第1話
二千三十五年六月六日。日本は壊滅の一歩を歩み始めた。
地面から溢れ、意志を持ったように蠢く泥の中から虚蓮が生まれる。約五メートルに及ぶ蓮を模した生命の樹木により、邪蓮華が誕生した。
行政機関は治安維持のためにと、当時の自警団の提案書を受け入れ、教育機関と防衛省と協定を結んだ。そうして設立させたのが東の暁天学園と、西の黄昏学園である。
『本日未明、躑躅区花桜倉庫にて爆発事件が発生しました。警察は、一連の事件と関与しているとみて捜査を———』
東都の郊外の鳳蝶通りにある一軒のビル。
一階部分にて喫茶店が経営されており、地元民に愛される憩い場でもある。
「父さん、店前の掃除終わったよ」
アンティーク調の内装である喫茶店幽明に入ってきたのは箒を片手に持った青年だ。
ミルクティー色に染めた癖っ毛に彼岸花を模したピアスをつけている甘いマスクの青年であるが、不思議と女の気配を漂わせない清潔感がある。
朝凪朝緋、高校二年生になったばかりのうら若き男子高校生だ。
「すまんな。もう学校に行っていいぞ」
「俺がしたくてやってるだけだし気にしないでいいよ別に」
「いってらっしゃい。気をつけろよ」
「いっていきます」
父、幽緋に一声かけて二階へと上がった朝緋は、そそくさと身なりを整え直し、荷物を携えて家を出た。
邪蓮華の誕生から今年で百年目を迎える二千百三十五年、現在。
概ね日常は変わらない。不満を抱え、幸せを当たり前のように享受する日常を、朝凪も過ごす一人であった。
「おはよう朝凪」
女性にしては少しだけ低い声で挨拶をされ、朝凪が振り返る。
清廉な大和撫子というには若干男勝りで勝気な性格をしている女子生徒。名を八神紗羅といい、朝凪をライバル視してくる同級生である。
「おはよう八神さん」
「相変わらず眠そうな顔だな。シャッキリとしろ」
「八神さんは朝から元気だね……」
朝凪と同様に、打刀を腰に携えた八神。
西都では有名な八神家の娘であり、実力でいえば学園でナンバーツーを誇る実力者である。
「仮にも副会長であり、二年生となったんだ。だらしない姿を後輩達に見せる訳にはいかないだろう」
駅のアナウンスがなり、それから少しして電車が到着する。
電車の中に足を踏み込めば、サラリーマンや今をときめく女子高生や男子高生が多く見られる。その中で武装した人間が数名。
いずれも暁天学園の生徒である。
「しっかり者だね八神さんって」
「貴様が周囲に無関心なだけだろう」
「そうでもないけど」
八神の発言を否定すれば、訝しむ八神と目が合う。
どれだけ強くとも自分よりも小柄な八神は、目付きを鋭くさせた。
「私の敵愾心によくも半年以上気が付かないで良く言えたものだ」
「……いや睨まれてるのはわかっていたけど。それどころじゃなかったから」
一年生の朝凪と八神は同じクラスの生徒であり、入学試験で首席と次席ということもあって、名の知れた生徒であった。
朝凪は当時の学園交流会で当時三年生である生徒会長を倒し、一躍時の人となった。
(あの頃は本当に、それどころじゃなかったな)
朝凪は一年前の今頃を思い出す。
朝凪流の使い手である朝凪は、当時生徒会長である青葉青藍に白旗を挙げさせ、後に交流をするようになった。
気前のよく、男前な性格の青葉には女子校に通う彼女がいた。
中学の頃からの付き合いの彼女との惚気を延々と引き出し続ける事に尽力を注いでいた。
(青葉先輩、早く結婚式に呼んでくれないかな。是非彼女さんとの公式ウエディングスチルがみたい)
なにしろ朝凪朝緋、齢十七歳。
眉目秀麗、多才多芸、泰然自若で異性からの人気だけでなく同性からの支持も多い彼は、なかなかなオタクであった。
左右固定なノマカプ厨。字面だけでもインパクトのあるかれは二次元だけでなく三次元にも萌えを見出し、三度の飯よりも人の恋愛事情が大好きな、少しばかりイカれている男である。
「——おい、話を聞いているのか?」
「ごめん、聞いていない」
眉間に皺を寄せる八神は、呆れた様子で溜息を吐いた。
腕を組み手摺に背中を預けた八神は、話を再開した。
