活でしたよね?」
「そうだが、いや、来るとは思ってなくてね」
「あー、すいません。ちゃんと出欠の連絡入れるべきでしたね」
再び「ごめんなさい」と「いやいや」の応酬である。
「昨日は一昨日の疲れでばたんきゅうしてまして。一日寝てましたよ」
「お疲れさん。早めに呼び出して悪かったな」
「あ、その件は気にしないでください」
そうやって、いつものように会話を重ねながら、ちょっと緊張気味のわたし。
うーむ。これは別に緊張するようなことではないはずだけど。相変わらず小心者である。
そわそわしながらいつもの席に座る私に、先輩は「今日は悪いんだが、君に貸せる本は用意してないんだ」などと謝っている。
その言葉には何も返さず、わたしは Here you are.と、手に持ったものを手渡した。
「うん、なんだ?」
「あー。あのですね、それ貰いに行ってて、ちょっと遅れたんですけど……」
「……入部届?」
小さくわたしはうなずいた。
正確に言えば、合唱部に顔出してきちんと退部を伝えて、それから入部届け貰ってきて、っていうのに思った以上に手間取ったんだけど。
合唱部は今日が演奏会明けの初練習で、引退した先輩方が来てていろいろコメントしてたりするような日だったんだけど、その場できちんと頭下げて参りました。
そっちはまあ目算通り進んだんだけど、入部届を手に入れるまでてんやわんやあってね……。いや、まあ、この時期にそんなの貰う人いないんだろうけどさ。結局、わざわざPDFファイル印刷してもらいました。
「そんな次第でした」
「……なるほど」
なぜか難しい顔をする先輩に、わたしはあわあわと言葉を付け足していった。
「先輩の言うように、わたし、やっぱり一個一個きちんと整理してかないとダメなタイプですから、なんとなくで流してちゃダメだなって、一昨日思ったんです」
「おう」
「だから、こうして持ってきたんですけど……」
わたしの中に響いた言葉があったんだ。
演奏会で、言葉を拾ってくるってのは変な話だけどね。アンコールで歌われた「宮沢賢治最後の手紙」のあのフレーズだ。
どうか今の生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、しっかり落ちついて
わたしは、合唱部と喧嘩別れして、そのままここに流れ着いて居着いていたけれど。そういう半端なことは良くないって、そう思ったんだ。
だから、こうして、ちゃんと入部しようって、そういうことなんだけど……。
おそるおそる、見上げるようにわたしは先輩を見ていた。
「えっと……マズかったですかね?」
そんなわたしの問いかけに、先輩は目をしばたたかせた。
それから、苦笑した。
「ああ、いや。そういうことじゃないんだ。入部届はしっかり受領したよ。また先生に渡しておくよ」
「あ……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことじゃないだろ」
いや、そうなんですけども。なんだろうか、わたしの中にあった緊張感は。
先輩の反応が、ちょっと予想外というか、なんというか。そりゃあ、部員が増えて大喜び、ってキャラじゃないけどさ、なんか妙に神妙だったから。
そういうわたしの疑問に答えるように、先輩は口を開いた。
「正直言うと」
「はい」
「君はあちらに帰るのかと、そう思ってたんだ」
今度はわたしが目をパチクリさせる番だった。
えっと、あちらと言いますと、合唱部にってこと?
「なにゆえ」
わたしの問いかけに、どこかバツの悪そうな顔で先輩は応じた。
「いや、なんとなくな。いまの合唱部を見れば、出来が良かったにせよ悪かったにせよ、帰るんじゃないかとな」
「えっと。ちょっとよくわかんないです」
「まあ、理屈じゃないからな」
先輩が理屈なしだなんてお珍しい。
わたしが心底ビックリしていると、先輩は再び苦く笑う。
「たとえて言えば、ここはあくまで宿り木で、あちらが帰るべき巣だと思ってた」
「だから、演奏会に行けば、それきっかけで帰ると。うーん」
なんか、わかりそうでわからない話である。
きょとん顔のわたしに、先輩は手を軽く振った。
「なに、そう思っていたってだけの話だ。気にしなくていい」
「そうでしたか」
とりあえずで納得しかけたわたしの頭の中で、引っかかったものがあった。
……あれ? それってつまり。
「先輩のお誘いで演奏会に行ったわけで……あれ? もしかして先輩、わたしを追い出そうと……」
「とんでもない」
わたしがゴニョゴニョと述べた言葉を、先輩は強く否定した。
「君に言った言葉に嘘はないよ。問題の種は早く潰しておくべきだ。それが解消されたなら、何よりだよ」
「あ、そっか、先輩はそんな風に言ってましたね」
もうね、演奏会が濃密すぎてその前の記憶が飛んじゃってるよ。そっかそっか、先輩ってば、わたしを心配してくれて、それで誘ってくれたんだった。
追い出そうとか、そういうわけじゃないのか。そう思うと、気づかないうちに入っていた肩の力が、抜けて消えた。
「じゃあ、これからよろしくお願いします」
改めて頭を下げたわたしに、先輩は一つうなずくと、ふと眉をしかめた。
「……君は勇気を出して、退部を伝えに言ったわけだ」
「あー、確かに、そこそこ勇気が要りましたね」
わたしは、わたしの顔を見てちょっと静かになった部のことを思い返しながら、うなずいた。
まあ、あれだよ、踏ん切り付いたらイケるもんさ。こういうのは。
「なら、うん、そうだな。こっちも踏ん切り付けるか」
「あ、なにか話があるんですか?」
先輩は神妙な顔でうなずいた。
「タイミングは最悪だが、伝えておくよ」
「うお、バッドニュースですか」
「いや、話によっては今後気まずくなりそうだと思ったんだが」
先輩は首をかしげながら、なんでもないように言った。
「実は、おれは君が好きなんだが。付き合ってくれないか?」
「……えっと、それって、そういう意味ですよね?」
「ああ」
う、うーん。こりゃまた唐突だなあ。
そう思いつつ、気遣いのなさが先輩らしくて、ついついクスクス笑ってしまう。
「……それ、うなずかなかったら入部させないとか、そういう話じゃないですよね?」
「どんな脅迫だ。あえて説明するが、フられたら二人きりの部活がアレだなってそういう話だよ」
「あはは、それはそうですね」
ついに吹き出しちゃったわたしは、少し目尻の涙を拭いながら大きくうなずいたのだった。
「大丈夫ですよ。そういう心配は要りませんから」




