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家に帰りたい!念願の異世界に来た俺は強くそう思わざるを得なかったのだ!  作者: さいへんざらうつわ


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第七十一話 鬼は俺に顔を近づけて匂いを嗅いだ

 放心した俺に老人は振り返りざま言った。


「ご苦労じゃったな。おぬしはもう用済みじゃ。もう帰ってよいぞ」


 言われて、我に返り、「……帰っていいって、生贄にするんじゃなかったのか……?」と思わず口にする。


 すると、爺さんは目を剥いて、「いかんいかん、忘れとったわい」と口にした。


 しまった! 墓穴を掘った! と頭を抱えたくなったその直後、「しっかりしてくださいよ〜」と黒衣の集団から声が飛んできて、その声を皮切りに洞窟内部が笑い声で満たされた。


 照れたように歯に噛む老人を認めながら、見た目に反してずいぶんアットホームな連中だな……と、そう思っていると、急に老人が大仰な咳払いをして、「みなのもの静粛に、これより儀式を執り行う! 詠唱開始!」と声高々に言った。


 瞬間、笑いの波が引いて、詠唱の波が代わりに押し寄せてきた。


 矢継ぎ早に紡がれる呪文が空気を揺るがした。


 それから間もなく、地響きのような音がした。


 音がした方に目をやると、鬼の像が淡く赤く光り、目は炯々と紅蓮の光を宿していた。


 俺が目を瞬くと、いきなり老人が、「おお!」と感嘆めいた声を出した。


 見やるやいなや、俺の前髪が老人の手を離れ、ふわふわと風に流される綿毛の如くほぼ真っ直ぐに飛んだ。


 そして、その終着点には光を宿した鬼の像があった。


 いったいこれから何が起こるというのだろうか?


 そう思っている間に、俺の前髪は俺の上の空をすっと通過し、鬼の像の目睫に迫っていった。


 空飛ぶ前髪を目で追うと、間髪入れずに前髪と鬼の像とが衝突した。


 その刹那、前髪と鬼の像が一際眩い光に包まれた。


 あまりの眩しさに目を閉じ、顔を背ける。


 数秒後、空気を震わせていた詠唱がやみ、「やったぞー‼︎」という声がして、その声を引き金に拍手喝采が巻き起こり、口笛を吹く音なんかも聞こえてきた。


 それで、何が起こったのか、興味をそそられた俺が目を開けると、直後、パリパリという音がした。


 その音の正体を探るべく、顔を向け、ためつすがめつ見ると、鬼の像にスプーンで叩いたボイルエッグさながらに、ひびが生じていた。


 鬼の像が壊れたのか、と、初めそう思ったが……どうやら違うらしい。


 ひび割れ、落ちた石のカケラの奥に、ぶよぶよした皮膚のようなものが覗いていた。


 あっと言う間に、石像は変容を遂げた。橙色を鬼へと。


 水牛のような大きな二本の角に、山姥のような薄汚れた白の長髪、長身痩躯のその身体は立ちあがったツキノワグマの二倍以上の背丈があり、腰には虎柄の布を巻いていた。


 どこからどう見ても鬼だった。


 だが、明らかに水鬼よりは弱そうだった。


 だから、そこまで深刻にはならずに済んだ。


 しかし、心とは裏腹に、冷や汗が俺のこめかみを伝う。


 本能的に身体が警鐘を鳴らしているのだろう。


「さあさあ、お食べください! 生贄にございます!」


 老人が大仰な口ぶりで言うと、鬼は俺に顔を近づけて匂いを嗅いだ。


 鬼の生温かい呼気が顔にかかり、生臭い臭気が俺の鼻に皺を寄せさせた。


 鬼は俺の身体に巻きつく縄をつまむと、軽々と持ちあげてみせた。


 絶体絶命のピンチになす術もない俺は、ただ固まることしかできない。


 が、つまみあげられた瞬間、いきなり身体に力がみなぎるのを感覚した。


 そうして、宙吊りになりながら、先ほどまで背をあずけていた石の寝台に目を落とし、思い至った。


 スキルを無効化する寝台から離れられたから、スキルがまた機能し始めたんだ!


