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「私、やっぱり陛下に会いたいわ」
何度かの手紙をやり取りした後、仲が進展しないことに焦ったのかエレノアは突然そんなことを言い出した。短くそっけない返事で満足できなくなるのは時間の問題だと思っていたリズは頷く。
「はあ、どうすればいいのかしら・・・」
本の上に覆い被さるように突っ伏し、切ない溜息を吐くエレノア。
会いたくても手段がなく、伝言を頼むことができず、苦肉の策として手紙を思いついた。その手紙で苦戦しているのだから、ここはもっと画期的なアイディアが欲しいところ。
リズもエレノアと同じようにうむ、と考え込む。
「・・・夜這い?」
ボソッと呟かれたリズの言葉にエレノアはぎょっとして目を見開く。
「夜這い!?リズったらどこでそんな知識仕入れて来たの!」
いいところのお嬢さんでしょ!?とエレノアは驚く。リズは自分で言って恥ずかしくなったのか、頬を赤く染めて元々小さな声が更に小さくなった。
「いえ・・・そういう小説があったなあと思いまして・・・」
「夜這いだなんてどんな小説よ」
「翻訳の仕事をしていたものですから・・・成人向けの本もあったので・・・」
少々勉強しました、とリズ。仕入れたくない知識も仕事のために仕入れざるを得なかった。今では同じ年ごろの女性よりも経験はないのに知識だけは豊富になっている、という残念な状態だ。
「夜這い・・・は無理だけど・・・」
行き成りの夜這いはぶっ飛んでいるが、エレノアは方向性としては案外悪くないかもと思い始める。
「なるほど、不意打ちを狙えばいいのね。待ち伏せとか」
「そんな、一国の王女が待ち伏せなんて・・・」
そこまでさせるのはオストールの人間として申し訳なく思うリズは、オロオロしながら何かいい案はないかと改めて考えた。
「例えば、陛下に近しい方に協力していただくとか・・・」
「なるほど、敵の中にスパイを送り込む要領ね」
もちろん違うが、訂正するのは大変なのでまあそんな感じだとリズは頷く。ゼフィールに近しい人ならばいつどこに現れるのか見当がつくだろうし、そこで鉢合わせるという偶然を装えるだろう。
ただし問題は、そのゼフィールに近しい人とそもそも出会う機会がないということ。リズが初日に出会ったアンリエッタならばと思ったが、リズはあれ以来アンリエッタの姿を見ていなかった。
そうねえ、とエレノアは腕を組んで窓の外を眺める。
「じゃあ協力者が必要ね。まずは外堀から埋めるってやつだわ」
「はい」
「そのためにも待ち伏せね!」
「はい・・・・・あ・・・・・」
リズは反射的に頷いてしまい、その後に思わず頷いてしまったことを後悔する。待ち伏せを避けるために協力者に依頼しようということになったのに、その協力者を得るために待ち伏せすることになるとは本末転倒だ。
今からでも止めた方がいいのか迷ったが、エレノアはもう既にやる気満々で何も言い出せなかった。
キングズガーデンは別棟と本城の間にある、いわば大きな外廊下でもある。本城に行くために通らなければならない場所。ここならば本城で働く者たちが多く行き来するはず。
エレノアはオペラグラスを片手に茂みの中から中央広場の中道を見張っていた。何故かリズも引き連れて。
「なかなか居ないものねえ」
リズは何度も遠慮したのに、「友達でしょ!」の一言で無理やり引っ張られてきてしまった。友達になった覚えはないが、腕を掴まれたので逃げようもなく・・・。
抵抗を諦めて茂みの奥に隠れながら、誰か通るまでエレノアの暇潰しにと話し相手を続けている。
「リズは教師になるくらいなんだから語学が得意なんでしょう?」
「・・・はい、唯一の特技、です」
「へえ。何か国語話せるの?」
「七か国語・・・でしょうか」
エレノアはポロリとオペラグラスを落としかけて慌てて拾う。
「なな・・・?」
「翻訳できるのはそれくらいで・・・」
「それくらいって、とんでもないわよ。どれくらい勉強したの?」
リズはエレノアの質問に首を傾げた。物心ついた時から机に縛り付けられみっちりと仕込まれていたため、どれくらい勉強したのか言葉にするのは難しい。
「小さい時は朝から晩まで勉強漬けでしたね」
「厳しいご両親なのね」
リズは両親の顔を思い出して小さく微笑んだ。確かに勉強に対しては厳しく中々外で遊ばせてもらえなかったが、愛情をたくさんもらったことも覚えている。彼らはいつも「大好き、可愛い」と言ってリズの頭を撫でてくれるような人だった。夫婦の仲も良く、おやすみといってらっしゃいの前にはキスを欠かさなかった。まさに理想の家族像を体現したような素敵な家庭だった。
「勉強以外はそうでもありません。それに、私は外が苦手だったので勉強もあまり苦ではありませんでした」
「あー、私正反対だわ」
クスクスと笑うエレノアにつられてリズも笑う。
「うちは割と小さな国だから、両親共に勉強には厳しくなかったのよ。わんぱくでいい、元気に育てって言われて山の中駆けずり回ってたわ」
エレノアを見ていたら自由に育てられたのだろうとすぐに分かった。元気で活発で肝が据わっており、王女とは思えないほど行動力がある。無いものねだりかもしれないが、リズはエレノアの逞しさが羨ましい。あと、豊満な胸も。
「なのにいきなりオストール国王と結婚しろー、ですもの。参っちゃうわ。こっちは色気も知識もないっていうのに」
「色気は・・・ありますよ」
リズは勇気を出して素直な感想を言った。エレノアの発育の良い体は男性なら誰しも一目置くだろう。
エレノアは嬉しかったのか目を輝かせる。
「え?ほんと?」
「はい」
「嬉しい!私ね、祖国では野猿って言われたから―――」
「・・・っ!」
話の途中だったが、リズは人の気配を感じてエレノアのよく動く口を手で塞いだ。せっかく身を隠しているのに声を出していたら見つかってしまう。
突然口を塞がれたエレノアはきょとんとしたが、誰かが近づいてくる足音に気付いて素早くオペラグラスを構える。本日の目的、協力者になりそうな人が来たのかを確かめるためだ。
一体誰が来たんだろうかと、エレノアはワクワクと期待に胸を膨らませている様子。
「―――本日は祝日の公務を前倒しにしていただきます。ドゥーベの使いがお目通り願いたいと連絡が来ておりますが」
「官を行かせて後で報告書を出せと言っておけ」
「いいんですか?ドゥーベ家ですよ?」
「構わない」
(うそ・・・っ!)
