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透明になった小鳥遊先輩が、僕だけについてくる。  作者: 比古狭霧
第一章 見えるのは僕だけ

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第1話 僕は、存在しない先輩を覚えている

「夏休み明けって、なんか変わったやつ多いよな」

「ちょっ、押すなよ。新学期早々、ダル絡みしてくんなって」


始業式の廊下は、生ぬるい汗と制服の匂いが充満していて普通に不快だった。窓からの日差しが無駄に眩しくて目がシミる。


昨夜爆死したソシャゲのログインボーナスだけ回収しながら、僕は教室へ向かっていた。

ただ、昇降口を抜けたあたりの廊下で、変な違和感があった。


女子生徒が一人、立っている。

目立つくらいに顔立ちも整っている。肩より少し下まで伸びた髪が、首を動かす度にさらりと揺れていた。なのに、周りを歩く奴らの誰もその生徒を見ていない。


男子の集団が肩すれすれを通り過ぎていくのに、誰も避けないし、視線すら送らない。まるで透明な障害物でも置いてあるみたいな扱いだった。


……いやいや、まさかの心霊現象? 朝からは、流石に勘弁してほしい。

関わるとろくなことになさそうだったし、昨日の夜遅くまで動画を見ていてめちゃくちゃ眠かったので、目線をスマホに戻して素通りしようとした。


「ねえ」


制服の袖をクイッと引っ張られた。

うわっ、触れるのかよ。ゾッとして足を早める。


「ちょっと、無視すんなし」


声が真後ろについてくる。

周りを見回したけれど、誰も振り返らない。やっぱり僕にしか見えてないし、聞こえてないらしい。マジか。


「ねえってば! そこの背が高いやつ、止まりなさい!」


三度目の声は、完全にカツアゲでもされる予感しかしないトーンだった。

これ以上無視して袖を引っ張られ続けるのも気持ち悪い。観念して溜息をつき、振り返った。


そこにいたのは、学年章の色が違う先輩だった。さらっとした髪を耳にかけて、めちゃくちゃムッとした顔で僕を睨みつけている。


「……僕ですか」

「そう! 君! やっと目合いましたー。……あーよかった、いやほんとマジで……」


先輩はあからさまにホッとした顔をして、胸を撫で下ろした。でも、その手が微かに震えている。強がっているけれど、本当は相当テンパっていたらしい。


「僕、あの……電子マネー派なんで、現金なら300円くらいしか持ってないんですけど」

「お金ってなに!? 先輩! 二年の小鳥遊! ……つか、どこが後輩にお金をせびるように見えんのよ!」


小鳥遊紬たかなしつむぎ

本人が名乗る前に、なぜかそのフルネームが頭に浮かんだ。胸の奥がモヤッとする。聞いたことないはずなのに、妙な胸騒ぎがした。


「……君、名前は?」

御影彼方みかげかなたです」


「御影くんね。……ねえ、ホントに見えてる? 私のこと」

「本当は見えてないのに、適当に声に合わせて返事してたりしない?」


「そんな器用なことできませんよ。目の前にウロウロしてて邪魔です」

「言い方! ……でも、そっか。見えてるんだ」


先輩はフッと笑った。

でも、その笑顔がなんだかすごく不器用で、今にも崩れそうな張り詰め方をしていて、こっちまで息が詰まりそうになった。



昼休みのチャイムが鳴った直後、先輩は当然のように僕の席の横に立っていた。周りの奴らは弁当を広げたり喋ったりしていて、誰も僕らのやり取りに気づかない。


「御影くん、図書室行くよ」

「行きません。メシ食うんで」


「パンでしょそれ? 図書室で食べればいいじゃん。ほら立って」

「なんで僕が先輩の付き添いしなきゃいけないんですか」


「私が一人だと暇だから! ほら!」


強引に腕を引かれて、結局連れて来られたのは図書室の奥にある日当たりの悪い席だった。古い本の匂いが漂っている。

先輩は慣れた手つきで古い文庫本を取り出して、パラパラとめくり始めた。児童書だ。表紙がボロボロで、角が丸まっている。


「これ、昔めちゃくちゃ好きだったんだよね」

「へぇ、良かったですね」


「何その適当な返事。もっと興味持ちなよ」

「だって僕、児童書とか読まないですし。てか、昼ごはんの焼きそばパン、早く食べたいんですけど」


「……みんな忘れてもさ、本の中身だけは変わらないじゃん」


唐突に、先輩がボソッと言った。

焼きそばパンの袋を破ろうとしていた手が止まる。


「だから……誰も私のこと覚えてなくても、この本の中に書いてある話だけは、ずっと一緒なんだよね」


ページをめくる指先が白くなっていた。さっきまで強引に僕を連れ回していたくせに、急にそういう顔をする。女子の感情の振り幅というやつか、正直反応に困る。


「……御影くんは? 本読むの?」

「ラノベくらいです」


「なに読んでるの?」

「主人公が無双するやつ」


「ふふっ、浅いなぁ」


先輩は手で口元を隠しておかしくなさそうに笑った。さっきまでの湿っぽい雰囲気が吹き飛んで、拍子抜けしてしまう。本当に忙しい人だ。


……というか、なんでこんな話をしてるんだっけ。焼きそばパンの紅生姜が袋の端っこに寄って潰れていて、それをどうやって箸なしで食べるかの方が、今の僕には切実な問題だった。



