132 一番、其の六
「——創った責任取れよ!!」
腕の勢いに任せて、さらに銀色の棒状のものを振り回した。銀色の物体は細長く、軽いものだったが、生まれたばかりで物の扱いを知らなかったわたしは実際にはその物体に振り回されていたようにも思う。
口元に片手を当てて何かに気を取られるように思考にふけていた灰被りは回避が遅れる。それでも、奴は難なく避け続けた。
体が動き始める前に顔の輪郭を伝って垂れた朱い体液が眼球に入っていたので、視界に映る世界に鮮やかな朱い膜が掛かる。
その時に、こう思ったんだ。
本当は、世界は、いや、世界なんてこんなものだったのだろう。
真実は、朱い川が濁流を起こし、木々には葉が一枚も残らず、雲や葉の間から漏れる光は毒だったんだ。小鳥のさえずりも、虫の鳴き声も、生きづらい世界で一生懸命に上げた誰かへの悲鳴だったんだ。
……あぁ、苦しいよな、辛いよな、叫びたいよな、見て見ぬふりをする奴らを許せないよな。分かるよ、わたしもそうだ。
こんな、ありのままでは居られない、綺麗なまま生きられない汚い世界で、与えられた空気だけで息をする価値があるか?受動的にしか生きられない世界なんて、本当に必要か?
——そんな訳、ないだろう?
この体はどうせまた動かなくなってしまう。体から無尽蔵に溢れる朱い液体がそれを物語っている。
もし、この体が動かなくなったら、その時は意識諸共無くなるか、それとも前のように体だけ動かなくなるのか。感覚としては前者の方が近しい。
ならば、ならばならばならば!
汚く歪んだ世界とおさらばする前に、その卑怯な二枚舌の付いた素っ首落としてしまおう。
相手がこちらを友愛しないのなら、こちらとて相手を尊ぶ義理はなし!
上位存在?超越者?
知らない、そんなもの。分かり合おうとすらせず、あまつさえ生まれたばかりの生命を軽んじて処分しようとする愚者など、話すことはもう何もない!会話を図る価値もない!
この汚い世界への、この醜い世界の為政者への、第一の反逆者として今、世界の弱者を導く手本とならん。
例え血肉で創られた生命でなくとも、目の前のこれがどんなもので出来ていようと、わたしはこれを——!
「まぁ、無花果だなんて……、貴方がそんな詩的な素晴らしい比喩を使う所をわたくし初めて見ましたわ。ぜひ半身にも聞かせてあげたい所だけれど、そんな悠長なことは言えないわね」
——!?
背後から聞こえた第三者の声。淑やかで落ち着いた、初めて聞いた声色だった。
いや、そんなことよりも背後に誰かが居た。
そのことに気が付いたのは、向こうが喋ったからに過ぎない。逆に言えば、向こうが喋らなければ、私はそいつの存在に全く気が付かなかった。
全く気配がなかった。虫や動物の方がまだ気配がある。
驚きで固まった一瞬、力強く握りしめていた手から、自然に銀色の物体が抜け落ちる感覚がした。
「はい、これ没収ね」
後ろを振り返ると一人の女、……見ず知らずの神が銀色の物体の尖った方の先端を、朱い液体に触れないようにつまんで持ち、こちらに笑い掛けていた。
敵意も、害意も、失意も、軽蔑も、嫌悪もない。こちらに対して友好的で上品なな微笑みだった。
その女神は、ほんのりと紫がかった髪と、薄い青緑色の瞳を有していた。長い髪を頭の高い位置で一本に結い上げていたが、背も高かったので必然的に少し髪が短いようにすら見えてしまった。
立ち姿や服装からも貞淑な淑女であることが良く分かる。しかし、その瞳には何処か強い芯を持っている気がした。
おかしい。
先程までは気配が全くなかったにも関わらず、いざ振り返ると彼女は強過ぎる程の大神らしい気配をまとっている。それこそ、灰被りすらも劣る程の。
「えいっ」
その女神が、わたしの額を人差し指で軽く押す。突然の出来事過ぎて理解が追いつかなかった。
すると、体全体が浮遊感に包まれると共に何処かへ引っ張られる感覚に呑まれた。
体が全く動かない。…………いや、動く。確かに動かせる……!
