第74話 越えられない壁
トイレを済ませた竹下がベンチに戻ってきたのは、美津田のミーティングが終わりかけた頃だった。
「お帰り!前半のヒーロー!」
「え?監督・・・なんのことです?」
「いやいや、どう考えてもお前がよくやったから褒めてるんだろうが!」
「・・・オレが、よくやった?」
「お前は見えてたんだろ!?大下が。それがお前の持ってる才能なんだろうな!」
「・・・。」
竹下はサッカーにおいて、才能というものを培った感覚は一度も抱いたことがない。
大下が左サイドにいると感じたのはボンヤリとしたものだった。
しかし美津田の言葉を受けて、ほとんど自覚のない俯瞰視点が得点につながったことは自信にも繋がる。
「よし!お前たち、残すはあと後半だけだ!集中しろ!とにかく、勝て!全力を尽くして勝て!お前たちの力を俺に見せてみろ!」
ハーフタイムが終わりに近付き、選手たちはピッチに散っていく。
「どんな話だった?大下。」
トイレによって長時間ミーティングを抜けていた竹下は心配そうに質問する。
「いや、別に大したものは無いよ。ただ・・・。」
「ただ?」
「あそこまで熱い美津田は初めて見たかな。」
「なに?前の監督のクソ大嶺みたいな?」
「どうだろう・・・。」
否定しない大下に、竹下は少し驚いた。
互のチームに選手交代は無く、後半が開始する。
フォーメーションが2-7-1という中盤で圧倒的に優位に立てる大剛の布陣は、当然のようにボールを支配していく。しかし国巻にも中盤の選手が5人もいることでスペースが無く、ボールロストする回数もしばしば見られた。
「一気に攻めろ!お前ら!」
「焦らなくていいんだよ~。コツコツやろうってばぁ~。」
それぞれの監督が、対照的ながらこの場面で一番大声を張り上げている。
後半も15分を過ぎると、国巻1トップの久保も息が荒くなりだした。
「疲れてきたでしょ?」
話しかけてきたのは久保のマークをするラファエル佐々岡である。
久保はこの時、かつて対戦した時のラファエルとは明らかな違いに気付いた。
『ラフィの息が・・・上がって無い。』
久保はラファエルの息が未だ整っていることに驚きを隠せなかった。
『どういうことだ?何回もオーバーラップして、俺よりも滅茶苦茶長い距離走ってるはずなのに・・・。』
久保がそんな表情をみせると、ラファエルはニタっと笑って
「おれ、この数ヶ月間でなら、日本で一番走った高校生だと思います。」
と言った。
その言葉は分不相応なものではなく、自信と確信に満ちていて尚且つ実際に発揮できていることから、久保も『ラフィは本当に走り込んだんだ』と信じた。
後半がさらに5分すぎると、サイドバックの中林の運動量が一気に落ち込む。
「1時間近くか・・・。よく頑張ったほうだな。」
美津田はスタミナに課題のある彼への感想をそれだけ述べて、柿崎と交代させた。
守りが主体ながらも決して防戦一方では無い国巻は、その後もいくつかチャンスを作る。しかし、久保のシュートは2度枠を外し、他のチャンスはラファエルか秦原の2バックにギリギリで弾かれてしまう。逆に大剛はボールを持ちながらもシュートまで中々漕ぎ着けられずにいた。
残り時間は10分となる。
「畳み掛けよう。」
それだけ言った美津田はスタミナ切れの望月に代わってチーム1のテクニシャンである松田を投入した。
今までの美津田であれば、同時にもう一人投入したであろうが、交代枠を使い切った後に須賀が負傷した経験を踏まえ、松田一人しか交代させない。
それに対して大剛の監督岡山は、未だに選手交代をしないのであった。
「何考えてるんだ?岡山監督は。」美津田はかつての指導者の考えが全く読めず、イライラが募っていく。
後半も残り5分となった。
この瞬間、大剛の布陣が大きく変わる。
「え!?え!?え!!??」
「鈴木!落ち着け!!」
「だって・・・木村先輩!!これって!!!」
国巻のペナルティエリア周辺に、大剛の選手がなんと6人も集まってきていたのだ。
「6トップ!?・・・現代サッカーを・・・馬鹿にしてんのか!?」
美津田は岡山を睨みつけた。
岡山はその視線に気付くと、ニタっと笑ってみせる。
すると、美津田の怒りと同等に胸の中に潜んでいた不安は的中する。
後方からのロングボールを大剛が頭で繋ぎ、ラファエル佐々岡がヘディングでシュートを決めたのだ。
2-2
大剛はこのタイミングで交代枠3名全てを使う荒療治に打って出る。
あと1分でロスタイムに突入するという場面での失点。国巻メンバーは動揺を隠せない。
中でもラファエルと競り合ったものの、今回も全く対応出来なかった木村は愕然としている。
「これが・・・越えられない壁か。」
そう思いながら得点者を見つめた。
ラファエルは満面の笑みでメンバーと抱き合っている。黒人の血を50%有していることによる彼の先天的な体のバネの発達と体幹は、Jリーグで活躍した経験を持つアルゼンチン人であるレオ・ポンシオに幼少期から指導を受けてきた木村のプライドをズタズタにする。
「キムラ、オマエハモウジュウブンニツヨイ。デモ、イマノオマエデハ、ミツダニハカナワナイ。」
『なんで!・・・こんな時にあの言葉、思い出しちまうんだよ!』
それは遠い日の記憶。そんな遠い記憶の中で確かに言われた一言が、木村の脳裏を駆け巡っていた。
「なにやってるんだ!お前ら!!最後まで集中しろって言っただろうが!」
延長戦に突入する直前の美津田の一言は、今までで一番熱いものだった。
「こんなことで折れるんじゃないぞ!出し切るんだ!全てを!!結果を出せ!!!」
ここまで激高する監督を初めて見たマネージャーの2人は驚きすぎたことから、普段と違って選手たちより後方からその様子を眺めている。
延長戦が開始されようとし、各自がピッチに散ろうとした時、美津田は久保の刹那のつぶやきを聞く。
「今の美津田監督・・・大嶺みたいだな。」




