4-1【使命か罰か】
胃袋作戦が成功して気を良くしたエレノアは毎日のように厨房へ出入りすることになった。手紙作戦も割と順調で3往復目を果たしているのだが、やはり直接顔を合わせて食事をするのが仲良くなる一番の近道だと思ったのだろう。
肝心のゼフィールはとても嫌そうな顔をしながらも、彼の側近に連れられてしぶしぶお茶会の場へ顔を出すようになった。ただし彼はできるだけ料理を早く平らげて、できるだけ早く去ろうとする。その間懸命に話しかけてくるエレノアは無視しているのだが、まあ彼女の手料理を食べているので最低限の接触ははかっていると言えよう。
エレノアはゼフィールに毎日会える上に自分が作った料理を食べてもらえてご機嫌だ。そしていつの間にか、エレノアがゼフィールの隣で飲食をするようになり、自然とクロウとリズも着席して同じテーブルを囲う、というリズにとってはとんでもない習慣が出来上がってしまったのだった。
ちなみに、エレノアに付き合ってリズはあれから何度か料理に挑戦したものの、無事に食べられそうなものが出来上がった試しはない。変な色の煙を上げたり、砂糖を入れたはずなのに何故か酸っぱかったりと、結果は散々。
「リズったらまた失敗したのよ~」
お茶の席で大きな声で言うエレノア。悪気がないのは分かっていたが、居たたまれないリズは背中を丸くして小さくなるしかなかった。
「お嫁に行くまでになんとかしないとね!次に挑戦するのはシフォンケーキなんてどう?」
「そんな・・・私はもう・・・」
隣に座るエレノアに聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟くリズ。
「せっかくプロに見てもらえるんだもの。不得意なものは今のうちにチャレンジすべきよ!」
正論である。しかし正論がいつも正しいとは限らないのだ。毎日エレノアに授業をサボられ、苦手な料理に挑戦して撃沈し、さらにはゼフィールと同じテーブルを囲わなくてはならないリズの精神的負担は尋常じゃない。
苦手を克服する良い機会なのは確かだが、これ以上は自分を追い詰めたくなかった。
「でも・・・毎回捨てるのは本当に忍びなくて・・・」
当然ながら調理に使うのは城の材料だ。そもそも毒の混入などの危険から、食材を仕入れる担当の者以外は口に入れるものは城内に持ち込んではならないという厳格な決まりがある。なのでもちろん使うのは厨房の食材、材料代は税金である。エレノアが居る間は厨房を使えないシェフたちにも申し訳ないし、税金を使ってせっせとゴミを量産しなければならないのもリズにとっては胃が痛い。
「捨てる?なぜ」
珍しいことにゼフィールが口を開いた。その目は純粋に疑問だ、とでも言いたげ。
クロウはため息を吐いて横から口を挟む。
「食べられないからでしょ」
「俺は食べる」
「あなた以外は食べられないんですよ」
そうか?とゼフィールは表情で語る。彼は確かに言葉が少ないが、おおよそは表情で何を考えているのか分かることをエレノアとリズは短い期間で理解していた。
「だってほら、陛下は味覚オンチだもの!」
晴れやかに言うエレノアに決して悪気はない。
「・・・味覚はある」
「それが狂ってるんでしょう?」
「ですね」
散々な言われ様である。
ゼフィールはむすっとしながらも、今日もできるだけ早く皿を空にしようと素早く手を動かし咀嚼を続けた。
ゼフィールがリズの料理が捨てられていることを知って以来、ポットの仕事はまたひとつ増えた。厨房に忍び込みリズの作った食べられない何かを回収し、こっそりと王の執務室に持っていくこと。
国の為のお庭番だというのに完全に私的利用されている感が否めないポットは、城の一角から執務室に居るゼフィールを窓越しに眺めていた。何故か緑に変色しているリズ作のシフォンケーキを美味しそうに頬張っている。
