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第5話:後悔

 ※※※

 



 そのまま飛行艇は、二人の家の近くにある開けた浜辺に降り立つ。私有地になっており、普段は誰も立ち入らないが、どうやらシノニムが買い取って飛行艇の着陸場所にしているようだった。

 結局、亜紀良も照も飛行艇が去っていくまで一言も発さずに見守っているのだった。


「……なあ、てるてる」


 先に口火を切ったのは亜紀良の方だった。


「何処まで──話聞いた?」

「……多分、アキ君と同じ。同じ話を今、別室のアキ君にもしてるって言われた」

「……その、お前の身体に何が起こったのか、とか……黒い恐竜の事とか」

「全部──聞いた」

「……そっか」


 夕陽を眺めながら──二人は、何も無かったかのように帰路につく。


「体……痛くねえか?」

「ヘーキ。アキ君は? 怖くなかったの?」

「いやー、それがさ。頭ァ打っちまった所為で、あんまり覚えてねーんだよ。必死だったし」

「……ほんとに?」

「ま、お前がスゲー勢いで、あのトカゲ共ブッ飛ばしてたのは覚えてるけどな。ちょっち見直したぜ」

「……あたし、やっぱりこうなるべくしてなったみたい」


 すん、と顔を俯かせながら照は言った。


「……一週間くらい前からね爪が……凄く伸びるようになったんだ」

 

 誰にも言えなかったけどね、と照は続ける。変身後もまだ、爪は伸び続けている。


「テリジノサウルスの力が……普段のあたしにも影響を与えてるのかな。すごいね……史上最大の爪を持つ生き物って」

「はは、まるで照みたいだな。爪が長いのとか、なるべくしてテリジノサウルスだったのかも──てるてる、ネイルが好きだし」

「アキ君」

「はい?」


 ぴたり、と彼女は足を止める。そして──心底冷え切ったような声で告げる。




「……あたし、ネイル、出来なくなっちゃうんだよ。友達にもこんな手、見せられないんだよ。折角ネイルしても、こんな勢いで爪が伸びたら台無しなんだよ」




 そこで──亜紀良は自分が掛ける言葉を間違えた事を悟った。

 照は、昔から身体が小さく、背伸びをしたがってオシャレや化粧に興味を持っていた。

 その中でも特に、ネイルアートを気に入り、手先の器用さを生かしてこれまで趣味にしていたのだ。

 爪が異常に伸び続けるのは、彼女の趣味にとっては致命的だ。特に、自らも爪の手入れを欠かさない彼女にとっては、誇りの一つを穢されたような気分だった。

 慌てて取り繕うとした亜紀良だったが、一度言ってしまった言葉は取り消せず。


「ッ……あたしは本気でアキ君の事心配してるのに。あたしの所為でケガさせちゃったとか、嫌な思いさせちゃったとか思ってたのに。アキ君は──ずっとヘラヘラしてる!!」

「違──それは、今のは言葉の綾って言うか」

「アキ君が恐竜が大好きなように、あたしはネイル大好きなんだよ!? 友達に喜んで貰ったり、検定だって頑張ってきたのに!! 自分の爪がこんなんじゃあ……もう、ネイルなんて出来ない!! 何がテリジノサウルスなの!? 他の恐竜が良かったよ!!」

「落ち着けって、俺は──」

「無神経にもほどがあるよ!! サイテーッ!!」


 だっ、と彼女は亜紀良を置いて駆けていってしまう。そんな彼女の後姿を見ながら──彼は嘆息した。我ながら要らん事を言ってしまった、と激しく後悔する。


(俺ってバカ。ほんとーにバカ……)


 こんな時に彼女を優しく労わるような言葉でも掛けられれば、と己のデリカシーの無さを呪うのだった。

 場を和ませるつもりが、最悪の地雷を踏んだ上に神経を逆撫でしてしまった。




(何がトリガーだ……何が守る、だ……これじゃあ、絶交待ったなしじゃねーかよ……)




 ※※※




 色々あり過ぎて、その日の夜は激しい疲れに襲われていた。

 母親が夜勤で居なかったのが救いだろうか。一人になりたかったので、彼女はそのまま泥のようにベッドへ倒れ込む。


(……つい、カッとなっちゃったけど……これは怒っても良いよね)


