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黄金林檎は恋の味⑥


 菓子工房の定休日。

 コレットは、フェッロが画室アトリエがわりにしている寺院の倉庫にいた。


「お待たせいたしました。ウフ・ア・ラ・ネージュです」


 寺院の厨房を借りて仕上げた菓子を、フェッロとビアンカの前に置く。すでに店では出していたが、先日の暴漢騒ぎで試食してもらえなかったので、フェッロの怪我も治ったことだしと、今日あらためて食べてもらうことにしたのだ。


卵の(ウフ・)ア・ラ・ネージュ?」


 目の前に置かれた菓子を見て、フェッロが不思議そうに言う。


「はい。真ん中のメレンゲが雪のようでしょう?」


 コレットが皿の真ん中を指し示す。卵黄と砂糖で作ったクリーム色のアングレーズソースの上には、子どもの拳くらいの真っ白な雪玉が浮いていた。そのまわりには、淡い色合いで複雑な文様が描かれ、黄金林檎のスライスが添えられている。


「本当に雪みたい。あら? この模様、もしかして……」


「えぇ、ビアンカさんの胸飾り(カメオ)意匠デザインを使わせていただきました」


 言われてビアンカが自分の胸飾り(カメオ)を見ると、コレットの言う通り、ソースの模様は胸飾り(カメオ)の縁取りと同じ形だった。



挿絵(By みてみん)




「すごい、コレットさん! ソースの上にこんな複雑な形が描けるんですね!

 色は? どうやったんですか?」


 ビアンカが驚くのも無理はない。アングレーズソースに描かれた模様は、食べ物ではあまり見ない、薄い青色をしていた。


「これは紫芋のペーストを卵白メレンゲに溶いて作ったんです」


「紫芋?」


「紫と白なら薄紫じゃないの?」


 小首をかしげるビアンカの隣で、菓子の用意が整うのを黙って待っていたフェッロが敏感に反応する。守門ポーターは生活のための仕事であり本業は画家だと自負している彼にとって、色の話は捨て置けない。


「はい。顔料なら薄紫になると思います。でもなぜか、紫芋と卵白メレンゲの場合は優しい青色になるんです」


「へぇ。今度おれも試してみようかな」


 興味津々でコレットの話を聞くフェッロに、今度はビアンカが尋ねた。


「フェッロさんがお菓子を作るんですか?」


「違うよ。絵に使うんだ。卵テンペラっていう、卵黄と顔料を混ぜて彩色する技法があってね。乾けば水に溶けなくて塗り重ねられるし、時間が経っても色が変わらないんだよ。

 それを卵白でやったらどうかなって。卵テンペラは、卵黄だけじゃなくて樹脂も混ぜるけどね」


「樹脂……。それじゃ食べられませんね。びっくりしました。絵が食べられるのかと」


 こぽこぽとコレットがお茶を注ぎながら言う。画材の独特な匂いがしていた倉庫の中に、花茶の華やかな香りが広がった。


「さすがにそれは無理だね。そもそも顔料は体に悪いから」


「ですよね。あ、お菓子、お早めにどうぞ。

 時間が経つとしぼんでしまうんです」


「えっ、そうなんですか? やだ、フェッロさん、急いでいただきましょう」


 お茶を淹れ終わったコレットにカトラリーを差し出され、ビアンカはいそいそとスプーンを取ってフェッロに渡した。

 コレットは、向かいあう二人の横に腰かけて、菓子の説明を始める。


「薄い青色の模様は、先ほどお話した通りです。クレーム・アングレーズは、牛乳、砂糖、卵黄を混ぜ合わせてバニラビーンズを加えて作ったソースです。えっと、ゆるめのカスタードクリームのような感じですね。

 雪玉ネージュの中には乾燥林檎ドライアップルが入っています」


 コレットの話を聞きながら、早速フェッロが一口食べてみる。


「うん、おいしいね」


「ありがとうございます」


「フェッロさんったら、もう少し違う感想はないんですか?」


 「おいしい」だけではどんな味なのかわからないと、ビアンカも続いてスプーンを手にする。メレンゲだという雪玉ネージュのようなかたまりは、スプーンを入れるとわずかな弾力とともにほろりとくずれ、ソースをよくからめて口に含めば、ゆっくりと味わう前に淡雪のように溶けて消えた。