主の胃が心配になるほどの作品を作り上げるリズは、城へ来てからはかなり大変な目に遇っている。初めてゼフィールが接触した時なんて、その場で気絶してしまわないか心配になるほど真っ青な顔をして震えていた。あれが彼女にとって最大の修羅場だっただろう。結局心配は杞憂に終わったがあの時は本当に見ていてヒヤヒヤした。
さらにエレノアの無駄な行動力に巻き込まれている彼女は、毎日不憫になるほどエレノアに振り回されていた。強く断れないリズは文句を言うこともできず、エレノアが迷惑をかけた各方面にエレノアの代わりに頭を下げ続けている。
今日もお茶会の後で庭の散歩に付き合わされ、エレノアが刈り取ってしまった花を見て庭師に謝りに行っていた。ここまで来るとただの保護者か。
かわいそう、とポットは憐れまずにはいられない。
リズ・ベルモットという人物は、基本的に損な役ばかり回ってくる。行きたくもない城で働かなくてはならなくなり、会いたくもないゼフィールと会わなければならず、エレノアの尻ぬぐいをさせられている。もちろん尻ぬぐいは強制されていないが、エレノアがこれくらいいいでしょと楽観視して捨て置くものを、繊細な彼女はどうしても気になってしまうのだろう。わざわざ問題を拾い上げ、エレノアの代わりに頭を下げて謝り倒している。ろくに他人に話しかけることすらできなかった彼女が知らない人に頭を下げて謝っているのだから、悲しいのか喜ばしいのか、ポットはこれもひとつの成長かと温かい目で見守った。
そして一番リズという存在を危惧していたクロウ・ベレーはリズの行動を静観しているようだった。警戒しようとしてもゼフィールに会って子ウサギのようにブルブル震えているリズを見たら警戒心も薄れるというもの。今のところ脅威になり得ない、と彼は判断したのだろう。リズを排除しようとするような動きはまだない。
ただ、リズはよくてもゼフィールは警戒すべき対象だ。
彼がリズを構わないのは彼女を気遣ってのことだとクロウも気づいていた。匿名とは言えど内密に手紙のやり取りをし、彼女の作った料理と言えない何かを喜んで食べているのだから、さすがに勘の良いクロウが気付かないはずがない。
しかし、ゼフィールも立派に成人した大人。このままリズが何事もなく勤めあげ、城から去るのが彼女にとって一番幸せなのだとゼフィールは分かっている。だから必要以上に関わらないのが最善だと理解しているし、クロウもそれを分かって警戒はしていてもリズに関して何か苦言を呈すようなことは無いようだった。
もちろんリズ作の料理とは言えない何かを食べるのには文句を言っていたけれど、これは仕方がない。誰でもオストール国王の胃が心配になる。
ただ苦言を呈するまではなくても、クロウがゼフィールを警戒しているのは感情が当人の思い通りにいくものじゃないと知っているからだ。もし感情のたがが一度外れたなら、雪崩を起こすように大きな波が押し寄せて全く歯止めが利かない状態になることだってあり得る。
だから、怖い。ゼフィールが最後の一線を守りきれるのかどうか、ポットにとってはもっぱら警戒すべき事項だ。クロウはきちんとゼフィールが己を制御できると信じているようだが、ポットはそこまで信じ切ることができなかった。
だって、かなり追い詰められている。
ゼフィールが誰も居ない部屋でリズの手紙を眺め続けていることを知っているのはポットただ一人。日に日にその手紙を見つめる視線には熱が籠り、深くなっていく眉間の皺からは彼の苦悩が手に取るようにわかった。自分が殺した男の娘を大事に思っているなど、誰にも理解できない感情を1人抱え込んで、ゼフィールはなんでもないふりをしながら日々を過ごす。
だけど人間には限界がある。ゼフィールの感情に歯止めがかからなくなる日がいつ来てもおかしくない。それはきっと、クロウが思っているよりもずっと深刻だということは間違いなかった。





