10-3
ポットはリズが毒を飲んだことで散々ゼフィールに叱られた。そもそも毒味役がラスター家に出入りしていることを突き止められなかったのが悪かったのだが、ジェイスの調査にあたっていたのは他のお庭番たちであってポットではない。ただのリズの見張り役でしかないポットはちょっと理不尽に思ったが、彼女を守り切れなかったのは事実なのでお叱りは甘んじて受け止めた。
窓際に座込みリズの寝顔を見てため息を吐き出すポット。婚約者に裏切られ、行き場を失った苦しみは相当深いはずだ。それでもゼフィールの危機に身を挺して庇い、気丈に振る舞っている彼女はとても頑張っていると思う。
ポットはそのままぼーっとしていたが、急にリズが寝返りを打ったため窓から外に出た。姿を見られるとまずい。
窓の桟に手をかけて宙に揺られるポットは体を持ち上げてこっそりと部屋の中を覗く。リズは寝返りを打った後、ゆっくりと起き上がって靴を履き始めた。
(やっぱ目を覚ましたか。危ない危ない・・・)
そのままお花を摘みに行くものと思っていたが、彼女が向かった先は管理室。この時間に本かよ、だなんてポットは少し呆れながら見守っていたが、鍵を持って管理室から出て来たリズは本の間ではなく厨房へ向かって行った。
一体何事かと不審に思いつつ事態を深刻だと感じなかったのは、リズがいつも通りの表情で緊張している様子が全くなかったから。
ポットだけではない、本城の衛兵たちもみんなリズがどのような人物かを知っている。彼女は真面目で大人しく、みんなの意識の中にリズは大それたことをできる人ではないという強い大前提があった。ちょっとしたことで怯える彼女が堂々と厨房の食料を漁っているのだから、お腹が空いてしまったのだろう、とそれくらいにしか考えていなかったのだ。
雲行きが怪しくなってきたのは、リズがランタンとバスケットを片手に外を歩き始めたところから。
こんな時間にピクニックか!?と仰天したポットは音を立てないように彼女の後をつけていく。丁寧にランタンに巻かれた黒い布は見事に灯りを隠していて、見回っている衛兵たちはリズに気づかずに何人もすれ違う。
そしてとうとう、彼女は砦に空いた穴に体を突っ込んで城からの脱出を謀りはじめた。
さすがにポットも真っ青になる。あれはお庭番が手紙や物をこっそり受け渡しするために空けていた穴だ。人が通るなんて全く想定されておらず、まさかあの穴から出入りしようとする人物が現れるなど、ましてやその人物があのリズだなんて予想できるはずもなかった。
華奢なリズはなんとか無事に穴を通り抜けることができ、ポットは慌てて砦の向こうへと急ぐ。早くしなければリズを見失ってしまうかもしれない。それだけは絶対に絶対に避けなければならない。
次、リズに何かあれば、今度こそポットの首は飛ぶだろう。
ポットは鉤縄を投げて砦のてっぺんに引っかけると急いでよじ登り、砦の上から走って遠ざかっていくリズの姿を確認する。
(やばっ・・・!)
ポットは更に慌てて下へと降りるとリズの後を追いかける。
そしてたどり着いた地下へと続く穴の中へ入って行くリズを見て、ポットの顔面は蒼白になり慌てて城へと引き返した。彼女が何をするのかはわからないが嫌な予感がする。ポット一人の手には負えないかもしれない。
城に詰めていた仲間を呼んで再びこの場へと戻ってくるまで約5分。
地下は完全なる暗闇だが明かりを灯せばリズに気付かれる可能性があるので使えない。明かりなしのまま手探りで入ろうと試行錯誤しているうちに、奥の方から何かの音が聞こえてきて慌てて引き返した。
木陰に身を潜めていると、地下から出て来たのはリズと―――ジェイスだ。
即座に取り押さえようとしたお庭番の仲間を制止する。
「やめろ、待ってくれ」
「何言ってるんだ、すぐに拘束しなくては」
リズに聞こえないよう小声でぼそぼそと喋るポットは仲間に向かって首を横に振った。
「今捕らえようとすればジェイスが彼女を人質にしかねない」
「問題ない、罪人だ」
「駄目だ」
リズに傷一つつけてはならない。例え罪人だとしても、彼女を裁くとしたらそれはお庭番ではなくゼフィールだ。ポットの任務はリズを無事にゼフィールの元へ返すこと、そしてジェイスを捕らえることはその次。
納得しない仲間を説得する。
「二人が距離を取った隙を狙う。だからそれまで潜伏しよう。一応国境の警備隊へ連絡を」
間違いなく二人が目指しているのは国外だと判断し、仲間はしぶしぶながらも頷いて連絡のために遠ざかっていく。