「……おいしい……!」


 言ったビアンカを、フェッロがじとっと見つめる。


「ビアンカも同じ感想」


「あっ、えっ、だって……。このお菓子、本当に雪みたいで、すぐに消えちゃうんですもの。

 ちょ、ちょっと待ってください。もう一回食べてちゃんと感想をっ」


「ふふっ、いいんです。“おいしい”って言っていただけるのが一番うれしいですから」


 ほほえましい言葉を交わしながら菓子を食べる二人を、コレットはにこにこと微笑んで眺める。自分の作った菓子が、誰かの幸せな時間につながることほど喜ばしいものはない。


「中に入ってるのって、乾燥林檎ドライアップルだけですか? この甘酸っぱいのがそうだと思うんですけど、他にも何か入っているような……。なんでしょう、食べたことのない味ですけど、妙にくせになる……」


「あ、気付きましたか? それ、乾燥麝香果ドライラウリーンなんです。なぜか兄が大量に持ってて。

 私、知らなかったんですが、麝香果ラウリーンって生だとすごい匂いがするけど、乾燥させると匂いがなくなるんですね。食べてみたらとってもおいしかったので使ってみました」


「へぇ! この間言っていた果物ですよね。こういう味だったんですね!」


「はい。このお菓子のテーマは“恋”です。ふんわりとろける淡い恋心と、好きな人を想うときの甘酸っぱい感じ、それからどこかくせになるどきどき感をお菓子で表現したかったんです」


「わぁ、すてき」


 ウフ・ア・ラ・ネージュの口どけと二種類の乾燥果物ドライフルーツの食感はまさにその通りだと、ビアンカが頬を染めてうっとりしていると、コレットがビアンカの耳元に口を寄せてコソっと囁いた。


「実はこのお菓子、お店では聖女の(ラ・ピュセル・ド・)初恋プルミエラムールという名前で出してるんです」


「えっ」


「“聖女ラ・ピュセル”はもちろんビアンカさんです」


 コレットは、驚くビアンカににっこりと微笑んでみせる。

 言われてみれば、胸飾り(カメオ)の形だけでなく、紫芋で作られたという薄い青色といい上に飾られた黄色の花びらといい、ビアンカの身に付けているものの色合いそのものだった。

 “ビアンカさんのイメージのお菓子を作りたい”とは初めに言われていたから、それはいいのだけれど、お菓子の名前が“聖女の(ラ・ピュセル・ド・)初恋プルミエラムール”とは?


「わ、私の、初恋?」


「ふふっ」


 動揺するビアンカにさらに楽しそうに笑ったコレットは、ちらりとフェッロを見る。


「お優しいですよね。それにおっとりなさっているかと思えば、いざというときは頼りになって」


「だ、誰のことです?」


「誰って、ビアンカさんとフェッ……んくっ」


 内緒話とはいえ、こんな至近距離できわどい話をはじめたコレットの口に、ビアンカは皿に添えられていた黄金林檎を押し込んだ。


「コレットさん! せっかくですから、コレットさんも召し上がってっ」


 焦ったビアンカが、フェッロはどうしているかと気にして振り向けば、彼は黙々と菓子を口に運んでいた。どうやら聞こえていなかったようだと、ビアンカはほっと息をつく。


「もうっ。コレットさんったら、変なこといわないでくださいね。本当にそんなんじゃないんですよ?