声を聞いただけでわかった。リズはとっさに頭を抱えて体を小さくすると、ぎゅっと目を固く閉ざす。
接点がないから大丈夫だなんて考えが甘かった。城に居るからにはいつかすれ違うこともあるのではと思っていたが、こんなに早く出会してしまうなんて。
―――キングズガーデンを横切っている金髪の青年の姿に、その正体に気が付いたエレノアは飛び上がった。
「わっ!本物!?」
信じられない!やったあ!と飛び跳ねて大喜びするエレノアに、本城への移動中だったゼフィールとクロウは首だけを動かしてエレノアを見た。
エレノアの異国然とした容姿にすぐに正体を悟る二人。先に声を上げたのはクロウだった。
「エレノア王女でいらっしゃいますか?」
「はい!もちろん!初めまして!」
エレノアは茂みから飛び出し、両手を胸の前で組んでずずいっと身を乗り出した。裏表のない明るい笑顔はもちろんゼフィールへと向いている。
半ば仕組まれた出会いにゼフィールは片眉を潜めてエレノアを見下ろした。
「・・・・」
無言。
手紙がそっけないのであまり期待していなかったエレノアは、ただ会えただけで嬉しくニコニコ笑い続ける。
嫌そうに顔をしかめるゼフィールと笑顔のエレノア。そのまま膠着状態が続くと思いきや、クロウがごほんとわざとらしい咳をひとつして口を挟んだ。
「これはこれは、お初にお目にかかりますエレノア王女。ご存知でしょうがこちらはゼフィール・クラネス陛下であらせられます。私は王佐のクロウ・ベレーと申します。
こんな所で偶然お会いするとは、運命を感じますね」
「あ!偶然じゃなくってここで待ち伏せしてたのよ!リズと一緒に!」
エレノアは大きな声で馬鹿正直に答える。
リズは茂みの中で蹲りながら隠れていたが、まさか自分の名前が話題に上がるとは思わず、急にこの状況が怖くなってきて震え出した。もしここで姿を見られたら、そして仮面パーティーで会ったことに気付かれたら、一体何を言われることか。
激情のまま名前も見知らない男と口づけてしまったことを再び深く後悔する。あの一件さえなければここまで怯えることはなかったのに、と。
リズは絶対にゼフィールに見つかりたくなかった。そしてあの口づけの件を蒸し返されたり、出自がバレるような真似は絶対に避けたかった。
しかしここで立ち上がって逃げると姿を見られてしまう。リズは震えながら何事もなく彼らが通り過ぎてくれることを必死に祈ることしかできなかった。
どうかこのまま、興味を持たないでどこかへ行ってほしい。
「リズ?リズ・ベルモットですか?」
しかし非情なことに、リズの名前はクロウによって繰り返されてしまう。
願いはあっさりと砕け散り、一段と大きく震えあがったリズ。
「そう!友達なの!
リズー!リズー!陛下よ!本物!」
おいで!と何も知らず大きな声でリズを呼ぶエレノア。
このままではゼフィールらの前に引きずり出されかねない雰囲気に、リズは四つん這いになったまま這うように別の茂みへと移動した。四肢は震えて頼りなかったが、ゼフィールと顔を合わせる恐怖の方が勝ったらしい。プルプルと情けなく震えながらもなんとか遠くの茂みまで移動することができた。
遠く、と言っても声が届かないほど遠ざかってはいないので、エレノアの「あれ?」という声が聞こえて来る。
「いない!さっきまでここに居たのに!」
先ほどまで隠れていた場所を見て首を傾げるエレノア。
無言を貫いてエレノアを見ていたゼフィールは、急に興味を失ったように止めていた足を再び動かして本城へと向かい始めた。慌ててクロウが制止の声をかける。
「陛下!お待ちください!」
「あっ!待ってー!せっかく会えたのに!」
気付いたエレノアも慌ててゼフィールの後を追う。ゼフィールに纏わりついているのだろう、そのまま騒がしいエレノアの声はゼフィールの姿と共に徐々に遠ざかって行った。
少し経って、ようやく誰の声も聞こえなくなったリズは大きく息をする。
危なかった・・・。あのまま隠れていたらエレノアに無理やり腕を掴まれて立たされ、ゼフィールの前まで引きずるように連れて行かれていた。ここへ来た時のように押しの弱いリズが拒否するのは難しかっただろう。
エレノアは明るくて良い子だが少々粗雑な人だ。行動力がある上に、リズを悪気なく巻き込んでくるので恐ろしい。この調子で三か月後、果たして無事でいられるのかどうか。
未だに震えが収まらないリズはバクバクと大きな音で鳴る心臓を押さえながら、何度もその場で深呼吸を繰り返さなければならなかった。





