第25話 兵団の選抜
鎧武兵団の選抜の日、トージャは受験者ではなかったが、森にいた。
救助の演習で使う薬草と処置の道具の点検を、兵団に頼まれていたのだ。調合と救護の心得のある若者として、彼は演習の裏方に呼ばれていた。それは同時に、ナラの選抜を、近い場所で見る機会でもあった。
選抜の前夜、ナラはいつもどおり、交代の訪問を済ませていた。岩棚への往復を終えた彼女は、弓の弦を点検しながら言った。「明日は明日の稽古。……今日の分は、今日やる」。秘密の務めも、選抜の準備も、彼女はどちらも欠かさなかった。その切り替えの潔さは、トージャには眩しいものだった。
受験者は、ナラを含めて六名。いずれも、砦の外で働くことを望む若者たちだった。試験官は、分隊長をはじめとする兵団の面々だった。
裏方の仕事の合間に、トージャは兵団の救護担当の隊員と道具の確認をした。軟膏の質を見た隊員が言った。「いい薬だ。……作ったのは、お前の師匠か」。彼は頷いた。自分の目指す調合の道が、兵団の実務の役に立っている。その実感は、彼にとって小さくないものだった。
最初の演習は、交易路を使った護衛だった。演習の舞台は、あの迂回路だった。隊商のために開かれた新しい道が、今度は若者たちの選抜の舞台になっていた。
迂回路の一部区間を、荷車に見立てた荷台を守って進む。途中、試験官の仕掛けた「襲撃の兆候」が幾つか置かれていた。折られた枝の向き、わざと残された足跡、鳥の声の途絶え方。
ナラは、他の受験者より早く、二つ目の兆候に気づいた。
「……止まって。右の斜面、鳥が鳴いてない」
彼女の声で、隊列は止まった。試験官の用意した「伏兵」の印が、斜面の上に見つかった。地形を読む力は、彼女の長所だった。
最初の兆候――折られた枝の新しさ――に気づいたのは、別の受験者だった。隊列の役割分担の中で、彼女は斜面側の警戒を担っていた。自分の受け持ちを守りながら、全体の動きを見る。その視野の広さは、彼女の目立たない長所だった。
三つ目の兆候は、罠だった。倒れた枝が、襲撃の印のように見えた。何人かの受験者が足を止める中、彼女は枝の断面と、周囲の土を確かめて言った。「……これは、自然に折れたもの。昨日の風の跡だ」。兆候を見つける目と、兆候でないものを見分ける目。その両方が揃って、初めて斥候の目だった。
だが、課題も出た。伏兵の発見の後、再び進み始める判断に、彼女は数秒迷った。安全を確認し切るまで動かない慎重さが、隊列の足を止めたのだ。試験官は、その秒数を静かに数えていた。
二つ目は、森での救助活動と処置だった。
「負傷者」は、沢の向こうの窪地にいるという設定だった。受験者は二人一組で、発見、処置、搬送を行う。ナラの相方は、年下の受験者だった。
負傷者役の隊員は、足の骨折と出血を演じていた。処置の途中、その隊員は急に呻き声を上げ、体を暴れさせた。怯えた負傷者の演技だった。ナラは手を止めず、声の調子だけを変えた。「大丈夫。痛いのは、ここを押さえてるから。……すぐに楽になる」。その落ち着いた声に、暴れる動きは静まった。処置の技は、手だけではなく、声にもあった。ナラはまず、周囲の安全を確かめ、出血を止め、副木を当てた。彼女の手際は、救護の基礎訓練そのままに、落ち着いていた。相方の若者が焦って搬送を急ごうとしたとき、彼女は言った。
「……慌てなくていい。まず、固定。それから、運ぶ順番を決める」
沢を渡る場面では、彼女は相方と声を掛け合い、担架の高さを揃えた。「私が先に渡る。合図で、そっちも」。連携の声かけは、淀みがなかった。指示を出し、相手の返事を聞いてから動く。その手順の確かさは、指揮を執る者の小さな原型だった。
搬送の途中、彼女は担架の進む先の地形を先読みし、濡れた岩場を避ける迂回を即座に選んだ。負傷者役の隊員は、後でこう漏らした。「揺れが少なかった。あれは、運ばれる側のことを考えてる運び方だ」相方の若者も、演習の後に言った。「声をかけてもらえると、落ち着いて動けた」。彼女の指示は、的確であると同時に、相手を落ち着かせるものだった。
演習の合間には、本物の小さな怪我もあった。受験者の一人が、担架の扱いで指を挟めたのだ。裏方のトージャが呼ばれ、腫れを見て、冷やし、副木代わりの当て木で固定した。その受験者は礼を言い、演習に戻っていった。選抜の日の裏側にも、調合と救護の仕事はあった。
裏方として道具を点検していたトージャは、その様子を見て、岩棚での彼女の観察と手際を思い出していた。彼女の力は、こういう場所でこそ発揮されるのだった。
三つ目は、森の中での弓による的当てだった。
的は、木々の間に隠れるように置かれ、一部は揺れる仕掛けになっていた。木漏れ日の明暗が、的の輪郭を揺らしていた。距離だけでなく、光を読む必要のある的当てだった。静止した的では、彼女の腕は受験者の中で一番だった。だが、揺れる的では、最初の二射を外した。判断の遅さが、矢に出ていた。