 お菓子の名前は……。まぁ、光栄ですけど、修道女シスターである私には縁のない話です。

 それより、コレットさんの方こそ、さっきの続きを教えてください。

 お湯が沸いたからって、お話の途中で厨房にいってしまうんですもの」


「えっ。さっきの続きって……」


「とぼけてもだめです。クラウス様に手を取られて、そのあとどうしたんですか?」


「あ……う……」


「まさか、そのままお店に戻ったんじゃないですよね?」


 口ごもるコレットに、ビアンカはさきほどの仕返しとばかりに言葉を重ねる。


「も、戻ろうとしました」


「えぇっ。どうして……。あ、でも戻ろうと“した”ってことは戻らなかったんですね」


「はい。戻ろうとしたんですけど、クラウス様が手を離してくださらなかったので戻れなくて。

 あと、私、あのとき本当に胸が壊れるかと思うほどどきどきしてて、あまり覚えてないんですけど、確か、階段から落ちそうになったのを抱き寄せて支えてくださって……」


「きゃああっ

 それで? それで?」


 ビアンカはスプーンを皿に置くと、菓子そっちのけで興奮した様子でコレットに迫る。


「クラウス様は、なんて?」


「す、好きだと言ってくださいました……」


「~~~~~!」


 ビアンカが、目を見開いて新緑の瞳を輝かせる。コレットはといえば、両手で顔を覆って下を向いてしまった。はらりと落ちた髪の間から覗くうなじが、真っ赤に染まっている。


「じゃぁ、お付きあいすることになったんですね?」


 こくり。

 コレットがうなずく。


「きゃあっ、とうとう! よかったですね!

 お式はいつですか? ウェディングケーキは、もちろんコレットさんの手作りですよね」


「……っ

 ビ、ビアンカさん。まだそんな……!」


「え、だって、クラウス様もそれなりのお歳でしょうし、申し込んだからにはある程度お考えが……。

 んん、でもコレットさんのお兄様が、そう易々《やすやす》とお許しにならないかしら」


「あ、ヴィルはもういないんです」


 話を変えるきっかけを見つけたコレットは、ぱっと顔を上げる。赤い頬をごまかすようにせわしなく髪を手で整えながら立ち上がると、お茶のポットを手に取った。

 フェッロは何かを一心不乱に描いており、ビアンカは少し残念そうにしながらウフ・ア・ラ・ネージュの続きを食べ始める。


「え? お兄様、いらっしゃらないんですか?」


「はい。先日、急に“世話になった”って言って出て行ってしまいました。来るのも突然なら、出て行くのも突然なんだから、もう、困ってしまいます」


 しかも、ヴィルフレッドはやけに重そうな荷物を抱えていた。来たときには持っていなかったはずなので、どこかで菓子の材料でも仕入れたのか。ティル・ナ・ノーグから他国に行くには、基本的に船旅になるため、さほど負担にはならないと思ってのことだろうか。


「一度実家(ヴィルヘルミーナ)に寄るって言ってたので、お土産かもしれませんね。出立日を教えてくれれば、私も何か用意したのに……」


「じゃぁ、お兄様は、クラウス様とのことご存じないんですか?」


「うーん……」


 報告くらいはしようと思っていたコレットだったが、その日はいくら待ってもヴィルフレッドは帰宅しなかった。

 翌朝、いつの間に帰ってきたのか、居間で倒れているヴィルフレッドを見つけた。酒の匂いをぷんぷんさせていて、起きても二日酔いでとても話ができる状態ではなく、元気になったと思ったら旅立ってしまった。


「たぶん知らないと思います」


「そうですよねぇ。ご存じだったら、何かおっしゃっていきそうですものね」


「えぇ」


 けれど、妙に勘の鋭いヴィルフレッドのことなので、何かしら知っていそうな気もする。コレットが複雑な表情でお茶のおかわりを置くと、フェッロが不意に手にしたスケッチブックをくるりと回した。