 助かるかもしれない。


 ……いや、そう簡単にいくわけがない。


 鬼ひいては黒衣の集団を俺独りで片付けられる自信がない。


 ……待てよ。……そうか、俺も鬼を呼び出せばいいんだ……。


 気がついて、俺は、右の上腕部からにょきりと剣の刀身をたけのこよろしく出現させた。


 出現した刀身の切先が、縄をつまむ鬼の手の甲に突き刺さる。


 刹那、鬼は絶叫し、黒衣の集団に向かって、力任せに俺を投げつけた。


 群衆にダイブするアーティストさながら、俺の身体が黒い海に着水する。


 瞬間、パチンという快音がした。


 その直後、下から何人かの苦鳴がない混ぜになって聞こえてきた。


 俺の下敷きになった数名の黒尽くめが漏らした声に相違なかった。


 彼らに腹這いになった俺にダメージはほとんどなかった。


 初め、下敷きになった彼らがクッションの役割を果たしてくれたのかも、と思ったが、パチンという快音を耳が拾ったことを、はたと思い出すと、ついでウォーターベール——水の防御魔法が発動したことに思い至った。


 安堵の溜息を鼻からついた俺は、取り戻した怪力のスキルを駆使して、忽ち縄を引き千切る。


 と、立ちあがりざま、即座に仕舞い込んだ剣を、今度はすかさず両の手の間に出現させる。


 そうして、「うおー!」と雄叫びをあげた。


 そうすると、俺の覇気に怯んだか、刃物に怯んだかした黒衣の集団がどよめきながら、示し合わせたようにあとずさった。


 結果、数人をフッドマットに剣を構える俺を中心に、大きな円形の空隙が生じる。


 そのとき、人気コスプレイヤーになったかのような高揚感が俺の中にみなぎった。


 つと、水を差すように、嗄れた老人の怒号が轟いた。


「何をやっておる! さっさとひっ捕らえんか!」


 老人が言い募ると空気が一変した。


 黒衣の集団の一人ひとりが、老人よろしく、巨大なナイフを取り出し、もう一方の手にある燭台の蝋燭の青い炎で刀身を炙った。


 そうしたところ、どういうわけかナイフが青い光を湛えた。


 それは、俺の『天の剣』が水の魔力を湛えたときの姿によく似ていた。


 水のエンチャント⁉︎


 そう思ったが、俺の剣が水色の光を宿していたのに対して、彼らのナイフは濃い青色を呈していた。


 ほどなくして、俺はその湛えられた青い光の正体に気がつく羽目になった。


 俺の口から白い湯気が踊り出る。皮膚が粟立ち、思わず身震いした。


 洞窟内の温度が急激にさがったように感じられた。


 水属性じゃない! 氷の……。


 気づいた瞬間、黒衣の集団はみながみなナイフを頭よりも高く掲げ、一斉に勝鬨の声めいた声で冷え切った空気を震わせた。


 俺は咄嗟に、魔法陣を展開し、あいつを召喚しようと思って、足元に手を置いた。


 足元には伏臥した黒衣の男がいて、その背に触れつつ、考える。


 魔法陣は地面じゃなくても展開できるのか? 


 ……もし地面じゃなきゃだめなら早く地面に触れなきゃ……。


 ちょっと待てよ。もう魔法陣はいらないんじゃなかったか? 


 たしか魔法陣は不要なはずだ。そうだ。そうだった。


 自分がサモナーのスキルを獲得していたことを、ふいと思い出し、そう胸中で独白したちょうどそのとき、一振りのナイフの切先が俺の眼前に迫っていることに気がついた。


 ギョッとした俺は咄嗟に早口で、「助けに来てくれ水鬼!」と口走った。


 瞬間、黒衣の男の背にのせていた手のひらが水色に光った。

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