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131 一番、其の五

 ——?


なんだ、腹がある部分にやけに違和感が——


 ——は?……なん、だ、これ…………?


魂が、揺さぶられる感覚がした。

世界から、音と色が消えた気がした。


視界が暗転と明転を繰り返す。

鼻と口から溢れる液体の色は見えないものの、それは不愉快でしかなかった。


腹を貫くように、見覚えのある一本の銀色。貫かれた自身の腹は銀色を中心に朱い液体が滲むように零れていたが、やがてすぐに結界が崩落したようにその液体は溢れ始めた。


鮮やかに朱く、僅かに粘度のあるその液体が体を這って零れているが、その液体が自分の中にあった体液だと気付き、理解するには少々、遅す——


 ——い、いぎ。


痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたい。いや、あ、熱い……?


なんだ、これ。なんだこれなんだこれなんだこれなんなんだこれは!


何が起こっている!?何故こんなにも痛い!?

まさか、この腹に刺さるこれか?いや、そもそもこの銀色の物体が原因か?それとも腹に刺さっていることが原因なのか?


初めて獲得した"痛覚"も、わたしは知っている。わたしの材料達もほとんどが最後、"痛覚"を感じ、苦しみながら死んでいった。

しかし、それが"人間"の試作品たる自分にも搭載されていたことは知らなかったし、知らされていなかった。


痛い、とはこれ程苦しいのか。わたしの材料達は、朽ち果てる前に皆同じ苦しみを味わったのか。

信じられない。耐えられない。


そもそも、このような機能は不要だ。こんなもの無い方が良いに決まっている。生きていくために不必要、いやむしろ邪魔となる場面の方が多いだろう。

なんのために"痛い"のだ……!?


そうだ、灰被りだ。彼は何をしている!何故止めな、——


躍起になって今だに動かない体の、動かない瞳を凝らそうとする。いや、今思えば凝らそうとせずとも見えていたはずだ。

体の正面、銀色の棒状のものの反対側の端、その先を握っているのは、わたしを刺したのは短い生の中でもよく見知った男。


……何故だ。何故何故何故何故何故何故!?


朱い液体に塗れた彼は頬に飛んだ返り血を手で乱暴にこすり、冷たい目をこちらに向けていた。灰を被ったと表された彼は朱を身にまとっても被った灰の色は今だ顕著に残っていた。


冷たい目だ。

空よりも高く、海よりも深い。空を仰ぎ見るより、海を覗き込むよりも苦しい。雪に埋もれて凍えながら息を引き取った、わたしの中の一つの材料の生の記憶の最後だけをおぼろげに思い出す程。


嫌な目だ。

相手に対して友愛も、敬意も、興味すらも、抱いていない。まるで物体を相手取った作業のようだ。彼がわたしを持ち上げ、ここまで運んできた行為と同じ。


……やめろ。もうやめろ。こっちを見るな。そんな、そんな目で……。


何故だ。何故。……どうして、何も出来ないのだ。


何も出来ないから、常に受け身となって周りに流される。それが悪いことだとは思わない。

ただ、自由が欲しかった。ほんの少しで良い。基本的な意思決定を有したかった。彼らの仲間としてあの白い部屋に留まりたかった。


対話をしよう。手を取り合おう。笑い合おう。

その先でわたしとあなたは分かり合い、互いを尊重し合える、良い関係になれる。絶対だ。


……本当に?


ここまでされて、どうして今だに信じようとしている?


わたしが知らなかっただけで、世界の裏側は酷く汚れて醜いのではないか?


「……いけないのです。貴方が生きていれば、いずれ世界は崩壊する。本当に特別なものは一つだけで良いのです。だから、貴方を存在ごと消させてください。……そうするしか出来なくてすみません」


刺しているのは向こうなのに、彼は体の何処かが痛そうだった。


なんで、そんな泣きそうな顔するんだ……?

痛いのも、苦しいのも、わたしだ。わたしの方だ。わたしだけだ。


あなたは生きていて、何処も損傷していなくて、自分の体で世界を歩けて、世界に溶け込んで、なじんで、自分の意思で物事を選べて、仲間と認められて……。

なんて恵まれた奴だ。なんで、なんで恵まれたお前が……!


