第95話 土佐
1548年(豊新2年)6月上旬 土佐国 岡豊城 長宗我部国親
「……父上、お呼びと伺いましたが…」
今年11歳となった嫡男の弥三郎が、普段と変わらぬ色白で覇気のない様子で部屋に入ってきた。
まったく…11にもなって挨拶も碌に出来ぬとは…
そんなだから、家中の者から『姫若子』(ひめわこ)などと揶揄されるのじゃ。
思わず、小言が口から洩れそうになるのを、なんとか押しとどめる。
これから、こ奴には少々辛い話をせねばならんからな。
すまんが、これも家の為じゃ、堪えてくれよ。
「良く来たな、弥三郎。最近、調子はどうじゃ?」
「……はぁ。これと言って変わりませぬが。」
「…そうか。随分と背が伸びたようじゃな。」
「この年頃は、皆伸びまする。」
「まぁ…そうじゃな。」
「………………………」
「………………………」
むぅぅぅ。相変わらず掴みどころのない息子じゃ。
弥三郎の気怠そうな姿を見て、思わず溜息が漏れる
いつもうつろにぼーっとしておって、何を考えておるのか儂にはまるで判らん。会話も続かんしな。これが跡継ぎで、長宗我部家は本当に大丈夫であろうか……
「………父上、用が無い様でしたら、私はこれにて…」
「まて!お主に、大事な話があるのじゃ。」
「はぁ。そうですか…」
さっさと、席を立とうとする息子を慌てて呼び止める。
まったく、不憫に思うて倅にを気遣う親の気も知らんで………
まあ、良いわ。さっさと本題に入るか。
「昨日、長尾家よりの書状が、当家に届けられた。」
「!?………まさかとは思いますが、長尾家とは、日ノ本の半分以上を支配し、その石高は一千万石を超えるとすら言われておる、あの長尾家の事で御座いますか?」
「そうじゃ………。」
ん?倅の様子が変わった気が………
「それはまた…この様な海と山に囲まれた僻地の中の僻地、吹けば飛ぶ様な、大名家と名乗る事すら烏滸がましい我等・長宗我部家に、日ノ本最強・最大の大大名の長尾家が何用あって?」
「……弥三郎………それは言い過ぎじゃない?」
「申し訳ありませぬ。興奮で、つい本音が。それで、書状にはなんと?」
「……まぁ、良い。見てみろ。」
弥三郎に、長尾家からの、やけに手触りの良い紙の書状を渡す、
「それでは、拝見させて頂きまする!」
先程までの気怠そうな表情と打って変わって、食い入る様に書状に目を通す弥三郎
「……ほう、右近衛大将様は大内討伐を決断されましたか。それで、東海より土佐を経て九州に至る航路の確保を求めて、長曾我部家に接触してきたと云う事ですか。合点がいきました。」
書状には、偽銭の鋳造を行う大内家と博多商人への罪状と、長宗我部家に対して大内家討伐への協力として、湊の使用と改修を要請するものであった。
「それで父上は、どうなされる御心算で?」
「長宗我部家にとっては、悪い話では無いと思っておる。」
「そうですね。湊の拡張費用も、使用料も長尾家は払うと言っておりまする。それに、領内に長尾家の湊が有るとなれば、早々当家に攻め掛かる家も無いでしょう。」
「うむ。当家が長尾家と関係を持てる事は大きい。しかし、儂はそれだけでは物足りぬ。この機会に更に長尾家との関係を深めて置きたい。その為にな、弥三郎、、、お主には春日山に行って貰う事が、本日の評定にて決まった。」
「!?………私が春日山に………?父上………それは、人質と云う事ですか?」
震えながら顔を伏せる愛する我が子を見て、心の內から熱い物が込み上げて来る
「………うむ。儂も申し訳ないとは思っておるのじゃ。本当は儂も、まだ幼いお主を遠く離れた越後になぞ送りたく無いのじゃ!嫌なら断っても良いの………」
「………クッ………」
「………父が悪かった、やはり、この話は………」
「クッワハハハハハハハハ!遂に!遂に!このド辺境より抜け出せるとは!まさしく、八幡大菩薩の奇跡なり!毎日祈り続けた甲斐が有りました!八幡さんやるやん!春日山に行ける!ヒャッホ~~!」
弥三郎は天を仰ぎ、顔をくしゃくしゃにして笑い続ける。その目尻には、熱いものが滲んでいた。
「いや〜父上、常日頃から、北は高く険しい山々に遮られ、南は果てしなく続く海に挟まれた閉塞された、元は罪人の流刑地の土佐の地で、狭き土地を奪い合い一生を終えるは、勿体ないと思っておりましたのです!」
「あの【北の大都】とも【華の都】とも称される春日山に赴く事が出来るとは、何という幸運……父上も、日ノ本屋で売られております書物を読まれたことがございましょう?天下唯一無二の名城春日山城の威容に、優雅で整然と整えれれた城下の総構の様子を。」
普段は無口で大人しい息子が、人が変わった様にたグイグイ来よる
何じゃ…何が起こったのじゃ?
