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3-2



 エレノアの語学の知識はすっからかんだった。今まで一体何語を勉強していたのか尋ねれば、元気よく「わからない」と返事をもらった。リズは色々と腹を括って、子どもでも分かる文字を難問だと唸るエレノアに、一文字づつ丁寧に教えていく。


「難しいわ。手紙は古語でなくてはだめ?」

「古語は・・・とてもロマンチックな言葉です。恋を詠んだ有名な詩がたくさんありますから。オストールの上流階級の人間は大好きだと思います。

少なくとも、一生懸命に古語で書いた手紙は微笑ましいですし、アプローチするには最適かと・・・」

「なるほど!」


 エレノアはいささか乗せられやすい人だった。


 しかし文字と文章の練習ばかりではいつまでたっても手紙は出来上がらない。そこでまず内容の草案を作るためにエレノアはアイディアを箇条書きし始めた。


「何を書けばいいのかしら」

「・・・初めてですから・・・挨拶とか、自己紹介とか」

「なるほど、自己紹介」


 かきかき、と“挨拶、自己紹介”という現代の文字が紙に書かれる。


「他になにかないかしら。こう、ちょっと目をひくような。こいつ普通じゃないぞ!って思わせるような・・・」

「季節のことばはいかがですか・・・?」


 エレノアの言う「普通じゃないぞ」はリスキーだったため、リズは無視してあくまで無難なものを提案する。エレノアは却下せずに素直に“季節のことば”と書き加えた。


「あまり長くなっても書くのが大変よね」


 小さく頷くリズ。


 エレノアは文を考えるために新しい紙を取り出し、ペンを手元でくるくるさせながら考え込んだ。


「拝啓?拝啓って古語あるのかしら」

「ありますよ、もちろん。でもまずは現代語で書いてから訳しましょうね」

「そうね。拝啓、ゼフィール国王陛下・・・。初めまして、私はエレノアといいます、まる。」


 エレノアの幼い子どものような字にリズの頬の筋肉が少しだけ緩む。歳は変わらないがまるで幼い妹を相手しているような気分になって、失礼ながら可愛らしく思ってしまった。


「私の髪は赤いです。目は茶色です。ゼフィール様の髪と目の色はなんですか?知りたいです。」


 既に翻訳後のような文になってしまっているのはご愛敬だ。これもエレノアの個性だろう。


「こんなんで気が引けるかしら?」


 文を眺めながらそんなことを言うエレノア。誘いの返事もなく伝言すら受け付けてくれないゼフィールに、この手紙はどこまで通用するだろうかと首を傾げる。


 提案したリズもゼフィールの人となりを知らない為、答えは分からなかった。エレノアは疲れたのか小さくため息を吐いてテーブルへ突っ伏す。


「男の人って何が好きなんだろう。リズは男性とお付き合いしたことあるの?」

「いえ・・・まったく」

「でも好きな人くらいいるでしょ?」


 エレノアは追撃を止めない。ニヤリと笑い、テーブルに突っ伏したまま下から覗き込むようにリズを見た。


「いいえ・・・それが・・・いません、ごめんなさい」

「えー?ほんとー?」


 結婚してもいい歳なのに浮いた話ひとつないというのも不自然な話。エレノアは身を屈めながらぐいぐいと近寄ってくる。


「じゃあ気になる人はいるでしょう?」


 何かしら彼女の満足する答えが来るまで許してくれないらしい。リズは困ったような顔をして狼狽える。


「いえ、いえ、そんな・・・。気になる人ですか?」

「そうよ。ちょっとかっこいいなあとか、素敵だなって思う人が人生に一人や二人はいたでしょう?」

「それなら・・・初恋?の方なら・・・」


 そういうのを待ってたのよ!とエレノアは急にしゃきっとなって指をパチンと鳴らした。


「ほら来た!白状なさい!」


 見事な食いつきっぷりに、これは正直に話すまで許してくれなさそうだとリズは苦笑して話し始めた。