「できたよ」


「まぁ!」


 そこには、木炭で描かれたコレットとビアンカの姿があった。二人は頬を寄せ合い、何事か楽しそうに語らっている。


「おいしいお菓子のお礼だよ」


「私に? ありがとうございます!」


 フェッロがスケッチブックを破いて、くるくると端から丸めてコレットに渡す。ビアンカはうらやましい気持ちを隠すように、花茶の入ったカップを傾けた。


「では、私はそろそろ帰ります。今日はおつきあいくださってありがとうございました」


「えっ、今日はお店お休みですよね? もっとゆっくりなさっても」


「えっと、そうなんですけど、このあと、その……」


 カップを置いて引き留めるビアンカに、コレットが口ごもる。もじもじとスカートを握る手に、ビアンカはハッと事情を察した。


「すみません、せっかくの定休日ですものね。楽しんできてください」


「……ごめんなさい」


「あやまることないです。あ、片づけは私がやります」


「ありがとうございます。厨房のほうは作りながら片づけてしまったので大丈夫ですから」


 お茶はまだポットに入っていること、今度ぜひ店にも来てほしいことを伝え、コレットはフェッロの画室アトリエを後にした。






 菓子の材料分軽くなった籠を下げて、コレットはサン・クール寺院の回廊を歩く。中庭には今日も色とりどりの花が咲き乱れ、さわやかな風が渡っていた。

 あの日、人々が暴漢から逃げるため飛び出してきた扉は、今は大きく開けられて、広く街の人に解放されている。

 コレットがのどかな景色を眺めながら石畳を歩いて行くと、門の側に大きな人影が見えた。それに気付いたコレットは、ぱっと笑顔になり小走りに駆けだす。


「クラウス様!」


 門柱に寄りかかりコレットを待っていたクラウスは、彼女に呼ばれてゆっくりと顔を上げる。相変わらずのいかつい顔つきだが、わずかに上がっている口の端は、つい緩みそうになる口元を引き締めているようでもあった。


「すみません、こちらまで来ていただいてしまって……。

 かなりお待たせしてしまったのでしょうか?」


 店のほうで待ち合わせたはずだったけれど、門で待っていたということは、自分の帰りが遅いために迎えに来てくれたのか。

 余計な手間をかけさせて申し訳なかったと詫びるコレットに、クラウスは黙ってかぶりを振る。

 休みの日恒例のカフェめぐりだから、別に急ぐわけではない。早く会いたくて来てしまっただけだが、そんなことを言えるクラウスではなかった。


「行くか」


「あ、はい」


 駆けてきたコレットの呼吸が整うのを待って、クラウスが歩き出す。コレットは、前を行く広い背中を見上げながら、緊張と喜びを胸に、その後を追った。




 大通りは、人々が行きかい、商店や屋台の呼び込みの声が響いて、活気にあふれていた。

 いつもと同じティル・ナ・ノーグの街を、いつもと同じように歩き、いつもと同じようにカフェに向かう。

 コレットは、歩調を合わせてゆっくりと歩いてくれるクラウスの後ろを歩きながら、規則正しく振られる手をじっと見ていた。


(手をつないでくださいませんか、なんて、言えないよね……)


 年端もいかない子どもならともかく、いい年をした大人が手をつなぎたい、なんて恥ずかしい。でも、本心ではもっとクラウスのそばに寄りたかったし、もっと触れてほしかった。

 コレットは、クラウスの手を見つめながら、後ろに振られたときにつかんでしまおうかとか、さりげなく横に並んでつないでしまおうかなどと考える。

 けれど結局そのどちらも実行はできず、きゅっとクラウスの長衣の端をつかんだだけだった。それとて、コレットにとっては相当な勇気がることだった。


「?」


 ちょこんと裾をつままれて、クラウスが振り返る。コレットと目が合って、歩くのが早かったかと聞いたが、彼女は首を横に振った。

 ならばなんだろうと考えたクラウスは、コレットが片手に下げた籠に気付いて、その手を差し出した。けれど、それにもコレットは、


「大丈夫です。そんなに重くありませんから」


と言って首を振った。

 差し出した手を、そのまま引っ込めるのは騎士の礼儀にもとる。

 クラウスは、そう自分に理由をつけると、自分の裾をつかむ白く小さな手を取った。手をはずされたコレットは、服をつかんだのは失礼だったかと青ざめる。


「あ、あの、クラウス様」


 弁明をしようと焦るコレットに、クラウスが口を開く。


「荷物がだめなら」


 ――君を持ってもいいだろうか。


「……!」


 言われたコレットは、耳まで赤くなって、こくりと小さくうなずいた。






 いつもと同じティル・ナ・ノーグの街を、いつもと同じように歩き、いつもと同じようにカフェに向かう。

 いつもと違うのは、二人の手がしっかりとつながれていること。


 ティル・ナ・ノーグの街に、やわらかな風が吹く。

 

 万物の創造主にして空の妖精たるニーヴの加護を受けた街には、今日もうららかな日差しが降り注いでいた。










挿絵(By みてみん)









 

 ご愛読ありがとうございました^^

 とりあえず一区切り……。

 あとは蛇足で、後日談やその後のお話などがシリーズもしくは小話で続く予定です。

 ご意見・ご感想などお待ちしています^^


 ※手をつなぐエピソードはツイッターの“萌えシチュbot”様より。すみません、やりたかったんですw


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