ポットは大きくため息を吐いた。まさかリズがジェイスと逃亡しようとするなんて誰が想像できただろう。おそらく地下牢でリズとジェイスが接触した時にやり取りをしたのだろうが・・・。
一体、彼女は何を考えているのか。
ポットは再び重いため息を吐くと、息を殺してリズとジェイスの行く先を追った。
リズはゼエゼエと肩で息をしながらジェイスに手を引かれるままについて行った。しかし体力のないリズの足はやがてまともに動かなくなる。
「待ってください・・・待って・・・」
膝に手をついて荒い呼吸を繰り返すリズ。ジェイスは辺りをきょろきょろしながらリズに小声で話しかけた。
「もうちょっと頑張って!早くしないと追手が来るから!」
「・・・っ」
森の中は草を掻き分けて歩くだけでも体力を消耗する。しかもリズはここへ来るまでに地下で梯子や階段の登り降りもしており、普段から運動不足の身ではもう限界だった。
リズは焦っているジェイスへ申し訳なさそうに顔を上げて言う。
「すみません、少し・・・休憩させてください・・・」
本当に限界なのだと悟ったジェイスは再びきょろきょろすると大岩の近くへリズを誘導した。着くなり倒れ込むように膝をつくリズにジェイスは彼女の顔を覗き込む。
「ごめんね、昼までにこの山を越えてしまいたいんだ。ニトルの町まで行けば知り合いがいるから、そこでゆっくり休めるからね」
「今、私たちはどの辺りにいますか?」
「ちょうど今から山を下るところだよ、ほら」
ジェイスが指さした先には、木々の隙間から陽が登る前の薄明りに照らされている首都の一角が見えていた。ずいぶん高いところまで登ったらしく、見晴らしがよいところを探せば街を一望できそうだ。
「そろそろ陽が登りそうですね・・・」
リズはぼんやりと言ってから思い出したように手にしていたバスケットを持ち上げた。
「軽く朝食にいたしましょう」
「でも、リズ・・・」
「食べなければ歩けませんから。ジェイスお兄様も牢の中ではあまり良い食事は出なかったでしょう?」
ジェイスはしばし黙り込んだ後、しぶしぶと言った様子で頷いた。リズはバスケットに被せていた布で手を拭くと、ナイフを使ってハムとチーズを綺麗に切り分け始める。
「昔もこうやって一緒に食事をしましたね・・・」
「そうだね」
懐かしいな、と言うジェイス。
リズは切り分けたチーズとハムをパンに挟むとジェイスに手渡し、ジェイスはお腹が空いていたのか受け取るなり豪快に齧りつく。
リズも自分の分のチーズを切り分けると、途中で作業を止めて手を膝の上に置いた。
「・・・私、大馬鹿者ですね」
脱獄を幇助することがどれほど重い罪になるのかリズは知っている。自分がとんでもないことをしているという自覚はあった。
「大馬鹿者じゃないよ。これは生きるための逃げなんだ。必要なことなんだよ」
「・・・」
リズは無言で東の空を見上げる。木々の隙間から僅かに見える、ジリジリと音がたちそうなほど眩い太陽の一片。まだ白く淡い光は日中よりも穏やかな強さで街を徐々に照らしていく。
「ジェイスお兄様と一緒に見られましたね、朝日」
「うん、残念ながらあの丘ではないけど」
「ええ・・・残念です、本当に・・・」
目からボロボロと涙を流しはじめたリズに、ジェイスは神妙な面持ちで彼女の頭を撫でる。
「もうあの約束は果たせないのですね・・・」
「ううん、オストールにはまた来られるよ。国外でたくさん仲間を集めて今度こそゼフィールを討とう。そうしたらいつかきっとあの丘に行けるから」
あの丘で一緒に朝日を見よう、と言うジェイスに、リズはすぐ首を横に降った。
「いいえ、これが最期です」
「諦めないでよ。リズが居ればきっと・・・」
ジェイスは自分の体の異変にポカンと口を開けた後、ゆっくりと首を下に動かして己の腹部を見た。
「えっ・・・」
―――リズの手にあったナイフが、己の腹に刺さっている。
「え」「え」と何が起こったのか理解できないジェイスは目を大きく上けてリズを凝視した。
リズは目から涙を流し続けながらも、ジェイスの腹に刺さったナイフから手を放そうとしない。
「ごめんなさい・・・」
「なん」
刺さった所からツラツラと流れ出る赤い血。リズの手を濡らすそれはまだ生暖かく、ジェイスの体温が感じられる。
「ごめんなさい・・・ジェイスお兄様・・・」
そしてバタリと倒れるジェイスの体に、リズはナイフを握ったままジェイスの上へ倒れこむように覆い被さる。
「ごめんなさいっ・・・」
返事はもうない。