 既に伸びきっている自分の爪を見て、彼女は嘆息した。朝になったら、またとんでもない伸び方をしているに違いない。

 これがテリジノサウルスの力だというのならば、自分はテリジノサウルスの力など欲しくなかった、と本気で思う。

 だが、もしもこの力が無ければ、自分も亜紀良も死んでいたのは事実だ。

 公にはされていないが、世の中には自分と同じ力を持つ少女が他にも居て、そして──あの黒い恐竜のように人知れず人間を喰らう怪物が平然と闊歩している。

 恐らく、行方不明になったバスケ部の部員も、今道先生のようにあのトロオドン達に食われたのだろう、と彼女は考える。

 ゾッとした。力が無ければ、やはり今頃自分は此処には居ない。そう考えると、首の皮一枚で自分は日常を生きる権利を与えられたような気がしてならないのだった。


(戦うとか、守るとか……絶滅少女とかレプリレクスとか……あたしにはまだ分かんないよ……フツーに生きてるだけでも、あたし自分の事でいっぱいいっぱいだよ)


 そう考えれば──あの時、咄嗟の行動だったとはいえ、時間稼ぎの為に自分を庇う行動に出た亜紀良を──間違いなく照は尊敬する。彼が居なければ、力に目覚める前に自分は食い殺されていたかもしれないのだから。

 そして、彼の無神経な発言は──やはり、彼なりに自分を励まそうとしてくれたのではないか、と頭が冷えてくるにつれて思えてくるのだった。結局の所、いつだって亜紀良という少年は自分には優しかった。ただ、優しさの方向性を始めとした感性だとか感覚だとかコミュニケーションが一般人のそれからはズレにズレているだけなのだ。


(ショージキ……あたしがアキ君に変な事言って迫ったのとか、どーでも良くなっちゃった……アキ君、多分……ああいう時、わざと軽口言うタイプだもん。きっと……アキ君なりに励まそうとしてくれたんだろーけど)


 だが、それはそれとして、この長い爪は彼女の悩みの種だ。恐竜の事が譲れないように、照にも譲れないものがある。


(無神経なのはアキ君が悪いよ!! ネイルは……あたしの誇りだもん)


 幼い頃の事を思い出す。

 ネイルアートの体験会に連れていって貰った時に、ネイルアーティストのお姉さんに施して貰った蝶の付け爪を今でも覚えている。

 それを見た、亜紀良も目を輝かせていたのを思い出す。


 ──すっげー! てるてる、大人のお姉さんみたい!


(……ネイルは……アート。足し過ぎも良くないし、引き過ぎても味気ない。自分を素敵に魅せる為のもの。あの時のお姉さんの言葉は……今でも覚えてる)


 あれからしばらく、クレヨンで自分の爪に落書きして親に怒られてたんだっけか、と彼女は苦笑いする。

 だが──その経験もあって、今の自分がいる。故に。いきなり発現したこの爪の性質は、彼女にとっては天から降ってきた災害に等しいものだった。


(流石に謝って貰わないと許せないよっ!! 気にしてるの、あたしだけみたいだよ……)


 ふんっ、と鼻を鳴らし、そのまま彼女はふて寝するのだった。

 明日からどうしようだとか、考えてはいなかった。隣の家に住んでいて、何なら隣の席なのに。




 ※※※



 結局、亜紀良と顔を合わせたくなかったので、照はできるだけ登校時間を遅らせて出る事にした。亜紀良は自主勉の為にとても早く登校することを知っていたからである。彼に合わせると自分も遅刻しない上に、空いた時間でネイルの練習ができる──という名目で一緒に登校していたが、今日は時間をずらす事にした。昨日の今日で流石の亜紀良も合わせる顔が無かったのか、チャイムに出る事は無かった。

 そしていざ学校に着くと、既に席に座っていた亜紀良は此方を見るなり何か言おうとしたが──そのまま言葉を詰まらせて俯いてしまう。

 すぐに謝ってくるなら許したのに、と照もそっぽを向いて席に座るのだった。正直気まずい。だが──このまま、なあなあにするつもりなど照には無かった。


「今日何故か今道先生が来ていないので、私が代理しますね……ウップ」


 教室がざわつく。やってきたのは、いつもとは違う数学の美人女教師だったからである。因みに美人なのだが何故か顔色が悪かった。

 担任の先生がいない、というので生徒達は皆戸惑っている。「連絡も無しに休みなんて、とうとう寿命か?」「ギックリ腰じゃねえ?」「俺も無断欠席してぇ~」などと声が飛び交うが、真相を知っている照は何も言えず。恐らく、二度と彼が学校に来る日は無い。


(日常が……静かに、でも確実に浸食されてる。もし、あたしが見て見ぬフリをしたら……これからも、同じ事が起きるの……?)