放課後、なんだかモヤモヤしたから、この先輩のことを学校中で調べてみた。どうせ学年で浮いている存在に違いかない。


二年の学年名簿。小鳥遊なんて名前はなかった。

靴箱にも、彼女の靴どころか、空きスペースすらない。

図書室の司書さんに聞いても「小鳥遊さん? 珍しい名前ね。うちの生徒にいたっけ……」と首を傾げられた。


ただ、図書カードの束を引っ張り出したら、一枚だけ『小鳥遊 紬』の文字があった。顔に似合わず字がやけに綺麗で、貸出履歴の最後に「八月三十一日」と判が押されている。だが、その文字もどこか焦点が合いづらく、注意して見ないと見落としてしまいそうだった。世界が彼女の記録を消し込もうとしているみたいに。


紙に文字は残っている。なのに、誰の記憶にも残っていない。ミステリー小説でも読んでいる気分だ。読まないけど。


屋上に登ると、先輩がポツンと立っていた。

夕方の風で長い髪がふわっと乱れていて、フェンスに肘をついてぼーっとグラウンドを見下ろしている。


「先輩」

「うわっ!? ……びっくりした、急に声かけないでよ」


「いや、普通に歩いてきただけですけど」

「足音立てなよー……気配消すのやめてよね」


胸を押さえて胸を撫で下ろす先輩。さっきまでの儚げな雰囲気が台無しだ。


「……ねえ、御影くん」

「なんですか」


「もしさ。明日起きて、私のこと綺麗さっぱり忘れてたらどうする?」

「……いや、どうするって言われても」


「ちょっとは悩んでよ。『忘れません!』とか言えないの?」

「嘘ついてもしょうがないでしょ。忘れたら忘れたで、たぶん気づきもしないですよ。だって忘れてるんだから」


僕がそう言うと、先輩は一瞬だけ傷ついたような顔をして、すぐに自嘲気味に笑った。


「あはは、正論。ほんと冷めてるよね、御影くんって」

「そうですかね。でも──」


パンのゴミをポケットに押し込みながら、言葉を足す。


「もし『何か大事なことを忘れてる気だけする』状態だったら、めんどくさいけど学校中探しますよ。先輩の靴箱も名簿もないなら、片っ端から教室覗いて声かけます」


「……なにそれ。学年主任のゴメスに呼ばれるよ?」

「先輩に呼ばれるより、真栄田先生の方がマシです。あと、今度先生に会った時に先輩がゴメス呼びしてたって、言っておきますね」


先輩は目を丸くして、それからクスッと吹き出した。ちょっとだけ照れくさそうに目を細めて、視線を落とす。


「……変な奴だよね、御影くんて」

「先輩ほどではないと思いますけど」


先輩はポケットから自分のスマホを取り出すと、写真フォルダを開いて僕に見せてきた。

去年の球技大会の写真らしい。クラス写真の端っこに映る先輩の姿が、まるでカメラのレンズが汚れているみたいに滲んでいて、輪郭がボヤけていた。


「こうやってね、少しずつ消えていくの」

「最初は誰も声をけてくれなくなって、次は名前が消えて、最後は写真からもいなくなっちゃうんだよね」


笑っているけれど、目は泣きそうだった。スマホを握る指先に、ぎゅっと力が入っている。


「だからさ──今日、君が私のこと『邪魔です』って言ってくれたとき、めちゃくちゃ嬉しかったんだよ。……変な奴だね、私も」


そう言って笑う顔がなんだか見ていられなくて、僕はわざとらしく目を逸らした。



翌日の昼休み。


「御影くん! 焼きそばパン買った!? 一緒に図書室行くよ!」

「今日メンチカツパンなんで行きません」

「いいから来るの!」


相変わらず強引で、勝手で、うるさい。

でも、図書室の窓側に座った先輩は、昨日よりも少しだけ影が薄くなっている気がした。光の加減かもしれないけれど。


「ねえ、御影くん」

「なんですか、先輩」


「なんで私のこと、見えてると思う?」

「……僕がズボラだからじゃないですか。忘れる作業すら面倒くさいんで」


「なにそれ、意味分かんない」


先輩はクスッと笑ったけれど、すぐに真面目な顔になって僕をジッと見つめてきた。その距離がやたら近くて、少し甘い匂いがした。


「……ほっとけないからでしょ?」

「違います」


「強がらなくていいのに」

「違いますって。ただ単に……」


吐き出しそうになった言葉を、一旦呑み込む。

恥ずかしすぎる。こんなの口にしたら負けだ。でも、黙っていたらこの人はまた勝手に諦めて、消えてしまいそうだった。


「……先輩が急にいなくなったら、僕の後味が悪いだけです。胸糞悪い思いをしたくないだけ」

「……だから言い方。まっ、変に心配されるよりマシか」


先輩は一瞬呆れた顔をしたあと、ふっと表情を緩めた。かと思えば、耳まで真っ赤にしてぷいっと横を向く。本当に感情の忙しい人だ。


「君は、素直じゃない後輩だけどさ」


ポツリと言った声は、昨日のどの言葉よりもはっきりと僕の耳に届いた。



放課後、自分の机の中に、ぐしゃっと折られた小さな紙切れが入っていた。


『今日も覚えててくれて、サンキュ(石っぽいイラスト)』


相変わらず雑な文字と、変な落書き。


「……もしかして、御影石のつもりか。どんなセンスしてんだよ、あの先輩」


隣の席の奴が「お前、さっきから机の引き出し見て何ニヤついてんの?」と不審そうに聞いてきた。


「ニヤついてないよ。ゴミが入ってただけ。黒いつぶつぶしたヤツ」


紙切れをポケットの奥に押し込む。

明日も覚えている保証なんてどこにもない。僕の記憶だっていい加減だ。


でも、あのうるさくて強がりな先輩に「サンキュ」なんて言われっぱなしなのは癪だし、明日もまた、めんどくさそうに返事をしてやろうと思う。


まあ、覚えてたらだけど。

でも、たぶん──僕は忘れないと思う。

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