彼女は三射目の前に、深く息を吐いた。それから、狙い方を変えた。的の中心を追うのではなく、揺れの端で待つやり方に。残りの矢は、全て的を捉えた。修正の速さもまた、評価の対象だった。
的当ての組では、速射を得意とする受験者がいた。その若者は、止まった的では彼女に劣らなかったが、揺れる的では焦りが先に立ち、矢を次々と無駄にした。速さと正確さと、修正する力。その三つの配分が、弓手の個性だった。
最後は、上官との模擬戦だった。相手は、分隊長だった。
近接戦闘の距離では、弓は不利だった。彼女は距離を取りながら撃ち、森の傾斜を使って時間を稼いだ。倒木を背にして放った二射目は、分隊長の肩口をかすめた。だが、三射目の後、彼女の退路は読まれていた。分隊長は彼女の逃げる角度そのものを塞ぎ、距離を一息に詰めた。経験の差は、そういう場所に出た。だが、四本目の矢を番える前に、分隊長の剣が彼女の弓に触れた。勝敗は、明らかだった。
一射目は、分隊長に腕の防具で払われた。経験の浅い兵なら、その一射は当たっていただろう。彼女の敗北は、腕の敗北ではなかった。距離の詰め方と、読まれ方。その差の敗北だった。
それでも分隊長は、短く言った。「逃げ方は悪くなかったが、読まれやすい動きだ。距離を詰めてくることは明確なのだから、二手三手用意しておきなさい」
全ての演習を終えて、受験者たちは詰所の前に集められた。疲労と緊張で、誰の顔も強張っていた。外の言葉を話す、あの隊員が、ナラの近くを通りがけに小声で言った。「悪くなかった。……特に、救助の声かけはな」。彼女は小さく頭を下げた。
結果の発表は、夕方だった。
六名のうち、合格は三名。ナラの名が、その中にはあった。だが、発表には続きがあった。
「ナライジャ。合格だ。……ただし、配属は見習いとする。適性を、もう少し見させてもらう」
理由は、隠されなかった。護衛の演習での判断の遅さ。揺れる的への対応。力は認める。だが、実地での判断の速度を、実務の中で確かめる必要がある、という評価だった。
見習いの務めの説明もあった。当分の間、正隊員の任務に同行し、実務の中で適性を見る。遠征への参加は、その先だった。合格ではあるが、正式な隊員ではない。その中間の身分は、彼女の課題への評価の表れでもあった。
彼女の胸中には、遠征への焦りがなかったと言えば嘘になった。だが、彼女は知っていた。大穴方面の仕事は、この砦で一番、命の値段の高い仕事だった。焦って掴む席ではない。見習いの期間は、遠回りではなく、助走だった。
ナラは、真っ直ぐに答えた。
「……はい。よろしく、お願いします」
その声に、落胆は混じっていなかった。むしろ、課題を名指しされたことへの、納得があった。
発表の後、落ちた受験者の一人が、俯いて座り込んでいた。ナラはその若者の隣に黙って座り、しばらくしてから言った。「……今日の的当て、速かったね。来年は、あんたが一番だよ」。若者は何も言わなかったが、その肩の力は少しだけ抜けた。自分の結果を抱えながら、他者へ配慮を向けられること。それもまた、彼女の評価の内側にあったはずだった。
砦の門では、カルドが待っていた。
「どうだった」
「合格。……見習いだけどね」とナラが言った。
カルドは大仰に頷いた。「上等だろ」
「次は、カルドの試験ね、もうすぐでしょ」
「ああ」とカルドは言った。「負けてらんねえな」
見学していたトージャは、彼女の三射目の修正を思い返していた。外した理由を、その場で言葉にして、やり方を変える。自分の斧の型の見直しと、同じことだった。成長とは、天賦の才能の話だけではない。間違いを、間違いとして扱える速さの話でもあった。
帰り道、二人は並んで歩いた。
「見習い、か」
「半人前だね。……でも、扉は開いた」
彼女の望みは、大穴方面への遠征だった。見習いの身では、まだ遠征には出られない。それでも彼女は言った。
「次は、判断の速さだ。……稽古の項目が増えただけだよ」
前を向く彼女の横顔を見て、トージャは思った。秘密を抱えながらも、彼女は自分の目標から一歩も引かなかった。その両立のさせ方こそが、彼女の強さなのかもしれなかった。
歩きながら、ナラはもう一つの話をした。見習いの最初の務めは、砦の周辺の巡回への同行になるだろう、ということだった。
「私が公式に森へ入る口実が、増えるってことでもある。……あの子への訪問は、前より動きやすくなる」
「逆に、兵団の目で森を見る日も増える」
「うん。……両方、気をつけないとね」
彼女の合格は、秘密の体制にも、新しい追い風と向かい風の両方を持ち込むのだった。
空の向こうで、大穴のある方向の山影が、夕日に沈みかけていた。彼女の道は、まだその手前だった。だが、確かに、始まっていた。四人のうち、二人の進路が動き始めた。カルドの試験は間近で、フーアンはまだ風の中にいて、彼自身は調合の道を歩いていた。それぞれの速度で、それぞれの方向へ。だがその夜の帰り道は、まだ同じ道だった。




