第86話 国巻の星
嘗て、星飛馬という男が国巻高校サッカー部にいた。
彼は名前が表すように、野球好きの両親の下に生まれる。
飛馬は両親の思いに答えようと、小学校1年生の頃から野球を始めた。
しかし、両親の期待に反して、彼はその球技において才能を見い出せなかった。
彼は極端に不器用だったのである。
バットは中々ボールにミートせず、落下点に入っても上手くキャッチが出来ない。
挫折するまでに3年もかからなかった。
だが、彼は新たな挑戦を開始する。それがサッカーだった。
持ち前の不器用さは目立つが、身体能力が低い訳では無い。寧ろ同学年の平均よりも身長も速力も高かった。
そんな彼が行き着いた場所は、サッカーの守備的ミッドフィルダー【ボランチ】である。
激しい上下運動を繰り返し、全力で集中すれば及第点の精度で出せるパスを駆使し、後方から味方を激しく鼓舞するその男は、国巻高校に入学して2年生の頃には【国巻の闘将】と呼ばれるようになった。
彼のサッカー人生最大の転機は高校2年生の冬だろう。恩師であった岡山が突然監督を辞めた。
星飛馬は頭の中が真っ白になる。一体これから国巻高校サッカー部はどうなるのか。誰が監督をするのか。その新監督にちゃんとついて行けるだろうか。様々な想像が頭を過ぎった。
しかし新年度、あらゆる予想の中で最悪のケースに彼は襲われる。
監督を志望する者が誰一人現れなかったからだ。
これにより星飛馬は、不幸にも本人の望まない内容で監督兼キャプテンになってしまう。
国巻にサッカー部が創部して三年目の春、『奇跡のイレブン』と持て囃された当時のメンバーは殆ど居なくなり、新1年生も10名程度しか入らなかった。船出は最悪。
その年の成績はその後の国巻の転落人生の第一章として申し分無いものである。
地区予選での敗退。一発屋の烙印。それらあらゆる負の財産を、一人で受け止めたのが星飛馬だった。
彼を語る者達に共通することが一つだけ有る。
それは、星飛馬が国巻高校において、歴代最高のキャプテンシーの持ち主だったということ。
熱いハートを持ちながら、一人一人のケアにも必死に配慮したその姿を、彼を知る誰もが『最高のキャプテン』と詠っていた。
3年生レフティー望月明那もその一人である。
合宿初日の50キロ近くを走破するという厳しい課題をクリアし、体全体を倦怠感が襲っていたが、頭の中ではこんなことを考えていた。
「もっとスタミナつけないとな。星キャプテンみたいに。」
1年生として入部した当時、望月明那はキャプテンの星に、こう言われたことがある。
「お前、望月先輩の弟なんだって?」
「はい!望月明那って言います!よろしくお願いします!!」
「お前のさ、名前の意味って何?」
「名前の意味?何のことです?」
「いや、明那って男には珍しいじゃん。何でなの?」
「あぁ、それはですね。男でも女でもどっちでも生まれてきたら、そう言う名前にしようって両親が決めたかららしいですよ。」
「そっか。良い両親だな。」
「え?どこがです?こんな女っぽい名前付けるなんて子供からしたら迷惑なだけでしょ?」
「まぁな。でもそれって、変に失望しないためじゃん。」
「???」
「時々あるだろ?医者から男の子だろうって聞いてたら、生まれたのは女の子だったとか。そんな時でも失望しないで済むからなんじゃね?明那って名前。」
「それって、良い両親ってことになります?」
「お前、星飛雄馬って知ってる?」
「・・・聞いたことは有りますよ。」
「俺の父親、巨人ファンなんだよ。それで俺を飛雄馬にしようとした。」
「・・・マジですか?」
「マジで。でも阪神ファンの母親が猛抗議して雄の字だけ取った。それで飛馬だよ。」
「えぇ~!」
「だろ!思わず『えぇ~!』って言いたくなるだろ!だからだよ。」
「・・・だから?」
「だから、お前の両親は自分たちの事でなくて、お前の事を考えて名前を決めたんだ。良い親じゃん。」
このキャプテンとの会話後、反抗期も相まって母から下の名前で呼ばれることを嫌っていた明那は、再び『明那』と両親から呼ばれることを容認する。
この日は自分の名前に誇りを持てた日であり、尊敬できる先輩に出会えた日にもなった。
星のことを思い出すと、必ず敗戦の日々と同時にその会話が回想される。
「弱かったけど、しんどかったけど、良かったなぁ。2年前も。」
そう感じながら学校の宿泊フロアの窓から外を眺めていると、ドアをノックする音が聞こえてくる。
「誰だ?」
「すいません。鈴木です。風呂の用意が出来たそうなんで、どうぞ入って下さい。」
「そうか。サンキュー。」
「あと、他の先輩達にもほとんど伝えたんですけど、久保先輩って何処にいるかご存知です?」
「久保?さぁ・・・居ないの?」
「はい。みんな知らないって。」