 ずきり、と照は胸が痛んだ。

 行方不明になったバスケ部の部員や今道先生のように、今後も「行方不明」という形で消される人間が身の回りで増えるかもしれない、と思うと寒気立つ。

 そして、その原因を彼女自身は知っている。だが、かと言って、これまで普通に過ごしていた少女が──自分の理性が吹き飛ぶ変身を行って戦うことをすぐに受容できるだろうか? いや、出来るはずがなかった。


「というわけでねぇ……今日は、転校生が居ます……あー、頭痛ァ……気持ち悪ッ」


(飲んだ? もしかして前日飲んだの? この人)


 尚、そんな不安を吹き飛ばす勢いで、今目の前に居る代理の美人教師の様子が不安であった。明らかに二日酔いの症状である。


「あのー、大丈夫ッスか? 先生、顔色悪いッスけど、もしかして──」

「あ”ァ!? 飲んじゃないわよ……仮にも私は教職よ? 舐めないで貰える、クソガキ共」

「おい教職らしからぬ暴言だろ今のは」

「婚活パーティーで知り合って付き合ってた男が実は妻子持ちでヤケ飲みしてた……なんてこと、全然無いわよ……お”えっ、吐きそ」


(ぜったい飲んでたよ、この人)


 照は白い目。明らかに二日酔いである。平日に馬鹿飲みした辺り、よっぽどショックだったのだろう。それはそれとして、教職の人間としてどうかと思わないでもないのだが。


「皆もねぇ!! 気を付けなさいねェ!! どーせねぇ、人間一皮剥けりゃあ、皆カスなのよ!! うおおおおおおおおおおおおおん!!」

「おいまだ酔ってんのか、この人ォ!! 人間一皮剥けりゃ皆カスなら、オメーは酒カスだろが!!」

「チェンジだチェンジ!! HRを進めろや!! オメーの婚活事情は知ったこっちゃねーんだよ!!」

「というわけでね……今日は転校生が居ます……ちょっと先生は、水を飲んできます……うっぷ」


(この状況で自己紹介させられる転校生が一番可哀想だよ)


 照は心底同情した。自分なら間違いなく絶望している所である。この地獄のような空気で慣れない多人数相手にさせられるのだ。秒でもう一度転校したくなるのは請け合いである。

 そう思っていた矢先──廊下から入ってきたのは──




「転校生の朱尾ツバサです」


(なんか速攻で転校してきてる──ッ!?)




 ──見覚えのある組織の見覚えのある少女であった。

 色素の抜けた髪、色白な肌、そして無感動で機械的な瞳。

 昨日、照はあまり話していないものの、シノニムに所属する絶滅少女の人間だ、と紹介された相手だ。

 隣の亜紀良の様子を見る。流石に動揺しているのか、目を見開いていた。


「日本人ですが、出身はドイツのバイエルン。趣味はコーヒー。よろしくお願いしますね」


(しかも、この地獄のような状況でフッツーにソツなく自己紹介してるよ!!)