「今月末の姉妹校交流会についてだ。進行確認と当日の流れの再確認をして貰いたい。確認が完了次第顧問に渡すから、即日返して貰えると助かる」
「わかった。……俺が梅宮先生に持っていくからそのまま渡す」
(梅宮先生、愛妻家だから偶に惚気が聞けるんだよな)
邪な思いがあるとも知らず、礼を述べる八神に朝凪は無表情で応える。
表情筋が異性の前ではあまり動かない事を既に認知している八神は特に気にする様子も無い。
にやけないようにと身に付けた表情筋の強靭さが、良い方向へと解釈されるのだから面が良い事は真に儲けである。
「それと、新しい任務がはいったそうだ。生徒会指名で」
「……開花の方か」
「ああ。桃園が既に経路を確認し、作戦を練っている。放課後は開けておけよ」
「当日に言うのか」
「昨晩連絡が来てたのに朝気づいたんだ。桃園も全体の方に連絡を寄越せばいいものの」
生徒会書記を務め、同時に参謀としての役割を担う桃園飛鳥。ふんわりとした小動物系の女子生徒であるが、どうにも苦手意識を持たれているのか朝凪はあまり交流が無い。
朝凪も積極的に異性と交流を図る人間ではないので、必然的にそうなる。
電車が止まり、新しく乗客が乗るので八神は少し朝凪と距離を詰めた。それでも距離は肩が触れるには十分隙間がある。
「おはよう朝ちー」
「おはよう、真日流。今日の放課後暇?」
「すまん、任務入った」
幼馴染である有明真日流が眠たげな顔で電車に乗ってくる。大きな欠伸をした真日流は手摺に寄り掛かる朝凪の前に立った。
「おはよう紗羅ー」
「ん、おはよう観月」
八神の友人の女子生徒が近寄ってくる。
化粧を施した少し派手目な女子生徒と大和撫子然とした女子生徒。なんとも不思議な組み合わせだが、八神だと認識してしまえば案外受け入れられる。
「アイシャドウの色なんか可愛いな、この前言ってたヤツか」
「そー、めっちゃ発色いいでしょ」
「ああ、似合うな。かわいい」
電車が出発し全体が揺れた。その拍子に棹が袖仕切りと当たってしまい座席に座る人に頭を下げる。
小声で有明と談笑していると、ドンッと強く何かを叩く音が響き皆が一斉に音の方向へと視線を向けた。
続いて叩くような音が何度も続き、朝凪は柄を握り前に出る。
「ギィ、ギャ、イイイイイイイイイイ!」
移動中の電車の窓ガラスが割れ、そばに居た乗客が悲鳴をあげて走り出す。
満員電車ではない時間帯では無かったから良いものの、もし少しでも時間が遅ければ被害規模が上がっているただろう。
邪蓮華の誕生から、人々の生活は未知の生物により脅かされるようになった。こうして平穏で何もないはずの日常に紛れ込む邪蓮華の存在は、日本の治安を悪化させる。
「皆さん隣の車両に移り、距離を取ってくださーい」
後ろから有明が乗客を案内する声が聞こえ、スペースの生まれた電車で朝凪は安心して武器を振るえる。
頭部が蓮の花の怪物は、ぎろりと無いはずの目で朝凪を捉えた。緩慢な動きで体勢を整える邪蓮華は割れた窓ガラスをぱきぱきと割りながら朝凪に近づく。
全長およそ二メートルの大型に分類される邪蓮華。何処か神秘的なようで、それでいて悍ましさも兼ね備えている怪物は腕部分を朝凪に向かって伸ばす。
(頭部は蕾だから、そこまで強くは無い。リーチの長さだけに気をつければ十分か)
朝凪は地面を蹴り上げ腕の下に入り込み邪蓮華の心臓、核と呼ばれる部分に目掛けて刀を振り上げる。白い花弁で出来た身体を刀が袈裟斬りし、少しだけ硬い物体を真っ二つに割った。
「ギィイイイイイイイイッ、ァ、ウゥゥ、ァ……」
床に倒れる邪蓮華が泥となり姿を失くす。
朝凪は刀についた泥を振り払い、棹に収めた。
その後電車は急遽停車し、警察が聴取と片付けの為に訪れる。
朝凪の迅速な行動により幸いにも軽傷の怪我人が数名。電車の窓ガラスの修繕程度の被害規模で済んだ為警察には感謝をされた。
しかしながら、電車の遅延により登校時間が普段よりも遅れた朝凪は深く落ち込んだ。
(朝早く行かないと、一緒に登校するカップルが見れないというのに)
朝凪朝緋。
齢十七歳になったばかりの男子高校生は学園最強と呼ばれる天才であり、また、ただのオタクであった。