「昔、知らない男の子に薔薇をもらったことがあったんです。広い・・・お庭のパーティーで迷子になって泣いている時に」

「へえ、なんていう人なの?」

「名前は聞かなかったのでわからないままです。どんな姿だったのかも忘れてしまっていて」

「えー?もったいないわ、せっかく素敵だと思える人に出会えたのに!」


 リズは頷いた。しかし、子どもの頃の淡い初恋などそんなもの。髪の色も目の色も忘れてしまったけれど、薔薇をくれて嬉しかった時の気持ちはちゃんと覚えている。


「何か手がかりはないの?」

「手がかり・・・、お手紙、なら」

「手紙ですって!?」

「あ・・・でも、事情があって名乗れないそうなので、手がかりにはなりませんが・・・・」


 リズは正直に黒薔薇の文通相手のことを話した。リズは文通相手がゼフィールであることを知らず、人に隠すようなことではないと思っていたからだ。むしろ優しくて理知的な文通相手、更にはそれが初恋の人という運命的な巡り合わせは、誰かに自慢したいとすら思っていた。今までは友人がいなかったため話す機会に恵まれなかったが、エレノアならば聞いてくれるだろうとリズは積極的に打ち明ける。


「ある日突然手紙が届いて・・・、それからはずっと文通をしています」

「なんでその手紙の相手が初恋の人だってわかったのよ。名前もわからないんでしょ?」


 最もなエレノアの問いに、リズはエレノアが書き込んでいた紙に横から薔薇のマークを描いた。いつも手紙の封蝋に使われている紋様だ。


「手紙の封蝋が黒い薔薇なんです。昔もらったものも黒い薔薇だったから・・・」

「うーん、それだけで初恋の人だって断定できるかしら」

「断定は・・・難しいですが。でも黒い薔薇は本来は縁起の悪いものなんです」


 黒い薔薇は葬送に使用されることから人に渡すのは忌避される。花言葉も“恨み”や“呪い”などおどろおどろしいもので、手紙の封蝋に使用されるなんて普通は考えられない。


「だから、黒い薔薇には意味があるものだと考えたんです。最初は私のことを恨んでるのかなと思ったんですが、内容はとても優しくて・・・」

「他に黒い薔薇で思い当たるのは初恋の相手しかない?初恋の人がくれたのが黒い薔薇だったから?」

「・・・はい」


 薔薇を貰ったのはキングズガーデンだった。また、文通相手もベルモット家でお世話になるまでの事情を知っていた。つまり、どちらも貴族階級の人間でリズの出自を知っている人物。そしてどちらも男。初恋の人と文通相手の共通点は多い。


 へえ、と面白そうに口角を上げるエレノア。


「名前聞いちゃえばいいのに」


 リズはすぐに首を振った。


「事情があるそうなので・・・無理を言って嫌われたくないから」

「今でもその人のこと好きなの?」

「さあ・・・どうでしょう・・・」


 ぼんやりと宙を見ながら考える。恋と言えるような明確な感情ではない気がするが、リズは彼のことを心から信用しているし尊敬もしている。


「好きな人・・・というよりは、神様?」

「神様ー!?」


 予想外過ぎる答えにエレノアは驚きの声を上げる。リズは恥ずかしかったのか手で赤くなった顔を半分隠しながら付け加えた。


「思い出の人で、救ってくれた人だから・・・。それくらい私にとって凄くて大事な人って意味です」

「可愛いわねえ。

そうそう、私こういう話したかったのよー」


 乙女と言ったら恋バナ!とエレノアはケラケラといたずらっぽく笑う。


「ねえ、私の初恋の話も聞いてよ!昔ね―――」


 エレノアの長話にリズは笑顔で精いっぱい相槌を打ち続ける。しかし心の中では、このままじゃいつまでたっても勉強にならない、と出来上がる気配のない書きかけの手紙を見て焦っていた。





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