 教師が戻ってくるのを待たず、彼女は空いた席につかつかと歩いていく。心が強ェ転校生なのか。

 その最中──彼女は、照の席を横切り、囁くような声で言った。




「──昼休み、屋上で待っています、照さん」




 小さい声だが、はっきりと照の耳には、彼女の声が聞こえる。

 ぞくり、と肌が粟立ち、彼女の方を見やるが、もう既にツバサは席に座っていた。

 そうこうしているうちに、酒カス教師が妙にスッキリした顔で帰って来た。


「あ、自己紹介終わった? ふぅー、それじゃあこれでHRは終わりって事で──」

「オメーはもう教師やめろ!!」




 ※※※




 その日の昼休み。

 屋上の扉に鍵をかけ、二人っきりになった。

 正直丁度良かった。教室に居ると、気まずい亜紀良と顔を合わせ続ける事になるからだ。

 照は──ツバサと向かい合う。相も変わらず、何を考えているかよく分からない静かな目だった。


「……貴女は……絶滅少女、なんだよね」

「はい。改めて──シノニムの朱尾ツバサです」

「霧島 照、だよ。……それで、あたしに何の用なの?」

「貴女に接触したのは──今の貴女の覚悟を問う為」

「覚悟……?」

「絶滅少女として、このまま戦うのか……それとも、何も見ぬフリのまま日常を送るのか」

「ッ……」


 ごくり、と照は息を呑む。正直──彼女は実感していた。ゆっくりとだが、確実に日常を蝕まれているのを。

 だが、同時に彼女自身も、あの「変身」を行えば自分が自分で無くなってしまうような気がした。


「……正直、まだ分からないよ。いきなり”戦え”だなんて言われても……決意なんて出来ない。怖いよ」

「……それを聞いて少し安心しました」

「え?」

「貴女の幼馴染は……古田亜紀良は少々イカれた感性の持ち主だったので」

「もしかしてアキ君に変な事言われた?」

「言われました」

「ホントーにごめんなさい!!」

「気にしてないですよ。……学者気質の人間というのはああいうものですから」


 遠い目。無感動だと思っていたが、意外と感情の機微が分かりやすい。


「貴女は……フツーですね。フツーの人間のようです」

「それって褒めてるの……? 貶してるの……?」

「褒めてるんですよ。こっちに居ると、壊れていたりイカれていたりで、普通ではない人間が当たり前なので、一周回って安心します」

「……」

「ですが──私は同時に、貴女には後悔してほしくないと考えています」

「後悔?」


 頷くと、彼女は意を決したように照に告げた。


「私は……レプリレクスに、家族を全員殺されました」

「──ッ」


 思わず言葉を失う。淡々と語られた過去は──言葉以上に凄惨で、重い。




「……あの忌まわしい誕生日。私は、家族が目の前で食われる様を見て、この力に覚醒したんです」




 ※※※




 ──1年前、ドイツ・バイエルンの幸せな一家は──唐突に崩壊する事になる。


「な、なにこれ、お母さん……? お父さん……!?」

「き、来ちゃ、駄目、ツバサ……!!」


 誕生日会の準備をされていた部屋は──黒い靄、そして羽根の生えた恐竜たちによって惨たらしく踏み躙られていた。

 父も、母も、原型を留めたまま、小さな黒い恐竜の群れに貪り食われていた。

 前脚、そして後ろ脚にも生えた大きな羽毛。”ラプトル”で知られるドロマエオサウルス科の中でも一際小さいミクロラプトルだ。尤も、その名を当時の彼女が知る由も無いのだが──


「ツ、ツバサ、逃げ──」


 黒い靄と共に、父の身体が消え失せる。

 そして、次はお前だ──と言わんばかりに、簒奪者たちの目がツバサに向いた。

 彼女は腰を抜かしてしまい、涙を流し、絶望の表情のまま冷蔵庫に追い詰められる。


「殺したの……!? 貴方達が……!? い、嫌ッ……来ないで……来ないでーッッッ!!」


 その時だったのである。

 ツバサが力に目覚めたのは──


(何で? 何で私がこんな目に遭わなきゃいけないの?)


 全身から羽毛が生えた。

 目は爬虫類のそれへと変貌し、狩られる者から一転。狩る側へと化す。




「……貴方達も死んでしまえば良いッ!!」




 ──皮肉にも。

 彼女が目覚めたのは”始祖鳥”。分類群こそ違うが、ミクロラプトルと同じ、小型の滑空能力を持つ恐竜だった。

 そして、絶滅少女に覚醒した彼女では、ミクロラプトルの群れ如きは全くの相手にならなかった。

 だが、もう全てが遅きに失したのである。


「ねえ、何で……? 戻ってきてよ、お父さん……お母さん……」


 一度食われてしまった人間は生き返りはしない。待てども待てども、家族は戻って来ず、後には──ツバサの慟哭だけが響くのだった。




 ※※※




「狩るか狩られるか。選択は貴女に委ねます。しかし──レプリレクスは待ってくれません。せいぜい……後悔の無いように」

「ッ……」




 ツバサは多くを語りはしない。

 そのまま踵を返すようにして、屋上の鍵を開けて立ち去ってしまう。

 自分は「間に合った」。だが──彼女は「間に合わなかった」。ただ、それだけの違いだ。


(あたしは……呑気だった。本当に、自分の事しか考えてなかった……)


 あの無感動な表情の裏にはきっと、幾たびもの後悔と苦しみがあったに違いない、と照は考える。

 もし自分が同じ立場だったならば、きっと──戦う気力すら削がれ、折れてしまうに違いないと思えてしまった。


「後悔……か」


 照は呟く。

 日常は儚く、自分が思っていた以上に──脆い。

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