「そうか・・・じゃあちょっと探してみるわ。」
「いいんですか?すいません。僕もまだ探してみますんで。」
「あぁ。わかった。」
鈴木が去ると同時に、望月はすかさず久保のカバンの中を確認した。
「・・・ちゃんと置いてあるなぁ、エロ本。じゃあ、一人で何処に行ったんだ?」
望月は廊下に出てみる。鈴木が必死に久保の名を読んでいたが、反応は無い。
「あんなデカい声に反応しないってことは・・・外か?」
望月明那は真っ暗なグランドに足を踏み入れる。
「夜だっつーのに、風が無いとクソ暑いな。」時期は7月中旬。セミがよく鳴く夜だった。
そんなセミの鳴き声に紛れて、足音がグランド中央から聞こえてくるのに望月は気付く。
足音を追っていくと、そこには望月の予想通りに久保がいた。
「ハァハァハァ・・・471!ハァハァ・・・472!」
「久保・・・お前・・・何やってんだ?」
「え?・・・うわ!!!!望月かよ!!!突然現れたからビックリしただろうが!!!」
「それはこっちのセリフだろうが、こんな暗闇の中で何やってんだ?お前。」
「見てわかんねぇのかよ。素振りだよ!」
「素振り!?」
「そう!手前から走り込んでのシュートモーション練習だ。」
「何で・・・こんなことしてんだよ。」
「宿題だからだよ。」
「しゅくだい?」
「そう。美津田からの。」
話は4月に行われた滝沢チーム戦直後にまで遡る。
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「久保、お前の家って庭は有るか?」
「庭?ありますよ。一応一軒家なんで。」
「そうか。なら、今日から素振りの練習を家でしろ。」
「素振り?なんでです?」
「お前の最大の弱点を克服する為だ。」
「弱点?」
「そう。弱点。」
「何です?俺の弱点って?」
「お前、高校からサッカー始めたんだよな。」
「はい。そうです。」
「当時は監督の代わりを星がやってただろ?」
「えぇ。その通りです。星キャプテンが全て指揮ってくれてました。」
「やっぱりな。」
「???」
「お前、ちゃんとシュートの【指導】受けたこと無いだろ?」
「しどう?」
「そう。シュート指導。」
「指導って・・・どういうことです?」
「お前が決定機を尽く外してきた理由はソコなんだ。お前はシュートモーションが【定まってない】んだよ。」
「?????」
「もっと解り易く説明してやろう。お前はな、シュートの時に体の軸がブレまくってるんだ。」
「軸が・・・ですか?」
「そう。お前は足が早いし上背も有る方だ。ボールの扱いも飲み込みは早い。お前は器用なんだよ。」
「・・・・・???」
「器用なのに、決定機を尽く外すのはな、正しい体勢でシュートをしていないから。きっとそれだけの理由なんだ。」
「・・・ってことは・・・。」
「ん?」
「ってことは監督!それがちゃんとなったら俺はもっと点が決められるようになるって事ですか!?」
「まぁ、俺の読みが正しければな。」
「・・・教えて下さい!素振りの仕方!!」
「あぁ・・・いいだろう・・・ただし、野球の素振りよりも明らかに体力を使うぞ。」
「構いません!全く構いません!!」
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美津田から教わった素振りを、久保はこの3ヶ月間必死に続けてきた。サボった日は1日も無い。
久保の影の努力を初めて見た望月は、このストライカーが目標とする500回目までを見守ると、風呂に誘う。
「凄いな。」
「何がだよ。」
「いや、お前のシュート精度ってちゃんと上がってるだろ。」
「まぁな。・・・・・・・・・ん?待てよ?それってもしかして練習続けた俺に対してでなくて、美津田に対しての言葉か?」
「いや、違う。・・・両方だ。」
望月明那は笑いながらそう答えた。
翌朝、朝食を取った部員たちはグランドに集合すると、美津田が話し始めた。
「昨日はご苦労さん。さて、今日の課題を発表しよう。実は・・・またお前達には指定の場所までグループで走ってもらう。」
「え!!!また!!!!?」
多くの選手が驚いたが、木村など一部の部員は予想していたのか、無表情を貫いている。
「でだ。滝沢には今回も手伝ってもらうが、実は薫は今日の仕事だけは休めないそうだから、引率が出来ない。だが、班は今回も3つに分けようと思ってる。」
「え?じゃあ、一班は誰が引率するんです?まさか引率者なし?」
「それは無いよ。中林。そこでだ、代わりの引率者を呼んでおいた。」
「誰です?」
「来てもらおうか。3年生には懐かしいぞぉ。おーい!こっちに来ーい!」
望月明那は思わずつぶやいた。
「・・・まさか。」と。
美津田に呼ばれて現れたのが、暗黒時代の国巻を一人で背負い込んだ男、星飛馬だったからである。