「それで私は何時、春日山へ赴くことが出来るので?明日ですか?明後日ですか?これは、急ぎ支度せねば…」
「…ま、待て!弥三郎!長尾家と話も付けねばならぬ。お主が、春日山に行くのは早くても半年、いや一年程は先となるじゃろう。」
弥三郎の先ほどまでの歓喜に綻んでいた口元が、引き締まり、瞳の奥に宿っていた熱狂の炎が、すうっと音もなく冷たい理性の光へと変わっていく。
「父上………既に、天下の趨勢は決まりつつあります。」
「う、うむ。そうであろうな……。」
「あの西国の覇者大内家ですら、長尾家の相手にはなりますまい。余程の事がない限りは、このまま長尾家が天下を制しましょう。此処で、長尾家が西国の大国・大内討伐に動いた。その事実は、長尾家による天下統一を加速させる事となりまする。」
「うむ。大内が倒れれば、残る大国は阿波の三好、中国の尼子、九州の大友位であろうが、長尾と比するべくも無いか……」
「そうです。少しでも、長尾家に長曾我部家を高く売り付けるに、それ程時は残されておらぬのです。余り悠長な事を、言うておる場合では無いのです。」
「……お主の言は判らぬでも無いが、長尾家に話を付けずにお主を勝手に、春日山に送る訳にもいかぬぞ。長尾家は別に人質など求めておらぬだろうしの。」
「父上、長尾家に協力し、私を人質として送るだけでは足りません。長尾家の大内討伐に、土佐を通過する長尾家の水軍に便乗させて貰い長曾我部家として兵を出しましょう。数は300程で良いでしょう。余り、多すぎれば長尾家に迷惑が掛かりましょうし、その総大将に、私を任じて頂ければ長宗我部家の嫡男が同行すると為れば、長尾家も信用致してくれましょう。」
「300の兵では、戦で手柄を挙げる事は難しいぞ。」
「長曾我部家が、長尾方にて参戦する。その事実が大きいのです。その上で、長曾我部領を全て長尾家に託し、長尾家の直臣と成るのがよろしいかと。さすれば、長尾家も当家を無下には出来ませぬ。長曾我部家は他の諸侯や土佐の7雄に先んずることが可能となります。」
「ふむ。悪くない話じゃが……お主、まさか越後船に乗ってみたいとか、春日山に早く行きたい。とか、そんな理由で申しておる訳では有るまいな?」
ジッと息子を見詰める
「父上、私は真に、長曾我部家が事を案じて申し上げておりまスル。」
おい…どうして、目を逸らす?
まぁ……良いか。この乱世なら、この位が丁度良い。
後継者としては些か頼りない息子と思って居ったが、こいつは案外、化けるやもしれぬな。
こうして、土佐七雄が一角、長宗我部家の大内討伐参戦が決まった。