わたしが何したって言うんだ!こんなの、こんなの不条理だ!理不尽だ!


こんなのはおかしい。綺麗な世界は誰もが公平であるべきだ。……なのに、この世界は中身すらも綺麗ではなかったのか…………。


目が合った。冷たい目をした灰被りのことではない。

この場に居ることにすら、気付きはしていなかった第三者の存在のことだ。


灰被りの男神が持つ銀色の棒状のものに反射して、誰かの姿が映っている。


……母?……いや、違う。

母に非常にそっくりだが別人だ。母の容姿はもっと繊細で柔らかく、可憐で愛らしかった。


だが、わたしが今見ている女は、白髪と黄金色の瞳は確かに母に酷似していたが、その髪も短く、瞳には生きているのかも怪しい程、何処か生気がないように見えた。おまけに体付きが異なっており、母よりも背も手足も長く、母よりも淑やかで優美さが前に出てたような容姿をしていた。

何よりそいつは鼻と口、それから腹の辺りが異様な程、顕著に朱かった。


………………あぁ、これがわたしか。


こんな血に飢えた獣のような姿がわたしか。


「"人間"を創ることに関しては大した問題ではありませんでした。むしろ面白い発想だとすら思いますよ。神々の遠い未来を短期間で簡易的に観測するための生物種。そんなこと、出来ればの話ですが。まぁ、彼女なりに本当の意図が隠されているでしょうが、そのことに目をつむっても、非常に興味がありました。なのに、……どうして彼女は自分自身をモデルにして創ってしまったのでしょう?」


違う。


わたしは確かに母と容姿はそっくりだったのかもしれない。そっくりに作られたのかもしれない。

だが、今は煤被りの男神によって変えられ、母の姿から少しかけ離れている。


何よりわたしの精神的な思考や行動の癖、中身は彼女と全く異なっている。わたしに彼女のような寛容さや慈悲深さを持ち合わせているとは思えない。

同じ容姿でも、中身は別人だ。それを分かってくれ。


真に大切なのは、中身だろう?


中身が違うと分かってもらえれば、きっとこんな姿にならずに済んだ。


本当か?


誰も、知ろうとすらしなかったのに?


「このような出自の方、……いえ、こんなもの、災い以外の何物でもない。世界を脅かすに足る不確定なもの。そして、彼女が信じ、愛する程我々は美しくも、清廉でもありません。邪魔と分かれば排除します。例えそれが彼女の大切なものだとしても、彼女を害する可能性が少しでもあるのなら」


独り言のように彼は呟く。

わたしに刺さった物体を握る手に力を込め、自分を律するが如く唇を噛み締めて至って冷静そうに振る舞っているつもりらしいが、眉間に寄ったしわが彼の心情を表していた。


痛い痛い痛いいたいぃぃぃぃぃぃぃ!あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


さらに深々と銀色が刺さり、わたしの背後にある大樹の幹の表面にも傷を残した。


救いはない。希望はない。自由も、選択もない。

生きた証すらも残せず、存在そのものを抹消される。


空よ、どうかこの地に月を落としておくれ。

海よ、どうか荒れ狂い全てを飲み込んでおくれ。

風よ、どうかこの恵まれた愚者を切り裂いておくれ!


いや、そんなことはもはや時間の無駄だ。


神々がこれなのだ。もはや祈りは不要。届くはずのない願いを歌や風に乗せた所でなんの意味も持たない。


わたしが言いたいことは一つ。


生まれてから、世の不条理に打ちのめされ、それでもなお抗ってでも伝えたい、叫びたいことはたった一つだけだ。


今だ。今ならようやく、思い通りに、怒りのままに、この体を使える。


そのことを直感で感じた瞬間、腹に刺さった銀色を両手で握る。手のひらに細い一本の線が作られ、朱い液体が勢い良く飛び出す。


腹からそれを無理やり引き抜き、そのままの勢いで目の前の灰被りの男神に向ける。


彼はこの状態が予想していなかった事態だったようで、目を見開いて驚きつつ、反射的に狙われた顔ををよじって銀色をかわそうとする。


わたしはただ一言、こう怒りたいんだ。


「——創った(生んだ)責任取れよ!!」

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