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10-2



 ゼフィールは夜になると重いため息を吐きながらリズの部屋へと向かう。


 リズがどんな選択をしたのか考えるだけで胃が痛くなってくる。クロウの言うように、いっそのこと口説いてなし崩しに自分のものにしてしまう方がどんなに楽か。

 リズに懇願して結婚してもらうことは、おそらくそんなに難しい事ではない。気が優しい彼女が人の意見に流されやすいのは、エレノアに振り回されていた頃を思えば一目瞭然だろう。喋りは得意ではないが生まれ持った形の良い容姿を駆使すれば元々ゼフィールを好いているリズが頷くのは間違いない。


 しかし、ゼフィールにそれができないのは、やはりリズの両親を殺したという負い目があるから。そして愛している人が自分の側で徐々に病んでいくのを見るのが恐ろしいからだ。


 自分がリズを幸せにできる男だったらよかったのに。そう思ったのはもう何度目になるのだろう。


 扉の前に立つゼフィールは、コンコンと二回ノックをする。


「・・・はい」


 すぐに部屋の中から静かなリズの声が聞こえ、蝶番が軽い音を立てながらゆっくりと扉は開いた。


「今、いいだろうか」


 昨晩、ゼフィールとリズは今夜話をすることを約束した。ゼフィールは当然リズは頷くものだと思っていたが、予想に反してリズは申し訳なさそうに口を開く。


「・・・申し訳ございません。今、ちょっと体調が・・・悪くて・・・」

「大丈夫か?」


 見た限りでは顔色が悪いわけではなさそうだが、どこか思い詰めるような表情は他人から見ても苦しそうだ。リズのことだから考えすぎて具合が悪くなってしまったのかもしれない。


「はい、もう少し休みたくて・・・。陛下がせっかく足を運んでいただいたのに・・・」

「気にしなくていい。話しはまた明日でいいか」


 ゼフィールが訊ねるとリズはしばらく黙り込み、だいぶ時間をかけてからようやく頷いた。


「・・・はい」

「では、明日また来る。おやすみ」

「おやすみなさいませ」


 キキィと音を立てて閉まる扉。


 ゼフィールは深いため息を吐き出す。結局最後までリズと目が合わなかった。以前はリズが最初から最後まで視線を逸らすことは頻繁にあったが、ここ最近では目を見て話してくれる時もあるのに。


 まだ悩んでいるのだろうか。


 ゼフィールはしばし扉の前に立ち尽くすと、静かに踵を返して来た道を戻り始めた。



















 月が一番高い場所へ昇った時刻。

 目を開けたままベッドに横たわっていたリズは静かに起き上がって靴を履いた。薄い下着の上から簡易な服を着ると何も持たずに部屋の外へ出る。


 廊下にはいつも通り衛兵が警備についているが、お手洗いに行くのだと思っているのか声をかけてこない。リズは彼らに一瞬も目を合わせず、階段を降りて本城の一階へと向かう。


 管理室の前に居る衛兵は4人。彼らは夜間に何度も本の間の鍵を借りに来ていたリズを良く知っていたため、今晩も管理室に入って行くリズを見ても不審に思う者はいなかった。


「こんばんは」

「はい、こんばんは」


 管理室の扉を開けると、中にはひとりの年配の男性が新聞を読みながら対応した。


「本の間の鍵を借りに来ました」

「はい、どうぞ」


 既にリズにとっては勝手知ったる場所。男性もそれを分かっているので新聞から目を離すことなくリズに背を向け続けた。


 リズはチラリと男性の方を見て、こちらが視界に入っていないことを確認すると壁一面に並べられた鍵へと近づいた。本の間の鍵は手前側にあるが、リズの探している牢の鍵は部屋の一番奥の方。


 自然に取るには場所が悪い。しかしリズは音を潜めるでもなく、ごく普通に足音を立てて近づくと数ある牢の鍵からいくつか選んでポケットへ詰めた。こっそりではなく堂々と。

 普通に気づかれてもおかしくないほどの杜撰な犯行だが、男性は新聞に夢中なのか気づかない。


 リズは用を終えるとすぐに踵を返して出口へと向かう。


「ランタンお借りしますね」

「どうぞ」


 男性の目は新聞に釘付けでリズを一瞥もしない。リズはそんな男性を最後にちらりと見ると、静かに管理室を出て廊下を歩き出した。


 次に向かったのは管理室と同じく通いなれた厨房だ。奥の扉を通り抜けて地下へと向かい、食糧庫の中から保存の効きそうなチーズやハムを選んで、棚にあるバスケットの中へ雑に放り込んでいく。切り分けるためのナイフも忘れない。そして、バスケットの中を覆い隠すように綺麗な黒い布を上から被せると取っ手を握りしめて持ち上げた。少々重いが問題ないだろう。


 リズは片手にランタン、片手にバスケットを持って夜の城の廊下を歩き出す。その姿は不自然なはずなのに、リズの表情に緊張も怯えもなかったからか、衛兵の誰もがリズの行動を不自然だと感じなかった。


 それでも本城の外へ出ると灯りは目立つ。リズは膝をつくと、バスケットの食料にかけていた布をランタンに覆いかぶせて縛り上げた。黒い布に巻かれたランタンの光は遮られ夜の暗闇に溶け込む。


 外の手洗い場へと向かうようなフリをしながら、リズは生ぬるい夜風に吹かれて城の外周をグルリと回るように裏手へと向かった。


 しかし、そこで一番の難関が訪れる。ジェイスの指定した背の高い3本杉は城の砦の向こう側。侵入者が城内に入って来られないよう砦はリズの背の何倍も高さがある。登れない。例え登れたとしても向こう側へ無事に降りるのは無理だ。正式な出入り口はキングズガーデンと別棟を抜けた所にしかなく、馬でも使わなければ大変な距離になるだろう。


 リズはしばらく考え込んだ後、来た道を戻り始める。リズが探していたのは砦の中で積み上げられたレンガが一部崩れて穴になっている場所。大型の犬が通れるくらいのわずかな隙間だが、リズはその穴をじっと見た後、バスケットとランタンを先に押し込んで向こう側へと追い遣った。砦の厚みはリズの腕の長さとちょうど等しいので、腕を突き出し思いっきり奥に押し込んで。


 ランタンとバスケットの両方を砦の外へ投げるように追いやった後、リズはその小さな穴に頭から突っ込んだ。彼女の細く華奢な体でもギリギリの大きさしかなく、身を捩るように捻りながらのそのそと突き進む。時に遅々として進まず腰が引っかかって足をバタつかせることもあったが、リズはなんとか穴から脱して砦の外へ出ることができた。もちろん着地は頭から転んで様にはならなかったが。


 土だらけになったリズは手で頭や服についた土を払い、地面に転がっていたランタンとバスケットを手に取る。高い砦と木々で月光が遮られて暗かったために灯りが必要になってランタンに巻いていた黒い布は取った。


 三本の高い杉はすぐ近くにあった。中央にある像は所々が欠けていて元の形を想像しづらいが、羽のようなものがついているのでかろうじて天使だと分かる。

 石造りの像は重く、リズの細腕で動かすのは本当にギリギリだった。体重をかけて思い切り押すと横にスライドして地下に続く道が現れ、その穴の暗さにリズはランタンの明かりで中を照らした。


 ―――梯子がある。自分に降りることができるだろうかと不安になったが、ここには助けてくれる人も代わりになってくれる人もいない。自分が行くしかない。


 不安になりながらもリズはランタンとバスケットを握り直して梯子の一番上の段に足を掛けた。





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