わたしは体を動かせるようになったし、それが今も続いている。
せっかく得た自由。それが失われていないことを第一に安堵したが、体全体を何かで無理やり抑えつけられていた。
冷たく、硬い物体に包まれているというよりも、まるでゆっくりと周囲の水と共に凍らされたようだった。
体が動かせない、それ所か、今度は目を開いているのに周囲には緑色の……石、か?はたまた鉱石のようなものしか見えなかった。閉じ込められたというにはあまりにも自由がなさ過ぎる。
視覚と触覚、さらに間接的に嗅覚を失った今、わたしが外界の情報を収集する方法はもはや聴覚だけとなった。
生まれた時の状態に近いが、それ以上に最悪だ。
そんな状況になった。いつだって、わたしに自由はないらしい。
……何故だ。何故なのだ。
わたしが何か悪いことを一つでもしたか?
ただ受動的に生まれてきただけだ。
どうしてわたしばかりこんな目に……!
「……カシェ、貴方でしたか」
「あらやだ、昔みたいに可愛く"姉様"と呼んでくださらないの?イストワール」
「他生物と違って、私達神の間にあまり兄弟としての自覚はないと認識しています。ですから、その呼び方をする必要はないかと」
「答えになってないわ。それだと呼ばない理由にならない。それにね、イストワール、可愛い弟。それでも、わたくし達は兄弟よ」
「………………姉さん」
「うふふ、なぁに?素直で飛び切り可愛いわたくし達の弟」
「言えと言われたから言っただけです」
灰被り達のいた方向から会話が聞こえてきた。
わたしが得られなかった、仲間同士の微笑ましい会話を聞かされるわたしの惨めさを考えてみて欲しいものだ。
逆に処分するつもりで蛮勇を持って襲い掛かり、敢えなくやられ返されたわたしを。勝手に創り出されておいて神の仲間と認められなかったわたしを。
居ない者として扱うな。わたしはいつだってそこに居た。いつだって見ていた、聞いていた、想っていた、考えていた。期待していた、嬉しかった、喜ばしかった。未来に、仲間に、世界に、心躍った。
……全部、わたしが見ていた理想の幻想だった。それでも、感じた喜びは本物だったのに!
「……あら?イストワール、ちょっと良い?」
「……」
「こ〜ら、その手を離してお姉ちゃんに見せてみなさい」
少しの間が合った後、二人の会話が再開された。
その間に何があったのかをわたしが知る術は残されていなかった。
「――傷?」
「……」
「興味深いわね!神が傷を負うだなんて。神器だから?いいえ、それだけじゃきっと足りない。あぁ、それとも、……この子が関係しているのかしら?」
「……さぁ、どうでしょうね」
「イストワール、この子は?」
「彼女が創った新しい生物種"人間"の試作品です。ご覧の通りですが、こんな見た目なので黙って処分しに来たのです」
「そうね。ライカスの手を加えてあるとはいえ、彼女と全く同じ姿の生物はご法度だわ」
視線を感じる。緑色の鉱石越しに、熱心に遠くの星でも見つめているような視線。
触覚は消えたはずなのに、体に刺さるように何処を見られているかを手に取るように分かった。
「でも、素晴らしいわね。本来ならば生まれるはずのなかった生命が芽吹いたことを嬉しく思います」
「……まるで、誰でも良かったような口ぶりですね」
「…………え?だってそうですもの。何をそんな当たり前のことを言ってるの?」
「その言い方は……」
「だって、わたくし別にこの子のことを何か知っている訳でも、特別思い入れがある訳でもありませんもの。わたくしは半身とは違うわ。どちらかと言うと貴方に近い。この子のことを個人ではなく"人間"の一種として見ているのですもの。だから、乱暴に円柱状の宝石の中に封じ、……閉じ込めたんじゃない」
しばらくの間が空く。
空白、独白、空虚。そんな間に、灰被りはどんな顔をしていたのだろうか?
まさか、あなたから殺しに掛かっておいて、彼女の言うことに賛同出来ないと戯言を言うつもりか?
「さぁ、イストワール。わたくし達の可愛い弟。きっとこれから世界が変わるわ。神々でさえ知り得ない方向に大きく動くわ」
そうだ。彼女の言う通りだ。
きっとこれから世界が大きく歪む。
"人間"なんてものを生み出し、あまつさえ身勝手に処分しようとした者達よ。例え完璧な"人間"を生み出そうとも、その火種の一族は知らぬ間にわたしの意志を受け継ぎ、必ず世界に害をなすだろう。
より醜悪で、より最悪な方向へ。
だって、彼らこそがわたしの真の仲間なのだから。
そんな世界になれば、必ず綻びが生じる。そうなったら、こんな所真っ先に抜け出して、こんな世界ごとあなたを処分する、絶対に処分してやる!
「……貴方はどうするのかしら?」
——お前は、どうする?
お前が殺されるか、またわたしを殺すのか。
すみません、本日分は多忙のため休載します。




